『未観測Heroines #59』 /小説/長編
♯59
綾ノ見来。
語るほどのものでもない俺の人生だが、あえてというなら、そこになくてはならない名前。いなくてはならない人物。
隣の家に住む幼馴染。
小さい頃から、まるで、家族のように一緒に育ち。
当たり前のようにお互いに好きになり。
そして。
タマを殺した張本人。
今は親しみ7、憎悪3といったところか。
それがA世界での話。
消化するような日常だが、彼女との親交はやっぱりそれなりに楽しかった。
◇
一方B世界。
綾ノ胡桃。
俺たちが高校生になる頃には絶交状態となっていたが(このことについての責任はB世界の伊津五可にある)、中学、小学校と年月を遡るにつれて、少しずつ会話くらいはできる関係に戻っていった。
17歳――高校2年生時での冷え切った関係からは考えられないことだが、何と、小学校4年生くらいまでは、一緒に登下校したりしていたらしい。
◇
ある日、タイムリープを終えたあとから、A世界の見来の様子がおかしくなった。
俺たちが小学3年生の頃だ。
なぜか喋り方が尊大で。
そのくせ口調は平坦で。
クールで。
賢く。
そんな人物を演じていた。
ついでに言うと、ある時期から髪型もポニーテルに変わっていた。
この異常事態を俺は知っていた。
ていうか、自分より頭の良い人間を真似するって、無理あるだろ。どう考えても。
学校の帰り道。
公園に誘って俺は言った。
「もう、胡桃の真似はいいよ」
実際。
ここで俺がどうしようと、彼女は未来へ進み、俺は過去へと逆走するのだから、少なくとも俺にとっては何も影響がないのだけど。
でも、さすがに見かねたのだ。
その行為は、自ら『綾ノ見来』という存在を否定し、殺すに等しい。目も虚ろになるはずだ。
「君が、『胡桃』でいたいなら、それでも構わないけど、僕も誰にも言わないから、僕の前では、見来でいていいよ」
じゃないと、痛々しくて見てられない。
見来は涙と鼻水で顔面をグシャグシャにしながら言った。
「ごめん……なさい……」
◇
さらに、さらに、遡る。
綾ノ家の前に、丸っこい動物のキャラクターがペイントされたトラックが駐車していた。朝から騒々しく、家財がトラックに積み込まれている。
「バイバイ、見来ちゃん」
家の前で待機する女の子に言った。
「うん……バイバイ」
これも、知っている。
見来のふりをした胡桃。
髪型と、愛用の服を入れ替えたらまるで見分けがつかない。
本当にそうか?
ともに死にそうな顔をした彼女たちの両親。彼らは気が付かないものか。
わからない。わからないし、もはや、どうでもいいことだ。
だから、少なくとも俺は騙されたふりをする。
「手紙書くよ」
その約束は、まるで他の人の口から発せられたように空虚に聞こえた。
「うん……」
彼女もまた、空虚に答えた。
◇
朝、ランドセルを背負って綾ノ家に行くと、双子が出てきた。
見来と胡桃と俺、並んで登校する。
こういうときも確かにあったんだ。封じられていた記憶の中には確かにあった風景。
改めて、記憶操作なんてデタラメしやがる。確かに。そんなの、神様としか言いようがない。
◇
「あと、もう少しにゃ」
朝。
ベッドの上(変な意味じゃないぞ。今の俺は小学生の低学年だ)でタマは、つぶやいた。
すっかり、子供――というか、幼児に近い体躯になってしまった俺だが、タマのほうは、背が縮むということはなく、俺から見れば2回りも3回りも上のお姉さんだ。
時間が戻れば、髪とか右目とか味覚とか――もろもろ失くしたものが戻るかと期待したが、そううまくはいかないらしかった。
「そうだな、じゃ、今日も頼むよ」
そう言うと、俺は猫耳のお姉さんに押し倒された。
俺がタイムリープするには、タマに噛まれる(というか一回死ぬ)必要があり、昨日の目覚めから丸一日充電期間をあけて、今。
これでまた3日。
あと数回のジャンプで、目的地までたどり着ける。
あしかけ3年。
のはず。
いちいち日数を数えていたわけではないが、計算上そうなっているはずだ。
「あと何回かで終わるとなると寂しいにゃ」
「この旅が終わるのがか?」
「こうやって、五可に噛みつくのが、にゃ」
舌なめずりをする。
「変態か」
と、軽口をいうものの、少し様子が変だ。
何と言うか。
消え入りそうだ。
幽霊のような儚さ。
まあ、実際幽霊みたいなものだ。実体が――こうして重さがあるから忘れそうになるけれど。
しかし、一向に首筋に鋭い痛みは訪れない。
「どうした?」
「もう少しこのまま、にゃ」
仕方なく、背中に手を回す。
「それだけ? 何か隠してない?」
「何もないにゃ。五可が心配するようなことは何も……五可は安心して目的を果たすにゃ」
◇
そして。
俺たちはたどり着く。
運命と世界を分けた、雪の日に。