『未観測Heroines #38』 /小説/長編
♯38
胡桃との逢瀬を切り上げ、部屋に戻る。もう、真夜中と言ってよい時間帯だ。ベッドの上には少女が、鎮座していた。
天使の羽を思わせる、軽やかで長い髪から、猫耳を生やした女の子。いや、当然髪から生えているなどというのは、おかしな表現で、それが直に頭にくっ付いていることは、彼女と初めて会ったときに確認済みだ。
猫耳少女は、せんべいを齧りながら、テレビを眺めていた――無遠慮に人のシーツの上に食べカスを散らしながら。
それらは、もはや見慣れた光景だ。だけれど、タマの横顔には、いつものおちゃらけたノリは感じられなかった。
「タマ……」
彼女に言うべきことがあった。でも、言葉がつっかえて出てこない。
そりゃあそうだろう。
公園での胡桃との約束は、ともすれば、彼女を裏切る行為だった。
裏切り行為。俺の味方だと言ってくれ、ずっと神様の意地悪ゲームに付き合ってくれた彼女への――
「聞いてたにゃ、途中で戻ったけどな」
バリッ。
と、せんべいを齧る。
「いけるにゃ。相変わらずしっけてるけどな」
「……」
「五可と胡桃の話、控えめに言って、気分が悪かったにゃ」
と、タマは抑揚なく、真っ直ぐな言葉を吐く。
「やっぱり胡桃のことは嫌いにゃ。お前たちのキモい逃避行に、私を巻き込むにゃ」
タマの言う通り、俺の――俺たちの選択は逃避だ。目の前の問題に、背を向けただけだ。さらに言えば、この案にはタマの協力が不可欠だった。死ねば自動で過去に戻れるわけではない。過去に連れて行ってくれるのは彼女だった。
気分が悪いと言うのは、当然だ。
「ごめん」
だから、今、俺にできるのは、謝ることだけだ。そんな、後ろ向きな言葉を横顔で受け止めるタマ。
バリッ、ガリッ、ゴクン――と、飲み込み。
「私は……五可が幸せなら、それでいいにゃ」
いろんなものを飲み込み。
タマは、俺に向き直る。
「言っただろう。私は、五可の味方にゃ。五可が望むなら、連れて行ってあげる。何度でも何度でも。五可の気が済むまで――」
■11月19日(土)
結局、A世界を去ったのは次の日の朝だった。タマが、俺を過去に戻すには、丸一日充電時間が必要とことだった。聞いてないぞと詰め寄ったが、前に説明したにゃあ、とのこと。
そして、俺はB世界の19日の朝に目覚める。
昼、家を出たところで、ちょうど胡桃と顔を合わせる。いや胡桃じゃない――イマジナリーフレンド、だったか。
彼女は、まるで透明人間を見るような目で俺をスルーし、どこかへ向けて歩いていった。
そうだ。ここは、俺のいるべき世界ではない。次の日の朝まで待ち、俺は再び過去に戻る。
大好きな幼馴染のいる元の世界へ。
□11月16日(水)
昼休み、胡桃を校舎裏に呼び出す。人気がなければどこでも良かったが、それにしても校舎裏――こんな辺ぴな場所に用があるとすれば、それは告白かタイマンかといったところだろうが、幸い先客はなかった。
胡桃が姿を現す。
俺の用事は、もちろん前者だ。
◇
「嬉しいよお、とってもとっても」
五可から言ってくれるなんて、と涙を滲ませる胡桃。
「鼻水出てるぞ」
「どうしてそういうこと言うのかなぁ」
「嫌いになった?」
「ううん……好き。私も……」
これだ。
彼女を幸せにしよう。
ほんの数日の間を繰り返すだけだったとしても。
これが、運命からの逃避だとしても。
だって、彼女は、こんなにも喜んでいる。
彼女の笑顔を見ると、俺もハッピーな気持ちになれる。
それに、何の間違いがあるってんだ。