『未観測Heroines #52』 /小説/長編
♯52
好意を寄せていた? って言ったよな――いや、胡桃はときどき難しい言葉を使うから、勘違いして恥をかかないようにしよう。
「それはそれとして――」
やはり、重要な話ではなかったらしく、胡桃は急ぐように話を切り替える。
「とりあえずは今、僕の母方の実家に向かっているわけだが、家に着いたら君はどうするつもりだ?」
「? わかんねえけど、見来と夜まで一緒にいればいいんじゃないのか? 危ないところには出かけないようにして」
「五可の考え――つまり、こちらの世界の見来になにか危機があるという考えはたぶん、合っている。なので僕たちは今、見来に会いに行き、身辺警護をしようとしているわけだが、そんなにうまく行かないかもしれない」
「何でだ?」
「見来がうちにいない可能性があるからだよ」
「考えてみればそうだな」
「僕が思うに、むしろその可能性は高い。普通に考えればわかりそうなものだけどね。本当に君は乙女心というものがわかっていない」
◇
普通列車に乗り継ぎ、降り立ったのは寂れた駅。俺たち以外の降りる客も、乗る客も、駅員さえいなかった。
駅舎を出ると、田園と山の風景が広がる。駅前のバス亭で時刻表を確認するが、実にスカスカなタイムスケジュールだった。
見た瞬間、小一時間ほどここで足止めを喰らうことを覚悟したが、でも運が良かった。タイミング良く、すぐにバスがやってきたのだ。
「馬鹿か。僕が事前に調べているに決まってるだろう。馬鹿か」
「馬鹿って2回言ったぞ」
痛いところをつかれた胡桃はそのままバスに乗り込んだ。その後、20分ほど揺られ、昼頃には目的地に到着した。
◇
その家は、山の麓の集落にあった。
街の住宅街とは明らかに様子が違う。一軒と一軒の間がやたらと離れているし、土地の境界もはっきりしない。
重そうな瓦の乗った平屋。昔ながらの家という感じだ。今は、見来とその母が住んでいる。見来とは一度会ったということだったが、母とは10年ぶりの再会ということになる――はずだが、胡桃は躊躇いなく、インターホンを押した。
格子と曇りガラスの向こうに見えた人影が、がらがらと引き戸を引く。
「はーい」
壮年の女性が現れた。間違いない。胡桃の母親だ。実際に顔を見れば、記憶がよみがえってくる。
「みく……?」すぐに異変に気付く。「まさか……胡桃……なの?」
流石に事前に連絡とかしてるのかと思ったが、リアルに凸(とつ)だったらしい。
「うん」
あまりに突然の来訪。心の準備も言葉の用意もありはしない。ただ、驚きよりも何よりも、
「大きく……なったわね」
愛おしそうに、目を細めた。
「君は、五可君かしら」
「そうっす。お久しぶりっす」
変な口調になる。
俺の後ろには、もう一人、猫耳眼帯少女という濃いキャラがいるのだが、それには気づかない。彼女の姿は、誰にも見えない。
母は何も言わず、胡桃と俺を家の中に招き入れた。何しに来たの? なんて、野暮なことは聞かない。俺はともかくとして、家族に会いに来ることに、他に理由なんて必要ないのだから。
外見と変わらず屋内も相当に古風だった。
屋根下を横断する木をタマが不思議そうに見上げている。
居間の棚には、見来の成長過程の切り抜きが飾られていた。その写真の奥の物語を想像するように眺める胡桃。俺はまた違った視点でそれを見ていた。
俺の世界の幼馴染。そのもう一つの可能性。俺と一緒にいなかった世界の、綾ノ見来の姿。
「母さん、見来は?」
ちゃぶ台にお茶を置く母に、胡桃は単刀直入に聞いた。10年の歳月も、積もる話もすっとばして、要件を告げる。
「それが、大事な用があるって言って、朝からか出かけてるのよ。タイミングが悪かったわね。ちょっと電話してみる」
それは。
事前に胡桃が示唆していたとおり。
もちろん、高校生が、一人で出かけることは普通にあるだろう。
何もおかしいことではない。
でも、それ以上に。
不穏で。
不吉な。
予感。
得体のしれない緊張感があった。
彼女が、今日、命を落とすとわかっている、俺たちには。
「繋がらないわね」
スマホの画面をタップする。何も事情を知らない母にとっては、それだけのこと。
「そう言えば、あの子も見かけないわね」
天井を見上げる母親。
「?」
不思議に思い、聞き返そうとする俺の袖を胡桃が引く。
「ちょっと外で話そう」
◇
「あの場所に決まっている。君もわかってるのだろう」
表に出るなり、胡桃は頼もしく切り出した。
「心当たりがあるようだな。どこだ、それは?」
胡桃は拳を握り俺に向けるが、思いとどまる。そうだ暴力はいけない。でも、代わりにギロっと睨まれた。
「馬鹿か」
「3回目だ」
「再三言おう。君は、まるで乙女心というものがわかっていない」
「ヒント」
「約束」
「……」
「十年」
「……」
「洞窟」
「……」
そのままの、答えだった。
認めざるを得ないようだ。俺はどうしようもない馬鹿らしい。
「そうだ。今日がちょうど約束の日だろう。見来は、君との約束の場所に向かったに、決まっている」