がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『未観測Heroines #25』 /小説/長編


 

♯25


 胡桃の部屋に入ってから、どれくらい時間が経過しただろうか。不思議ともう1ヶ月くらい話し込んでいるような気がしていた。

 というと大げさだけれども、それだけ、話し込んでいたということなのだろう。でも、一方で、本来の目的を見失っている気がする。そう。俺が最初に胡桃に聞いた質問にはまだ、胡桃は答えていなかった。

「それで『もう一人の胡桃』の話はどうなったんだ?」

 俺がそう聞くと、胡桃はこれまでの饒舌さとは対象的に、言い淀んだ。

「ああ、それね……正直、まったく、よくそんなことを口にできたものだなと、僕は呆れている。子供の頃の話とはいえ、ね。君の話によると、神様が君の記憶を奪っているようだけど……でもね……」

「いいじゃん、教えてくれよ」

「うーん。どうしたものか」

 胡桃は腕を組んで、数秒、空中を凝視したあと、

「まあいいか、実はね――」

 と口を動かした。

 俺が知りたかった答えを。

 言う。

 聞いて。

 まさか、と思った。

 まさかそんな重要なことを忘れることなんてあるのか。

 そして、いろんなものが繋がりかけたとき――
 
 時間が止まった。

 空気が。

 呼吸が。

 思考が。

 止まった。

 空間がひび割れ。バラバラになる。

 バラバラ。

 胡桃の顔も。

 今起こった出来事の記憶も――

 

 ◇

 

「うーん。どうしたものか。」

 胡桃は腕を組んで、数秒、空中を凝視したあと、

「いや、やめておこう」

 と、口を閉ざした。そう簡単にはいかないか。

「何でだよ」

「君が忘れているのなら、あえて僕の口からは言わないよ。わりと、デリケートな話だからね。それに、今まで、『君の話が本当だったとして』という想定で、話を合わせてきたが、はじめに言った通り、僕は君の話を、まるで信じちゃいないんだ。ということは、君はすっとぼけていて、この質問をしていることになる」

「そんなことは――」

 俺は、タマの忠告を思い出していた。胡桃に直接聞いても、駄目だと。核心に迫るようなことを彼女は、言わない。そのように、世界は調整される。ゲームの難易度を下げないために。

「僕は僕だ。『もう一人の胡桃』なんていない」

 話は終わりのようだったが、もやもやは残ったままだった。だから俺は、捨て台詞のように、言った。

「お前は……胡桃か?」

 胡桃は、目を丸くしたが、すぐにいつものキリッとした目つきに戻った。

「僕は生まれてこのかた、ずっと綾ノ胡桃だよ」

 


 ◇

 


「ところでだ」

「ん?」

 てっきり話は終ったのだと思い、胡桃の部屋から引きあげようとしていた俺を、胡桃は呼び止めた。

「返事は、いらないのか?」

「え?」

「重ね重ね呆れたやつだ。確かに、君は気持ちを伝えただけだったけれど」

「???」

「それにしたって、僕たちは、年頃の男女だ。そこにはそういう意味合いが含まれていると考えるのが普通だろう」

「あ、ああ。まあな」

 思い至る。

 この家に来たときに、俺は胡桃に、好きだと告白していた。

 あのときは話を進めるために、つまり、話の成りゆきだったのだが、それに対し胡桃は律儀に決着をつけようとしてくれている――いや、そりゃそうか。そんな簡単に流せるような話でもない。どうもこの辺、感覚がおかしくなってきている。

「何だ、そのぽかんとした表情は。返事はいらないのか?」

「いります。下さい」

 胡桃は顎に指を当て、少しの間考える。いや、彼女のことだ。俺を呼び止めた段階で、答えはまとまっているはずだ。考えているのではなく、答えを言うのに、踏ん切りをつけているのだ。そして、彼女は口を開く。

「いいよ。付き合ってやる」

 と、言った。

「え、マジで?」

「意外なのか? まあ、それもそうか、最近はろくに会話もしていなかったからね。いや、付き合うと言ったけれど、条件がある。一週間の期限付きだ。君の話では一週間後に僕は死ぬのだからそれで問題ないはずだ。まあ、もちろん一週間くらいでは、僕たちの間には何も起こらないから、そこら辺はあまり期待はするな」

 


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「ああ、ありがとう」

「しかし、なるほど、この大騒ぎは、実はこれが目的か。つまり、僕の判断力を低下させるのが目的だったのだとすると、君のことを見直すよ。いや、見上げた。見上げた馬鹿だ」

 そんなわけで。

 こっちの世界でも胡桃と交際することになった。