『未観測Heroines #32』 /小説/長編
♯32
スマートフォンで時間を確認する。
蔵の中は薄暗かったが、こういうとき自ら発光するスマートフォンは有り難い。
予定時刻まで、あと10分ほど。胡桃が運命だか、偶然だか、神様のいたずらで、死んでしまう、ふざけた予定だ。
背中に回された両手をガムテープで固定された胡桃は、身をよじった。
「んー、んー」
もちろん、口にもガムテープが貼られている。大声を出されて人が来ると、せっかくの計画が台無しだから、やむを得ない処置だった。
「んー、んー、んー」
「ごめん、胡桃、もう少し待っててな」
とはいえ、『少し』とはどのくらいか。運命の午後5時半を経過したとして、すぐに胡桃を開放して良いものか。
幾度ものタイムリープを経て俺の脳も慣れてきたもので、開放された胡桃が、この蔵を抜け出し、車道に飛び出したあげく、暴走トラックに跳ねられる姿が想像できた。
回避したとしても、次が来る。
例えば、トラックを避けたとしても、次には建築資材が落下してきたりといった具合に。
タマが言うには、死亡時刻は決まっているが、そこは弾力性があり、若干のズレは許容されるとのこと。つまりは、5時半ちょうどをやり過ごしても、安心はできないということだ。ふむ。
「とりあえず、一晩だな」
「ん、ん、ん、ん、んー」
ゲシュタルト崩壊が起きそうなくら
い『ん』が並ぶ。
或いは、ガムテープの奥では言葉になっているようにも感じられた。
「何か言いたいのか?」
聞くまでもなく、言いたいことなど、山ほどあるだろうが。
「んー」
「まあ、騒がないなら外してやるよ」
胡桃は、こくこくと頷いた。
俺は、ガムテープの封印を解く。
「五可。何なの、これ?」
「何って、監禁だよ」
この計画を思い付いて、まず問題だったのは場所だ。俺の部屋というわけにもいかないし、誰にも邪魔されない場所が条件なのだが、考えてみれば、なかなか思いつかない。
で、結果いきついたのは、神社の蔵だった。昔、俺が子猫を飼っていた神社の敷地内。記憶を探して、もしやと思い、現地を確認すると、やはり、それらしきものがあった。そして、ついていたことに、鍵は、かかっていなかった。
神社に誘い出すこと自体は難しくなかった。一応、子供の頃に一緒に子猫の面倒を見た、縁の場所でもあった。
さすがにデートの場所としては微妙で、不思議そうな顔をしていたけれど、まあ、そこは、どうとでもなる。
「私の勘違いじゃなければ、犯罪……だよね、これ」
監禁。
言われてみると、確かに犯罪めいている。監獄の『監』に、禁止の『禁』だもんな。俺は良いことをしているはずなのに、心外だ。
「じゃあ、幽閉と言い換えよう」
「やってることは、一緒だよ。あー、もう。信じられない。昨日の今日で、どうしてこんなことになるのかなあ。あの感動は何だったの?」
公園での告白のことだろう。数年――へたをすれば10年にもわたる恋の成就。漫画ならハッピーエンドを迎えた、その翌日なのだ、今日は。
「ひどい言われようだ。これでも胡桃を危険から守ろうとしているんだ」
「意味わかんないし。意味わかんないし」
「二回言ったぞ」
「それくらい意味不明なんだよ! ……もしかして、五可、えっちなこと考えてる?」
それは。
この繰り返される地獄を生きる俺にとってみれば、随分平和な発想だった。
「こんなことしなくても、私……」
「悪いな。俺、普通じゃ駄目なんだ」
「五可なんて、死んじゃえ!」
「でかい声出すなら、もう一回ガムテープな」
バリバリとテープを引き出し、興奮してきた胡桃を牽制する。
「うそうそ」
「もうすぐ、時間だな」
間もなく、午後5時半。
辺りを警戒する。
こんなところまで車が上がってくるはずはないし、入り口の扉は、取っ手のところに閂(かんぬき)をかけるように、木材を差し込んだので、誰も入れない。
まさか、屋根が落ちてきたりするのだろうか。ボロい建物だからな。
どうする。
振り返ると、胡桃が地面に倒れていた。口からは泡を吹いている。
え?
手首を取り、脈を測る。脈はなかった。
何これ?
突然死と言うやつか? 心臓麻痺とかだろうか。
だって。
こんなの、どうしようもないじゃないか。
守りようがないじゃないか。
それなら、今回の――いや、今までの行動は初めから筋違いだったことになる。
タマが暗がりから出てくる。彼女は、こちらの世界の胡桃には(なぜか)姿を見られるので、かといって、俺がいつ死ぬかもわからないという状況なので、近過ぎず遠すぎずの位置に隠れていたのだ。
「次、行くかにゃ?」
「ああ、いや――」
何だか疲れたな。
過去に戻れば、また、運命との戦いの始まりだ。また、気を張らなければならない。言い方は悪いが、今は胡桃が死んで、少し気が楽になっていた。
「ふーん」
タマが胡桃を見下ろす目は冷たい。そして、
「ざまあ」
そう吐き捨てた。今更のような気もするが、考えてみればこうして、至近距離で胡桃の死と対峙することはなかったかもしれない。
それにしても、今のセリフは看過できない。
「俺の恋人にひどい言い方するな」
「五可は、死体と付き合っているのか?」
「おい」
「私は、こいつが嫌いにゃ」
「なあ、何でお前そんなに――」
暗い蔵の中に、夕日が差し込む。
閂を破り、蔵に突入してきた何者かに、ていうか、まあ、状況的に治安を維持する系の人たちなのだろうけど――ともかく俺は組み伏せられ、拘束された。
/つづく
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