がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『未観測Heroines #46』 /小説/長編


♯46

 


 脳内に映し出される、子供の頃の風景。

 記憶の棚の奥深くから漏れ出た、ワンシーン。

 そこは、頑なに閉じられていた部分。封印されていた核心部。

 目の前に幼い日の胡桃が――いた。

 向き合う俺は、彼女を問い詰めていた。

「ふ、ふん。そのくらいで、わた、わた――」

「わたわた?」

「――僕を、言いくるめたつもりか」

 腕を組んで虚勢をはる胡桃。

「だから、もういいんだよ」

「うるさい! 五可のくせに……その、生意気だぞ」

 演技がまるで、なっちゃいない。

 見ていて痛々しくなる。

 俺は、胸の前で組まれた腕の、両方の手首を掴んで広げた。そして、目の前の女の子の目の奥を覗きこむ。

「離してよお、この……ばあか、ばあか」

「もういいよ。下手くそな胡桃の真似は」

「何を言ってるんだ五可。脳みそが、ええと、ばあか、なんじゃないか」

 涙をにじませながら、目を伏せる。

「君が、『胡桃』でいたいなら、それでも構わない。だったら僕も誰にも言わないから……だけど僕の前では、君のままでいてよ。ねえ、見来(みくる)」

 女の子の顔が涙と鼻水でグシャグシャになる。

「五可……ちゃん、ごめん……なさい」

「見来は何も悪くないよ。だから、忘れよう。これから君は綾ノ胡桃だ」

 

 

 ◇

 


□11月22日火


「どうしたの? こんなところに呼び出して」

 外灯の淡い光の下、佇む胡桃は綺麗だった。俺を見る瞳は、まるで、その奥に光源があるかのように、妖しく煌めいていた。

「大事な話って、何かな?」

 その目は何かを、期待して。

 

「胡桃に、ずっと聞きたかったことがあるんだ」

「何かな、何かな」

 これから起こる素晴らしい何かを予感して。

「昔の話だ。覚えてる? 胡桃。小学生の頃、学校の近くの神社でさ、子猫を飼っていたことがあったよな」

「うん、もちろん覚えてるよ」

 笑顔がひきつる。話の雲行きが怪しくなってきたからだ。

「でも、別れ方は寂しかった。いや、別れることすらできなかった。突然いなくなっちゃったから」

「うん、あれは残念だったね」

「確か、冬休み前の就業式の日だ。雪が降っていた」

「そうだったかな」

「俺さ、あの日、子猫を家に連れて帰ろうと思ってたんだ。12月でこんなに寒いんじゃ、とてもじゃないけど、冬を越せない、そう思ってたんだ」

「……」

「それで、帰りに胡桃を誘おうと思って迎えに行ったら、ホームルームが終わったあとすぐに教室を出たらしくて、いなかった」

「……」

「ずっと、そうじゃないかって。確信がなかったから言わなかったけれど。でも、あの頃、胡桃に何か不穏なものを感じていたんだ」

「五可は、何が言いたいのかな?」

 皮膚を貼り付けたような笑顔。その内側の本当の表情は、どうなっているのか。

「あのときの子猫――タマを、お前は殺したな」

 何を言われるか予想していたのか。胡桃に驚いた様子はない。

 だから、人差し指を頬に添え、うーんと、考えるポーズをするのは、記憶を辿るのではなく、返答を考えているのだろう。

 何と言えば、切り抜けられるか。

 どう返せば、平穏で済むか。

 答えが出たようで、結果――

 

 




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「うん、そーだよ」

 と、胡桃は悪びれず白状した。

 白状――した……

「うーん。私、あんまり頭良くないから、誤魔化すのとか苦手なんだよね……。五可が言うその日。覚えてるよ。外一面真っ白で。手袋をしてても、手がかじかんできて。昼になっても軽く雪が降り続いていたし、地面の白も消えていなかった。それで、思いついちゃっだんだ。ああ、そうだ、って。だから、五可より早く、あの神社に行って、そして、子猫ちゃんを軒下から連れ出した」

 続きを聞くのが怖い。でも、ここで引き返せるはずもない。

「それで、どうしたんだ?」

「神社の近くにわりと大きな川あったよね。あそこに橋の上から落としたんだよ、子猫ちゃんを」

「――!!」

 何てことを。

「もちろん誰も見ていないときにね。子猫ちゃんが自力で岸にあがってくるならそれでも良かった。生きてても、どうせ喋れないし。結果としては、そのまま流されていったけどね」

 凍りそうな川の水は、どんなに、冷たかっただろう。

 どんなに、怖かっただろう。

「何でそんなことを!?」

「思い付いたからだよ」

「なんで、そんな酷いこと思い付くんだよ!」

 泣きそうだった。言うまでもなく俺がだ。

「もう、にぶちんだな……。あの頃、五可はあの猫ちゃんにとても夢中だったよね。学校でもいつでも、あの猫ちゃんの話ばかりしてさ」

 子供のように、頬を膨らます胡桃。

「あの頃、子供の頃の私は、五可を取られちゃったような気がしてたんだよ」

「そんなことで……」

「そんなこと? 私にとっては大事ななことだったんだよ。だって、五可は私のものなのに! 五可は私のものなのに! 五可は私のものなのに!」

 気が触れたように、連呼する――それは、俺の知っている穏和で愚鈍な胡桃ではなかった。

「でも、うん。五可の言う通り、あの日の私は、ちょっとおかしかった。魔が差したって言うのかな。そりゃあ、いい子のままでいられればそれが良かったんだろうけど、差しちゃったんだよ、残念なことに」

 魔が差した。言い訳とも取れる言い方だけど、案外すとんと落ちる気がした。運命というものがあるのなら、きっとそこが分かれ道だったんだ。

「でも、どうして五可は、今さらそんな話をするのかな。そんの話を蒸し返して、一体どうしようと言うのかな。言っとくけど私、結構怒ってるよ」

 真実はどうあれ、いや、真実は残酷だからこそ、今更する話ではない。話したところで、何か良い方向に事が進むとは思えない。それは一理ある。

 俺にとっても、この残酷なゲームをクリアするのに、今日の話がどうしても必要だったわけではない。

 ただ、けじめをつけたかった。

「はっきりさせたかったんだ。俺の気持ちに」

「意味わかんないし! 意味わかんないし! 意味わかんないし! あーあ、五可に呼び出されたときは、もっといい話だと思ってたのになー。気分が台無しだよ。むしろ、最低の気分だよ」

「最悪ついでにもうひとつ話があるんだけど」

「もう、聞きたくないよ」

 いやいやと、首をふる。

「悪いな、実を言うと、こっちが本題なんだ。気を悪くすると思うけど聞いてくれ」

「やだやだ、聞きたくないよ!」

 危険を察知したかのように、耳をふさぐ。

「わからない――いや忘れてしまったんだ。だから、改めて本人の口から聞きたい――いったいなぜ、何がどうなって君が綾ノ胡桃になっているんだ? 見来」