『未観測Heroines #19』 小説/長編
#19
日が傾き始める。
夕方。俺と胡桃は自分たちの家へ向けて、大通り沿いを歩いていた。胡桃の足取りは軽く、楽しかった今日の余韻を残している。
――そんな彼女はもうすぐ、『運命』に殺される。
本当は、屋内でその時を迎えたかった。死に方にはパターンがあるらしいが、外よりは中のほうが危険は少なそうだ。
しかし、粘るのも限界がある。胡桃は、基本良い子なのだ。夕方になれば、夕ご飯に間に合うように家に帰る――そんなのは当たり前のことだった。
付き合ってもいない男女が、夜遅くまで一緒にいる理由などない。前回とは状況が違う。俺たちは現段階で、仲の良い『幼なじみ』ではあるが、『連れ』ではなかった。
胡桃とは昼から出かけた。
遊ぶところの少ないわが町だったが、電車には乗りたくなかった。運命を変えるのなら、まずは前回と違う行動を取るべきだろうと考えたからだ。
で、結局ゲーセンやらカラオケやらで時間を潰し、さあ、帰ろうとなって今に至る。
至って、もうすぐ、午後5時30分。
今度こそ、胡桃を救ってみせる。
身を呈してでも。
今朝のタマとの会話を思い出す。
あんな馬鹿げた話があるか。
◇
「――じゃあ、胡桃がこんなことになってるのは、全部神様のせいってことじゃないか」
「そうにゃ」
俺は奥歯が埋没するかと思うほど、歯を食いしばった。
「なら、俺の敵は神様じゃねえか! そいつをここへ連れてこい。ぶん殴ってやる!」
「待て待て五可。そういうことじゃないにゃ。いいか、君の選択肢はゲームをクリアするか、或いは胡桃を諦めるかにゃ」
「後者は論外だけど、せめて一言文句を言ってやらなきゃ気がすまない! 胡桃はてっきり、運命かなにかで死んでしまうと思っていたのに、神様とやらの意志だったってことだろう!」
「うーん、神様という言い方が良くなかったのか。五可は少し思い違いをしているにゃ」
「ああ。思い違いなら、それにこしたことはないさ。早く誤解を解いてくれよ」
「私が言ってる神様っていうのは実体なんてない高次の存在にゃ。ぶん殴ったり、文句を言ったりする対象ではないにゃ。それに神様の意志って――それを人は運命と呼ぶのではないのか?」
「何?」
「運命なんて実態のないもの、戦おうとは普通思わないにゃ。五可はたまたま、神様だのゲームだのという言葉を得て、自分が干渉できる気になっているだけにゃ。だって、悪態をついたところで、台風は進路を変えないし、地震はおさまらないだろう。五可は自分ができる範囲のことをするしかないにゃ」
俺は、拳を床に打ち付けた。
◇
「また、考え事してる」
胡桃に頬をつつかれる。
「え?」
「今日、ずっと難しい顔してるよ?」
「いや、ああ、ごめん」
それは無理もないだろう。俺にとっては、ただのデートではないのだから。
「もしかして、あの女の子のこと考えてた?」
胡桃とタマは昨日の夜、うちで顔を合わせている。タマのことを考えていたといえば、間違ってはいない。
「でも、せっかく、二人でいるのに、他の女の子のこと考えてほしくないかな――この意味わかるよね、五可」
歩を止め、上目遣いで俺をじっと見つめる胡桃。吸い込まれそうな感覚は、覚えがあった。あの夜、公園で胡桃に告白されたときの感覚――
「ちょっと待て」
その続きは、今回こそ、俺が言おうと決めていた。
「なーんてね」
いたずらっぽく笑った胡桃は、くるくると踊るように回りながら、離れていく――その周りを『黒い蝶』がひらひらと舞っていた。
「――!!」
(さあさあおいでよ、フシギな蝶々)
ささやくように、どこかで聞いたことのあるフレーズが。
(あっちに行ってよ、フキツな蝶々)
頭の中に響く。
あの蝶がどういうものなのか、なんとなく気づいている。そう、そもそもあの山で最初に見たのは――
俺は、胡桃の手を取り、引き寄せた。今まさに、ふらふらと、『車道に侵入していく』胡桃の手を。
「え?」
胡桃が向かおうとしていた先を、猛スピードの乗用車が横切った。摩擦音をたてながらカーブし、大通りに出ていく。
親の危篤か、大事な取引に遅刻しそうなのかはわからないが、大事故になってもおかしくないような、無茶な運転だった。
「もしかして、私、死ぬとこだった?」
「今日は運勢が悪いって言ったろ?」
「本当……占いって当たるんだ。ありがとう、五可」
「……」
俺は胡桃の華奢な手を握りしめた。
「あの五可? 手、離さないの?」
「ずっと、手を繋いでいようって言ったよな」
それは、幼い頃の約束。
今度こそ――離さない。
「五可……」
「胡桃、俺さ。ずっと言えなかったんだけど、お前のことずっと――」
――――!!
何やら遠くから絶叫が聞こえた。
何だよ、いいところなのに。
気付いたときには、俺たちのすぐ頭上にその塊は迫ってきていた。俺たちを覆うのに十分な大きさと重厚感。隕石みたいにゴツゴツしたものではなく、人工物のようだ。
何だって構わないさ。これは無理なやつだ。一秒後に俺たちは、潰される。
とても避けられる余裕はない。
俺は反射的に胡桃の体を抱きしめた。