『未観測Heroines #39』 /小説/長編
♯39
◇
夢。
脳みそを操作されて、記憶がオート再生を始める。
幕が上がったように、視界が開けた。眼下には街が広がっている。絶景に感動するほど情緒豊かではなかった子どもの頃の俺でも、自分の家を探してみようと思い付くくらいには、好奇心はあった。
「あそこら辺かな」
大パノラマに向けて指を差す。首をひねって見上げた先には、僕の両親の顔があった――父さんも、母さんも、笑顔だった。
近くには胡桃もいた。そして、温かい目で見守る彼女の父親。しかし母親の姿はどこにもなかった。
「見て見て、五可ちゃん。きれい」
視線の先には、蝶々がいた。空間に穴が空いたような黒い羽。しかし同時に宝石を散りばめたように、キラキラしているのが神秘的だった。
神秘的で。
取り憑くように魔的だった。
それを見つめる胡桃の瞳もまた、星空を詰め込んだみたいに輝いている。
「さあさあおいでよふしぎなちょうちょ」
胡桃が歌いながら、近づいていく
「あっちにいってよふきつなちょうちょ」
続きを歌いながら、胡桃のあとをついていく俺。その歌は、当時流れていた子供向け番組で流れていたフレーズだった。
そして。
子供二人は、親たちの監視を逃れ、深い森の中へ迷い込んだ。
◇
□11月17日(木)
スマートフォンでメッセージを確認した俺は、5分ほど躊躇したあと家を出た。
午後9時。太陽が地上から姿を消して久しく、すっかり暗闇が街に馴染んでいる。夜の住宅地を数分歩くと、公園に辿り着いた。
しょぼい遊具が置かれているだけの児童公園。しかし、子供の目にはそれなりに魅力的に見えるから不思議なものだ。それにしても、この年になって、こんなにもこの公園を利用することがあるとは、思わなかったな。
電灯に淡く、照らされたベンチに人影。座っていたのは、少女の姿ではなかった。胡桃じゃない。中年の男が、缶チューハイ片手に俺の到着を待っていた。
萎えるシチュエーションだった。
というか、おっさんだった。
おっさんこと、胡桃の父親だった。
「家で飲めよ」
挨拶もなく言い放つ俺。男の足元にはすでに空き缶が数本転がっている。
「やめたことになってんだよ、酒」
「どのみち帰ったらばれるだろう」
「そりゃそうだ」
「で、何だよ」
話があるからと言ったのは、おっさんのほうだ。こういうことはとても珍しいが、大方内容に予想はつく。というか、未成年を夜中に連れ出したりしたら、何かしらの法にひっかかるのではないだろうか。
「あー、何だ、えーと」
言いにくそうに、頭をかく。
「お前、胡桃と何かあったろ」
「ああ――」
漠然とした言い回しだったが、聞きたいことは理解できた。つまり、予想どおりの話だったようだ。
「うん。昨日から付き合ってる」
「やっぱりか。ちくしょう」ぐびっと、酒をあおる。「めでてえなあ。赤飯でも炊いてやるか」
「何でわかったんだ?」
「見てりゃわかるよ。何年あいつの父親やってると思ってんだよ」
「そう――だよな」
「あんなちっこかったお前らがなあ。いつからそんな関係になってんだよ?」
「わかんね。気がついたら、かな。でも、元をたどると、きっと子供の頃、ふたりで山で遭難したときだよ」
「遭難?」
「ほら、皆で旅行したときかなんかで、俺らが山で迷子になったときのことだよ。あの時将来を誓いあったんだ」
若干脚色が入るが、大筋間違いではないだろう。
「ああ。忘れるわけねえ。あれは……ええと、どこだっけな」
「忘れてんじゃねえか」
「覚えてるよ。そうだ。あいつの母親の実家に帰省したときのやつだ。その近くの山の展望台だな」
そういう、流れだったのか。
帰省半分、旅行半分といったところで、旅行のほうに、うちの家族が付いていった感じか。父親どおしの仲を考えると違和感はないが、まあ、子供の頃はそんなこと気にしないしな。
「あれは、俺の失態だ。情けねえ。ほんの少し目を離しただけなんだ。あのときだけだよ、マジありえねえ。あのとき――ほんの一瞬、お前らのことを忘れてたんだ」
もし、あの得体のしれない蝶の魔力がそうさせたのなら、仕方がないことだった。
「16年だよ」
と、言葉を続ける。
「ん? 何の話だ?」
「16年父親やってんだ。2人になってからは8年ってとこか」
だんだんと独り言に近くなってくる――だいぶ、酔いが回っているらしい。
「二人で歩いてきたんだ。あの日から」
俺はまだ、この男から見たら遥かに子供で、だから、その苦労など、想像すらできないけれど。
「俺がだらしないせいで、あいつには苦労かけたんだ。あいつを――胡桃を泣かすんじゃねえぞ、てめえ」