『未観測Heroines #58』 /小説/長編
♯58
この俺、伊津五可はタイムリーパーである。
そういうと、いかにも漫画か何かの前口上みたいで格好いいが、実際制限が多くそんなに便利な能力でもない。
まず、タマという猫耳の相方の力を借りなければならない(よく考えれば能力という言い方をするなら、それを与えられたのはタマである事実に気付く)し、時間を遡行できるのは4日前の朝までだ。ただし、一度飛んだあとは、1日の(相方の)休養期間を設けなければならない。
つまり、俺の主観で1日に対して、差し引きで3日戻ることができるわけだ。
今回のミッションを達成するためには、およそ8年と11ヶ月の時間遡行が必要となる。ざっくり計算すると、3255日を3で割って1085日。目的達成まで体感で3年くらいの時間が必要になる。
◇
「それだけじゃないにゃ。また今の時点、五可が高校2年生に戻るにはさらにその3倍、9年かかるにゃ」
タマが言った。ベッドの上で膝を突き合わせて、これからの方針を話し合う。
「まったく、せっかく神様の意地悪ゲームをクリアして、何もしなければそのまま平穏に戻れるというのに、自ら進んでそんな苦行を選ぶなんて、まったく私には気がしれないにゃ」
「うん。でも、やらなきゃいけない気がするんだ」
「まあ……反対はしないにゃ」
「それに、苦行じゃないよ、お前と一緒なんだから」
「……」
俯いてしまう。
「そういうの、慣れないにゃ」
「いや、だって、昨日さんざん――」
「ふしゃー!!」
威嚇される。
「すぐに慣れるさ。なにしろ、これからずっと一緒なんだから」
◇
過去へ向かう旅が始まる。
朝起きて。目覚めたのがA世界なら、見来を起こしに行く。伊津五可がこれまで積み上げてきた日常をなぞっていく。
B世界の場合は気をつけなければならない。寝ているのは姉、胡桃のほうだ。同じことをすれば、殴られてしまうし、実際寝ぼけて何度か殴られた。
ともかく、平日なら、大人しく学校へ行く。行かなきゃ、親とか、幼馴染みとかに色々言われるのが面倒い。ので、とりあえずは登校する。
そして、周囲との噛み合わない会話に晒される。そりゃそうだ。彼らが知っているのは昨日までの伊津五可で、未来から来た俺は、昨日までの記憶を持たない別人だ。
とはいえ、基本的にその日をやりすごせば、俺は過去に戻るだけだ。次の日以降問題が発生したとしても知ったことではない。
そして、家に帰ればタマがいて。
遊んだり、会話したりして。
たまに、恋人らしい触れ合いをしたりして。
少しずつ。
少しずつ。
時間を遡っていく。
◇
「卒業おめでとうにゃ」
中学校の卒業式の日の朝。
『初めて』俺の学ラン姿を見たタマは、目を輝かせた。
時間を遡行する俺達にとっては、卒業の日がまさに、中学生活の始まりなのだ。
「ほら、襟が曲がってるぞ」
指を首元に伸ばすタマ。
「あ、ありがと」
「帰ったら、第二ボタンをもらってやるにゃ」
「よく知ってるな」
本当に実在するかどうかもわからない、都市伝説的な話だけどな。
「テレビで見たにゃ」
「生憎だな。部屋に帰る頃には第二どころか、第一から第五までなくなってるよ」
もちろん冗談だ。
そんなことは起こり得ない。
それは、予測ではなく、知っていることだった。
◇
溶けたアイスが固形に戻るように。
溢れた水がコップに収まるように。
灰が集まり死体を形作るように。
時間が戻るという現象は本来あり得ない。
因果の逆転。
逆さまの道理。
タイムリープを繰り返すごとに。
学校の授業の内容がだんだんと優しくなっていった。
周囲の『同年代』の奴らがだんだんと幼稚になっていった。
大人の目線が、だんだんと優しくなっていった。
だんだんと自分の体が縮んでいった――
◇
いよいよこのときが来た。
嫌で嫌でしょうがないけど。意を決して俺はボロボロのランドセルを背負った。
「中身は高校生でも、見た目はまるで子供にゃ」
タマは、意地悪く笑った。
「本当に……」
「ん?」
「いや」
本当に中身は高校生のままなのだろうか。俺が気付かないだけで、体が縮むのと同時に、精神も子供に戻っていっているのではないか。
客観的に判断できるのはタマだけだけど、聞くのが怖かった。
身長については、中学の中頃でタマと並び、今ではやや見上げている状態だ。その事実に、ブルーになる。
ふと、頭を撫でられる。
「大丈夫にゃ。子供になっても五可のことは好きにゃ。かわいいしな」
◇
とりまく関係性を世界と呼ぶなら、
俺たちはこのとき、世界から隔絶されていた。
人間関係から切り離され。
因果関係から隔絶され。
2人だけの世界だった。
あるはずだった、2人の時間。
あの日、失ってしまった命。
失った日まで戻るための旅。
この旅の果てに――目的を達成したあとに何が残るのかは、わからない。いや、たぶん何も残らない。もう、何も取り戻せないってわかっている。
言わば俺の自己満足だ。
だけど。
少なくともその道中。
少なくとも、この奇跡のような『今』は幸福だったと言えますように。