『未観測Heroines #53』 /小説/長編
♯53
胡桃の母に自転車を借りて、無人駅へ舞い戻る。使えるものが1台しかなかったので、後ろに胡桃を乗せて俺が自転車を漕ぐことになる。ニケツというやつだ。
駅にはかろうじて1台タクシーがとまっていた。
「僕が呼んだに決まっているだろう、馬鹿め」
胡桃はタクシーに向かって手を上げながら言った。
「段々と罵倒が雑になってきてないか? もっと、捻った言い方をしてくれよ」
「今、そんな余裕はない、馬鹿め」
「だいたい、タクシー呼ぶなら、家に呼べばよかったんじゃないか?」
「……うるさい。僕だって、焦ってるんだ」
そう、か。こいつに焦られると、とてつもなく不安になるな。まあ、一見、冷静沈着に見えて、案外激情家だったりするからな。
2012年11月23日。金曜日。
それはちょうど10年前のこと。
綾ノ家と伊津家は合同で家族旅行に出かけた――といっても、共に行動したのは、とある山の展望台でのピクニックだけだ。
綾ノ家はそのまま、近くの実家へ、俺たちは俺たちで、別の行楽地へ出かける予定だった。そんな連休を利用した旅行計画は、子どもたちの遭難事件で台無しになったのだけれど。
展望台の場所は、胡桃が知っており、タクシーの運転手に淀みなく伝えた。
こういう展開を予想して、彼女の父親から場所を確認しておいたのだ。本当に抜け目ない。彼女がいなかったら、マジでどうなってたんだよ。
数十分で目的地に到着。視界の遥か下に広がる街並み。夢で見た景色と同じだ。
この時点で時刻は、午後1時30分。
綾ノ見来『死亡予定時刻』まで、あと4時間。
タイムリミットは刻一刻と近づいている。
◇
「ここからは、君が頼りだぞ。僕の頭の中に答えはないからね」
と、胡桃。目線は山側に向いていた。
「だけど俺も――俺たちも、迷ってあの場所にたどり着いただけなんだ」
「そうか、ではくまなく探そう」
ふと疑問が浮かぶ。
「そういえば、あのときお前はどこにいたんだ?」
俺の記憶では、あの旅行の日、見来とその父親はいたが、胡桃の姿はなかったようにある。
「母さんと一緒に、さっきの家にいたんだよ。あの頃は、おばあちゃんもまだ生きていた」
「なるほど、そういうことか」
「そんなことより見来だ。せめてどこら辺から山に迷い込んだか、わからないか?」
「……探してみよう」
あたりを捜索する。
「タマ、大丈夫か?」
ふと思い出して、タマに話しかける。平然と付いて来ているので、気にしていなかったが、少し心配なことがあった。
「?」
「体、大丈夫か?」
ルールを破った代償として、いろいろと持っていかれたままのはずだ。
「そりゃあ酷いにゃ。酷いけど、実は移動に体力は使ってないにゃ。私は、この世のものではないのにゃ」
確かに、浮遊するように軽い足取りだ。それこそ、背中に羽でも映えているような。これまでも、存在感がないと思ってても、急にどこかしらから現れたりしてたもんな。
「相変わらず手伝えなくてすまんな、五可」
「当たり前だ! 絶対手伝うなよ!」
これ以上失わせてたまるか。
少し歩いて、それらしい場所を見つける。胡桃に手を振り合図を送る。
「ここだ、間違いない」
広場を囲うように広がる木々の一角。誘い込むように開いている。
「本当か?」
「たぶん……」
「なら結構。行くぞ」
言って、颯爽と山へ踏み込む胡桃。俺はポニーテールを目印にあとを付いていく。
「手分けするか? ここからは本当に、記憶にない」
入口は見つけたが、気休めのようなものだ。ここからは別々に探したほうが効率がいい気がした。胡桃は少し考え、
「いや、一緒に行動しよう。僕たちが遭難してしまうリスクも減るし、見来を見つけたとして、その後何から見来の身を守ればいいのかが、まだわからない」
「クマに襲われたりとかか?」
「そうだな、その場合は君を囮に使える」
冗談に聞こえないから恐ろしかった。
◇
「疲れた……」
俺は弱音を吐いた。
何しろ、舗装もされていない勾配のある地面を、ずっと散策しているのだ。
「文句を言うな。君の記憶力が悪いせいだろう」
「無茶言うなよ。こんな同じような景色の中で位置なんてわかるものかよ――ん?」
スマホが落ちている。胡桃はそれを拾うと電源を入れた。
「見来のか?」
「そのようだね」
画面がロックされていたが、母親からの着信があったことは、表示されている。電波はギリ繋がるみたいだ。
胡桃は指紋の認証マークに親指をあててみるが、エラーが帰ってくる。
「双子って、指紋も同じものなのか?」
「そんなわけないだろう。行くぞ」
――残り2時間と30分。
「なあ、見来は本当にこの山のどこかにいるのか?」
「他に心当たりがあるなら言ってくれ」
「……だよな。ごめん。見来は近くにいる。必ず見つけ出すぞ」
――残り90分。
胡桃が決断する。
「手分けしよう。見つけられなかったら助けようがない」
「わかった」
「遭難するなよ」
――残り30分。
くそ、またなのか。
また、俺は彼女を救うことができないのか。
十分に水分補給しているとはいえ、流石に体力の限界だった。足はふらふらだし、頭もクラクラする。
「頑張れ、五可! ここで終わらせるにゃ」
タマの激励。そうだ。ここで必要なのは弱音じゃない。根性だ!
「当たり前だ!」
――残り15分。
目の前を黒い影が横切った。
ひらひらと舞い、遠ざかっていく――
「お前え!!」
ムチを打たれたように、駆け出す。
俺は、あの蝶がどういうものか知っている。
不思議で。
不吉で。
神秘的な――
連れてってくれ。
死の匂いが漂う場所に。
木々を抜け視界が開ける。
黒い蝶は、人影に寄っていく。少女は、山の様子を眺めていた。見渡すように、崖の上に立って。
――残り、10秒
「見来!!」
叫ぶと同時に俺は駆け出した。
少女が振り向いた瞬間、その足元が崩れる。急斜面を滑り落ちていく少女。
残り――
何度も、何度も、何度も。
眼の前で死なせてしまった。
何度も、手を離してしまった。
2022年11月23日。
水曜日。
祝日――勤労感謝の日。
午後5時30分。
俺は確かに、彼女の手を掴んだ。
今度こそ。離さない。