『未観測Heroines #9』 /長編
♯9
今の気持ちをどう表現しようか。ぶっ飛んだ状況に混乱しているとかいろいろあるが、やはり、悔しいというのが、本当のところだろう。俺を好いてくれていた幼なじみに相手にされなくなった喪失感から来る悔しさというか。
だから、無理筋とわかっていながらも、もしかしたらと思い、凝りもせず、朝家を出る胡桃に声をかけてみることにした。外で様子を伺っていた俺は、偶然を装いながら近寄っていく。
「よっ、学校、一緒に行かないか?」
それは――遅刻しないように胡桃を起こして、それから一緒に登校するというのは、日常だった。声なんてかけずとも、自然に横に並んぶくらいに。なのに、胡桃は実に白けた表情を浮かべた。
「そういうの、小学生の頃あたりでやめただろ」
「いや……たまには、どうかなと思って」
「悪いが、僕は一人で歩くのが好きなんだ。歩くのは思考に集中するのに向いているからね」
というわけで、あえなく撃沈。仕方なく一人で寂しく登校する。学校に到着して、自分の教室に入る。もし――だ。学校の他の友人、クラスメイトも胡桃みたいに性格が変わってしまっていたらと心配したが、そこは杞憂だった。さすがにそこまで破茶滅茶ではないようだ。
「なあ、C組の綾ノについてどう思う」
いつもと同じクラスの喧騒の中、そう、俺が話を振ったのは、よく雑談をするクラスの男子の鈴木だ。
「どうって、何がだよ」
「いや、何だろ、異性として?」
「どうしたんだよ急に、気持ちわりいな」
「どう思う?」
「可愛いと思う。でも、下手に近づくと怪我しそうだ」
「そっか」
俺の知ってる胡桃は、割と、皆からマスコット的な扱いを受けていたはずだ。愛されキャラというか。
「なんだ、お前、気があるのか」
「まあ、うん、そうなんだけど、告ったらいけるかなあ」
「知るかよ。いや、無理じゃねえか? 男どころか誰かとつるんでるの見たことねえし。でも、そういえば、お前家隣とか言ってなかったっけ? 幼馴染ってやつ?」
「まあ、一応」
「じゃあ、他のやつよりは有利なのか? わからねえけど――おっと」
担任の教師が教室に入ってくると、みな雑談をやめ、席についた。素行の良いクラスで結構なことだ。そしてホームルームが始まり、続いて今日のカリキュラム始まる。
数学、歴史と続いて、三限目、国語。
つまらない小説を読まされる、意味のわからない科目だが――それでも、一度読んだ文章くらいは覚えている。
いままさに、鈴木が読まされている教科書のページは、数日前に彼が読んだのとまったく同じ箇所だった。
いや、数日というのは俺の体感で、同じ日、同じ時間に、同じ出来事が起こっているだけのことなのだろう。
授業の内容。
黒板の文字列。
教師のつまらないようでいてそうでもない冗談も、記憶を再生するように、まったく同じだ。
一限目の数学も、ニ限目の歴史も、そうだった。
机の上に広げたノートに書いたはずだった今日の板書も白紙に戻っていて、なんだかとても残念な気持ちになった。
同じものをもう一度書く気が起きず、ペンを置く。
ふと目を外に向ける。
授業がつまらないときに、外の風景を眺めることができるのは、窓際の席の特権だ。2階から見るグラウンドが、面白いかと言われれば微妙だが、それでも、気を紛らわすことはできる。
どこかのクラスが体育をしていた。よそのクラスのカリキュラムなど覚えているはずもないが、まさにその中に胡桃がいる。ということは、2年C組だ。
女子がサッカーをしていた。
あまりやる気がないらしく、胡桃はポケットに手を入れて突っ立って、来たボールを適当な方向に蹴り返していた。
胡桃……。
そして、考える。
ここに来て、ようやく落ち着いて、今の状況を分析してみる。
どうやら、時間が巻き戻っているのは確かなようだ。信じられないことだが、疑いようもない。
あの日――体感的には数時間前のことだけれど、部屋に突然現れた、天使だか猫だか、少女だかは言った――生きた胡桃ともう一度会える、と。これは、間違いなかった。胡桃が死ぬ前まで時間が巻き戻った。
ここまではいい。というか、まさに奇跡だ。しかし、問題があって、それは胡桃がキャラ変してしまったということだ。そういえば、部屋の内装も違ったな。無骨というか、質素というか、はじめ、おっさんの部屋と間違えたかと思ったくらいだ。
そして、一日が終わる。
性懲りもなく、胡桃に声をかけようかとも思ったが、やめておいた。いや、もともと、一緒に家に帰るとかはしていなかったけど。
一人で歩いて家に帰りながら、これからのことを考える。
胡桃は生き返った。いや、死んだという事実が消えたのか。
確かに今は現実で。
いっそ、俺の記憶にある胡桃が夢だったんじゃないかとすら思えてくる。となると、俺は想像の中で都合のいい幼なじみを作り出して、想像の中で交際していた最高に気持ちの悪いやつということになる。
もちろん、そんなことはないと信じたいが、いずれにせよ、今ある現実を見るべきだ。
俺はどうすべきか。
あのツンツンした胡桃と仲良くなればいいのだろうか。
そうだな。よし。いつかきっと、前みたいにデレさせてやる――いや、待て。何か重要なことを見落としている気がする。
そうだ。『あいつ』が言ったあの言葉。『胡桃を救うことができる』みたいなことを言ってなかったか。今の状況がそれなのか、それとも――
もやもやしたまま、帰宅。
自分の、部屋の扉を開けると、
「お帰りなさいませ、ご主人様――にゃ」
と、胡桃が死んだことが夢でも妄想でもなかった証拠が、俺のベッドの上に鎮座していた。