『未観測Heroines #17』 小説/長編
♯17
――夢。
――これは、夢?
いや、もういい加減、気が付いている。
これは、ただの夢なんかじゃない。
夢の中にいながら、自分が何者で今がいつなのか、ちゃんとわかっている。
体が勝手に動き、口が勝手に言葉を発する。自由にならない体の中にいながら、意識だけが独立して動いている。
行動も。
言葉も。
そこに、自分の意志はない。
だって、過去は変えられないから。
きっと、これは、記憶の再生だ。
絵の具をかき混ぜたように、視界がぐるぐると回りだす。しかし色は混ざらず、やがて、一つの風景画を描いた。
幕が上がった。
僕――いや、俺の物語の一幕。
さあ、始まる。
鑑賞しよう。
そこは、古びた神社だった。
◇
境内に人はいなかった。神社と言っても、土地も建物も荒れ放題だ。最近、つまり現在の俺もこの場所に来た気がするのだが、とりあえず今は置いておこう。
隣には小さな頃の胡桃らしき人物がいた。歳は違ってもひと目でわかる。基本的に顔の構造は変わらないから。
俺達は二人ともランドセルを背負っていた。つまりこれは、小学生の頃の出来事だ。
閑散とした境内を吹く風は、冷たかった。
あのとき――胡桃とふたりで、山で遭難したしたときと同じだ。それに雨も降っていた。
時系列的には、洞窟の件のほうが前だろうか。少し、胡桃も成長したように見える。
小学生の俺たちの目的地は境内の奥にある古びた拝殿だった。建物の裏側にまわり、軒下を除くと、子猫が顔を出した。
◇
その子猫との出会いは、学校の帰り道だった。その日、俺は、気まぐれでいつもと違う道を通っていた。もしかしたら、近道でも発見できるかもとか考えていたかもしれない。
その途中でこの神社を見つけた。興味を持ってうろうろしているうちに、その子猫と遭遇する。
見つめ合うこと数秒。子猫は逃げなかった。
子猫は軒下に住んでいるようだった。捨て猫なのかなんなのかはわからない。俺はたまに、その神社に通うようになった。
学校の給食のあまりものを持ってきて、食べさせたりした。
もっとも、お腹をすかせていた様子はなく、もともと食い扶持はあったのだろう。子猫といえど足元は軽快で、フットワークは軽そうだった。
俺たちはすぐに仲良しになった。
子猫はしゃべれないから、考えていることを直接聞くことはできないけれど、ちゃんと気持ちは通じ合っているような気がしていた。
「僕達は友達だよ」
子供の俺は言った。
子猫は応えるように細い声で鳴いた。
◇
「うちで飼えるといいんだけどなあ……」
父さんや母さんにはそれとなく、探りを入れてみたりしたけれど、家で動物を飼うこと自体、無理っぽかった。
家で飼えると確信するまで、あまり大人には言わないほうがいい気がしていた。親にも、学校の先生にもだ。神社に行くことを禁止されるかもしれないし、もしかしたら、子猫がどこかに連れて行かれるかもしれないと考えていた。
「やっぱり無理そう?」
「うん」
「うちもね、飼えるといいんだけど……」
ピンク色のランドセルが揺れた。
いつの間にか、胡桃も、たまに顔をだすようになっていた。
彼女と一緒に下校することはあまりなかった。小学校に入ってしばらくすると、男子は男子同士、女子は女子同士で遊ぶことが多くなっていた。
「えへへー」
「嬉しそうだな。そんなにこいつが可愛いか?」
「うん、そうだねー。それに、五可ちゃんと一緒だしね」
「学校に行くときは一緒だよ」
「朝は……ふたりきりじゃないしね」
子猫の頭を撫でる胡桃。彼女も、すっかり、仲良しだ。でも、彼女の家でも買うことが難しそうだということは、うすうす感じていた。
これからもっと寒くなる、屋根はあるけれど、こんなところで、冬の厳しさを超えることができるだろうか。
◇
「まったく、君も酔狂だね」
少し遅れてきた幼なじみは、後ろから覗き込みながら言った。
「何が?」
「好き好んでこんな獣の世話をしたがることだよ」
喋り方が、独特だった。皮肉めいているのに妙に平坦なトーン。
「今日は君のほうか」
すぐに誰だかわかる。口調が変わっても顔が変わるわけではないから。
「ああ、僕だ。不服か? 別に、交代制ってわけじゃないんだけどね」
髪には、星型の髪飾りが光っていた。
あれ? でも、まだ、あるな。洞窟で土に埋めたはずだけれど。
「人のこと物好きっていうわりにほ、自分だって、給食の牛乳、持ってきてるじゃんか」
「こ、これは。うちのクラスで余ってて――それで、たまたま思い出したんだ、五可が神社に残飯処理機を隠してるってことにね。たまたまだぞ。これからは資源を大事にしないといけないサスティナブルな時代だからね」
小学生が難しい言葉を使う。サスティナブルって、こんなに前から言ってたっけ?
彼女が皿に牛乳を出してやると、子猫はペロペロとなめ始めた。
「うまいか?」
応えるように、ニャーとなく。
「顔がニヤけてるぞ」
「だ、誰が畜生など見てにニヤけるものか。でも、まあ、基本、動物なんかに興味はないが、一緒にいれば情もわく。可愛らしさを感じないことも、ない――ぞ」
言葉では何だかんだ言いながら、彼女のほうも子猫のことは気に入ってるようだった。
いつか言っていたコインの表と裏。
性格は真反対でも、根っこはつながっているのだろう。
「君のほうになら、はっきり聞けそうだ。***ちゃんのうちで、この子を飼えないかな」
「……五可も知ってるだろう。うちで、今、とてもそんな話はできないよ――っておい僕にならって、僕のことをいったいなんだと思ってるんだ。僕だって、両親の仲が最悪なのは、それなりに心苦しいんだぞ」
と、彼女は、無表情で言った。
もうすぐ、冬が来る。
◇
二学期が終わる日。
明日から、冬休みだった。
雪が降っていた。
家から古い毛布を持ってきて、例の軒下に入れてはいるが、そろそろ寒さも限界だろう。
俺は、この日、子猫を家に連れて帰ろうと思っていた。事前に話を通すより、もう、いきなり連れて帰って押し切ったほうが、確率は上がるような気がしていた。
しかし、終業式のあと、神社に子猫の姿はなかった。待ってみたけれど、その日は結局会えなかった。
そして、その日以降、その子猫には会えなかった。探しては見たけれど、子供の足には限界があった。
気落ちする俺に胡桃は言った。
「しょうがないよ。猫って自分が死ぬ姿を人に見せないって言うしね」
酷い言い方だと思った。もうひとりの胡桃のほうかとも思ったが、違う。髪飾りもしていない。胡桃は、続けて言った。
「大丈夫だよ。五可ちゃんには私がいるからね」
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