『未観測Heroines #5』 /長編
♯5
「爪もあるにゃ」
と、その闖入者は空中を握るように指を曲げながら言った――俺が、彼女の獣のような耳と尻尾をまじまじと観察していることを受けての言葉だろう。
『にゃ』という接尾語から推察するに、獣のパーツは『猫』のそれなのだろう。そして、それらは作り物には見えなかった。
猫耳の少女は背中まである長い髪を揺らせながら、じっと俺を見下ろしていた。何か言葉を返すのを待っているのだろう。
けれど、反応に困る。
まるで、状況がつかめない。
いや、或いは俺は死んでいて、ここはすでに死後の世界なのかもしれない。一見、俺の部屋にいるように見えるが、意外と死後の世界なんて、現世の裏側のようなものなのかもしれない。
そう考えたほうがいろいろと辻褄が合う。とすると彼女の正体は……
「なるほど、死神というやつか……」
「どこを見たら、そう見えるにゃ? 猫耳の死神とか、普通いないにゃ」
「いないこともないと思うけど」
いや、デザイン的にはあるだろうということで、現実には死神も猫耳も存在しないと思っていたのだけれど。
猫耳の少女は一転してアンニュイな表情を浮かべ、低い声で言った。
「なるほど、死神というやつか……」
「何、今の」
「君の真似にゃ。厨二病入ってるにゃ。漫画の読みすぎにゃ。気持ち悪いにゃ」
「うん。いろいろ言いたいこととか聞きたいことはあるけれど、とりあえず出ていってくれ」
俺は立ち上がり、猫耳の少女に詰め寄った。
「だいたいお前、どこから入ってきた。ベランダか? ベランダだな」
ぐいぐいと窓のほうに押しやっていく。
「ちょっと待って。わたしは君に話があってきたにゃ」
「うるさい、出てけ、死神」
猫なら、どうせベランダから侵入したのだろうと思っていたが、あいにく掃き出し窓には鍵がかけられていた。猫耳の少女は素早く俺の体を躱し、部屋の入口側に回り込んだ。
「だから死神じゃ……まあ、確かにそういうふうに思われても仕方がない状況かもしれないけど。でも違うにゃ。むしろ逆にゃ。あえて言うなら……とりあえずは天使のようなものだと思っておいて貰ってかまわないにゃ」
「猫耳の天使がいるか」
「……」
「とにかく、お前が何者かは知らないが、今は遊びに付き合う気分じゃないんだ」
「確かに、見るからに元気がないにゃ。セミかなんかの抜け殻みたいにゃ。でも、だとしても――」
少女は人差し指をピンと立てた。
「自殺は駄目にゃ」
そうだ。
俺はたった今、自ら命を断とうとしていたんだ。それを止めてくれた、大げさではなく、命を救ってくれたのは事実だった。
「うん、確かに駄目だ。気の迷いってやつだ。どうかしてた」
とはいえ、あのまま死んでいてもよかったと、やはり心のどこかで思っている。
確かに何日か前には、人生の絶頂のような気分を味わっていた。何もかもがすべてうまくいきすぎていて、調子に乗って、万能感があって。
そこからどん底へ突き落とされて。
その振り幅に、心が耐えられなかったのだろう。
「まあ、無理もないにゃ。交際して間もない、というか付き合いだして次の日のデート中、目の前で彼女に死なれたら、そりゃ落ちるにゃ」
「――?」
「しかも、ずっと好きだった幼馴染の女の子にゃ。ずっと一緒にいようと思っていたのに、守ってあげられなかったにゃ」
一瞬怒りのようなものがこみ上げるが、彼女にあたるのは筋違いだろう。すべて事実、俺が情けないというだけの話だ。でも、
「――やけに詳しいな。なぜお前がそんなことまで知っているんだ?」
それこそ、俺の心まで見透かしたように。
「それは、わたしが天上の存在だからにゃ。天の上から見てたにゃ」
「お前は、一体何者なんだ」
「やっとわたしに興味を持ってくれたか? さっきも言った通り、天の使いのようなものにゃ」
「俺に用があると言ったな?」
「やっと本題にゃ。落ち着いて聞け」
やれやれと。
息を吐く。
「今から、大人しく私に殺されろ。そうすればまた、君の大事な幼馴染に会わせてあげる――にゃ」
と、猫耳の少女は死神のようなことを言った。