『未観測Heroines #51』 /小説/長編
♯51
◇
雨。
雨が降っている。
薄暗い洞窟の中から外を見ている。
しとしとしとしとしと。
「このままおうちに帰れなかったらどうしよう」
隣に座っている女の子の声――震えている。
「そんなこと絶対ないよ。パパやママが迎えに来てくれる。絶対に」
「でも……」
「じゃあこうしよう。ここに穴を掘ろう――何か、大事なものを埋めるんだよ」
「どういうこと?」
「願掛けだよ。あとで取りに来るって、誓うんだ」
彼女の頭を指差す。星型の飾りのついた髪留め。
「駄目だよ。これは大事なものだから。土に埋めたなんて言ったら、『胡桃』ちゃんに殺されちゃうよ。これは、あの子のものでもあるんだから」
「そんな大袈裟な」
「うーん。でもいっか。あとで謝っとこう」
木の枝で土を掘って、宝物を埋める。
「それで、いつ取りに来るの?」
「山を降りたあとだよ」
「ふたりで?」
「それじゃあまた迷っちゃうよ」
「じゃあ、どうするの?」
「もっと大きくなったら――ふたりで来れるようになったら来よう」
「それっていつ? 大人になったら?」
「うーん。じゃあ10年後」
「わかったよ――絶対だよ」
■11月23日 水曜日
早朝の駅周辺は、閑散としていた。
今日は祝日なので、それなりに人通りもあるかとイメージしていたが、考えてみれば、通学や通勤の人も平日よりずっと少ないはずだ。
駅の入り口付近。突っ立ってスマホをいじるポニーテルの人物を発見。
ぶかぶかの黒いパーカーからは、すらりとした二本の足が生えている。髪にはもちろん、星型の髪飾り。
「おはよう。来てくれてありがとう」
「おはよう。礼には及ばない。君のためじゃないからね」
そして、二人して駅の構内へ。目的地までの切符を買い、ホームで電車を待つ。
嫌な記憶がフラッシュバックする。
世界の別の可能性。
電車に轢かれ。
体液を撒き散らしながら、バラバラになった女の子。
まさに、ここ。このホームでの出来事だ。
幻覚を振り払うように、頭を振る。
「どうしたんだい?」
胡桃が、心底どうでもよさげに言った。
「いや、何でもない。大丈夫だ」
今回は、『ああ』はならない。
なる道理もない。
◇
『無事』に電車に乗り込む。
窓側に座った胡桃は、ただ、ひたすら、外のほうを向いて微動だにしない。もしかすると、目を開けたまま眠っているのかもしれない。
後ろの席にはタマがいた。ちょこんと椅子に座り、彼女もまた外の風景を眺めている。
タマがついてきた理由はひとつで、もし、万が一俺が死んでしまうようなことがあれば、全部台無し――彼女がそばにいなければ過去に戻ることができず、その場でゲームオーバーになるからだ。
あくまで万一だけど。
忘れそうになるけれど、人はそんなに簡単に死んだりしない。
いつかは死ぬ生き物だけど。
今日死ぬ確率は、とてつもなく低いのだ。
タマの姿は俺以外の誰にも見えない。ただひとり、A世界の胡桃――綾ノ見来は例外だったのだけれど、それはきっと彼女たちの因縁によるものだろう。
因縁――綾ノ見来は、タマの命を奪った張本人だから。
理屈になっているだろうか。あるいはバグみたいなものなのかもしれない。
いずれにせよ、こちらB世界の住人は、誰も彼女を認識できないはずだ。なので、彼女の運賃は不要である。
風景はだんだんと街から山に姿を変えていく。
「いまいち腑に落ちないんだよなあ」
俺は沈黙に飽きて、独り言風に胡桃に話しかけてみた。
「……何がだい?」
と反応あり。
どうやら、目を開けたまま眠ってるわけでは、なかったらしい。
「結局、何で見来は入れ替わりなんて無茶なことを実行したんだろうな。いくら双子だからって、別人なんだからさ」
ギギギと。
そんな音が聞こえそうなほど重苦しく、首を回転させる胡桃。冷めた視線が痛い。
「だから、君は答えに辿り着くまでに、そんなに遠回りをしたんだ」
「どういうこと?」
「君は、まるで乙女心を理解しちゃいないってことさ」
「乙女心?」
「なぜ、入れ替わったのかって、そんなの、見来が君のことを好きだったからに決まってるじゃないか」
「いや、でも――」確かに、本人も俺と一緒にいたかったからだとか何とか言っていた気もするが……「――それくらいで……」
腹を抉る胡桃の肘。
「――ッ!!」
「まったく――」ため息をつく胡桃。「『それだけ』で十分なんだよ。年端もいかない女の子が、どうすれば好きな男の子と一緒にいられるか、一生懸命考えたんだ。その幼くて、純粋な気持ちを、少しは汲んでやれ。向こうの世界の僕がそうしたようにね」
当然、胡桃の協力は不可欠だ。いや、協力どころか、共犯者となるのだけれど。
「でも、入れ替わるったって、どうせばれるだろう。だって君たち、顔は瓜二つだけど、性格は正反対なんだし」
「もちろん、僕の――綾ノ胡桃のフリをしただろうさ。でも、そんなのすぐにボロが出る。もちろん、父さんも母さんも子供の浅はかな犯行などすぐに見抜いただろう。でも、見ないことにした。子供の気持ちを尊重した――のか何なのかは、わからないけれど」
「少し、無責任じゃないか」
「僕達に負い目もあったんだろう。親たちの都合でこんなことになってすまないってね。人間、正しい選択ばかりできるわけじゃない」
「そう――か」
「そして僕たちもまた――いや、これは、こっちの世界の話だけれど――両親の決断を尊重して、お互い別れることに納得した。だから、僕と見来は連絡はとっていないし、会ってもいない。両親の前ではね」
「会いに行ったのか?」
「一度だけね。どうしても見来の様子を見たくなってね。それなりに元気で安心したよ」
「俺は君が案外情深いことに驚いているよ」
冷めているというか、機械みたいなやつだと思ってたからな。妹思いなのは以外だった。
「僕だって情のひとつやふたつは持ち合わせているよ。君は本当にそこらへん鈍感だね。どうせ、あの頃の僕が、君に好意を寄せていたことにも、気がついていなかったのだろう?」