『未観測Heroines #6』 /長編
♯6
「出ていってくれ」
今までの冗談のようなやりとりとは違う声のトーンの冷たさに、自分で驚く。でも、率直に頭にきたのは確かだった。
怒りが伝わっていないのだろうか。猫耳の少女は飄々とした様子だ。馬鹿にするように(と感じるだけかもしれないが)、尻尾が波打っている。
「気に障ったのか? そりゃあ誰だって死ぬのは嫌だろうけど、ついさっき自分で捨てた命じゃないか」
「そうじゃない! 胡桃と会えるなんて、簡単に言うな! 胡桃は――」
不思議そうに俺を観察する猫耳少女。
「死んだんだ……」
「? わたしとしては良い話を持ってきたつもりだったけど、五可は気に入らなかったようだにゃん」
どうやら、俺の名前は知っていたらしい。まあ、いろいろ事情通らしいからな。
「つまり、死んだら会えるよって、そういう皮肉じゃないのか?」
「さすがのわたしも、そんな酷いことは言わないし、自殺を止めてまで、わざわざ言うことでもないにゃ」
「まあ」
「にゃんにゃん。でも、確かに説明が足りなかったにゃ。それは謝るにゃ」
「いや」
素直に謝られると、困る。
「じゃあ、本当にあの世っていうものがあって、そこで胡桃と会えるっていうことか?」
「そんなこと一言も言ってないにゃ」
「じゃあ、殺されるっていうのも何かの喩えで――」
「いや、そこは死んでもらうにゃ」
「いや、わっけわかんねえんだけど」
「どうせ説明しても信じないにゃ。それくらい信じられないことが起こるにゃ。それからじゃないと理解――いや納得ができないだろうから、今はあえて説明しないにゃ。でも、ひとつだけ言うと、君に文字通り死ぬ覚悟があれば、生きている彼女にもう一度会えるし、やりようによっては彼女を救うことができるにゃ」
胡桃を……救う?
「詐欺にしても下手だな。説明もなしに、いきなり現れた怪しいやつの言うことを鵜呑みにして、命を差し出すなんて、どんな変態だよ」
「でも、さっきは、タダで命を捨てようとしてたにゃ。君にとって、信用に値しない話だというのはわかる。でも重要なのは君が、
どうせ一度捨てた命を、例え一縷の望みだろうと、可能性に賭けることがてきるかどうか、ということにゃ」
「……」
「自殺は逃げにゃ。逃げるために人生を投げられるのに、彼女を助けるために命を張れないにゃん?」
「そんな無茶苦茶な」
滅茶苦茶だし、きっとこいつは話し下手なんだろうけど、言ってること自体は正しい気もした。
こいつに助けられなければ、タダで命を失っていたのだ。そんなことをするくらいなら、こいつの下手な口車に乗ってもいいんじゃないか。それが失敗だったとしても、当初の予定通り、俺が死ぬだけだ。
「繰り返すが、あえて説明はしないにゃ。余計嘘くさくなるからにゃ。期限は、そうだな、明日の夜までにゃ」
「その前に、ひとつだけいいか?」
「何?」
「その耳触らせろ」
「え?」
戸惑う彼女の耳を触りにいく。
「ちょ、くすぐったいにゃ」
散々猫耳少女だなんだと表現しておいて今更という気がするが、これだけは確認する必要がある。
「ふ、ふにゃー」
一応、本物っぽいとは言ったが、まだ特殊メイク的に作られた偽物という可能性もある。こいつが、普通では考えられないファンダジックな存在であるということは、この取引の最低条件だ。
「シャー!!」
ロープを切断したと思われる爪で、顔面を引っかかれる。うん、こっちも本物らしい。
「わかった、今すぐでいい。殺せ」
俺は覚悟を決めた。
「女の子の耳を許可なく触るなー!!」
「いや、必要な儀式だったんだ」
そのおかげで、決心できたのだから。
とはいえ、こんなわけのわからない提案を受け入れるあたり、やっぱり俺の今の精神状態は変なのだろう。そして、どこかでもう、死んで終りにしたいという気持ちもあるのだろう。なら、今の不安定な精神状態のまま――明日なんて、どう心変わりしているかわからないから。
「よくわからないけれど、じゃあ、とりあえずそこのベッドに横になるにゃ」
「?」
言うとおりにする――しかない。
ベッドの上で仰向けに寝そべると、その上に、猫耳少女が覆いかぶさってきた。
「君を殺して、出てきた魂を私が捕まえるにゃ。本当は別に殺される必要はないんだけど、さっきみたいに自決してもいいんだけど、自分で死ぬのは苦しいにゃ。私なら、やさしく殺してしてあげられるにゃ」
「ああ、それはとても助かるよ」
「それに、下手に死なれると、魂を取り逃す可能性があるにゃ。そうなれば死に損にゃ。だからこうにゃ」
ぐぐぐっと、顔面が、近づいてくる。
垂れ下がってきたきた髪が顔をかすめてくすぐったい。
半開きになった口の隙間から、でかい犬歯が見えた。いや、猫だから犬歯とは言わないのだろうか。
「おい」
顔面がぶつかるんじゃないかと思ったが、その直前で、交差するように斜めに進路を変える。お互いの頭部が、隣り合う形になる。
体温を感じるほど、体は密着している。
猫耳少女はくんくんと俺の首元で鼻を鳴らした。
「汗臭いにゃ。ちゃんと風呂に入っているのかにゃ?」
「余計なお世話――」
がぶりと。
首元に噛みつかれる。
「!!」
皮膚を突き破り牙が肉に食込んでくるのが感触でわかる。そして十分に肉を捕まえたら、今度は引き千切りにかかる。
血管ごと。
俺は獣のような断末魔をあげた。
水道の蛇口を捻ったように血液が流出しているのがわかる。
嘘つき。
めちゃくちゃ痛いじゃないか。
しかし、痛かったのは最初だけで、すぐに麻酔を打たれたように、眠気が押し寄せてきて、気が遠くなってくる。
強制シャットダウンみたいだなと思った。
どうにか再起動できますように。
大量の血を浴びながら猫耳少女は呟いた。
「ゲームの始まりにゃ」
◇
――――。
目覚めたのは自分のベッドの上だ。
あれ、俺どうしたんだっけ?
ベッドからおり、机の上に置かれたデジタル時計で日時を確認する。
――――!?
午前7時。
それは、いつもの起床の時間だ。
問題は日付。
11月22日。火曜日。
胡桃が交通事故で死んだ日の一日前だった。