がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『未観測Heroines #3』 /長編

 

♯3

 

 最寄りの駅から電車に乗り込み、数駅移動する。ショッピングモールが併設された駅を出ると、人で溢れていた。色々な店や施設が立ち並んでおり、俺たちが住む街に比べれば、はるかに都会だ。

 とはいえ、昨日の今日だ。念入な計画やシミュレートなどはもちろんなく、俺達はぶらぶらと街を散策することにした。

 気になる店に入ったり、自分たちの街にないファストフードを食べたり、流行りの映画を見たりした。

 とりたてて特別なことではない。何なら交際を始める前にも2人で同じようなことをしたこともあるが、そこは気持ちの問題だろう――胡桃は終始楽しそうだったし、俺も顔がニヤけるのを抑えるのに必死だった。

 

 午後5時。夕方。

 すでに辺りは薄暗い。11月も終りに近づいている。日が落ちるのもすっかり早くなった。

 今から電車に乗って帰ると、ちょうど夕飯に間に合う頃だろう。俺達は並んで駅に向かって歩いていた。

「ねえ、五可」

「ん?」

「今日って、何の日だか知ってる?」

勤労感謝の日だろ?」

「ううん」

 胡桃は首を振る。

「うん? 合ってるだろう。だから今日は学校が休みで、こうして出かけられてるんだから」
 いや、休みには違いないが、もしかすると、『勤労感謝の日』というのが勘違いで、他の祝日だったのかもしれない。スマートフォンで、カレンダーを確認する。いや、合ってる。

「私が言ってるのはそういうことじゃないよ」

「ほかに何かあるのか?」

「わからないの?」

 表情はにこにこしていたが、声のトーンが不服そうだった。何だかわからないけど、このままじゃまずい予感がした。男の勘だ。

「ヒント」

「山。そから……雨」

「ああ」

 思い当たった。それこそ今朝夢で――

「子供の頃、2人で山で迷子になったことあったな」

 というか、はっきり言って遭難だ。一歩間違えれば大惨事だった事件だ。

「そう、それそれ」

「でも、それが今日と関係あるの?」

「あの日がちょうど勤労感謝の日だったんだよ。確か土日と合わせて連休で、うちと五可の家族で一緒に旅行に行ったんだよ」

「あー、そうだったか」

 そこら辺の詳細はさっぱり覚えていないが、うちの家と胡桃の家で家族ぐるみの付き合いがあったことは覚えている。

「忘れちゃったのかと思ってたよ」

「正直、昔のことだしな。忘れてたというより、思い出さなくなったというか」

「私にとっては大事な思い出だよ」

「そうなの?」

 どちらかというと、トラウマになりそうな出来事だ。

「あの時からじゃないかな、五可と近い距離でお話するようになったのは。だから、少なくとも私にとっては記念日なんだよ」

 今まで内緒だったけどね、とはにかむ胡桃。

 そう――だったか。小さい頃からずっと仲良しだった気がするが、昔の記憶だしな。あの一件自体を忘れていたのだから、俺はあまり記憶力が良くないらしいし。

 まあ、それはそれとして、

「……あの時、何か約束した気がする」

「五可……?」

「なんだっけか」

 ふいに、胡桃の手が、俺の手を包んだ。

「ずっと手をつないでてくれるって、約束したんだよ」

「そっか」

 そんなことを言った気もする。

 うん、きっとそうだ。

「そう、ずっと、だよ」

 そして、手を繋いだまま、駅に向かって歩き出す。

 手と手のつなぎ目から、幸福感が広がってくる。

 懐かしい感じがした。

 あの日感じた気持ちと同じもの。

 この手を離さない。

 離したくない。

 初めての恋人という存在に――長年の恋の成就に浮かれていることはわかっているが、この一時かもしれない感情に一生を捧げてさえいいとさえ感じる。

 


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 駅の前まで着いた。胡桃は立ち止まる。

「どうしよう、五可」

「どうした?」

「帰りたくないよ」

「そろそろ電車乗らないと遅くなるぞ」

「帰らない」

「子供かよ。帰らないなんてことができるか」

 胡桃は俯いていて、表情がよく見えない。

「そこら辺で泊まればいいよ」

「え? ああ、まあ」

 帰らないから泊まる。それだけのことだ。おかしな想像を打ち消す。

「行こ?」

 踵を返して駅に背中を向ける。

 手は繋いだまま。

 駅前の大通りから路地に入る。

 おっさんが赤飯作って待ってるぞ、とずれたことを言いつつ、明日食べればいいよと、いう返答を聞きつつ。

 細い道。

 歩道もないような路地だ。

 辺りは薄暗い。

 向かう先は、色とりどりにきらめいていた。

 信号もない交差点を渡る。

 俺たちはどこに向かっているのか。

 俺たちの関係はどうなってしまうのか。

 わからなかった。

 でも、どうなってしまってもいい。この感情に身を任せてもいい。

 そう、感じた。

 

 ふと、視界を何かが横切った。

「ちょうちょ?」

 胡桃も同時に振り返っていた。

 黒い蝶々が舞っていた。蛍光塗料でも塗っているのかと思うほど、キラキラと輝いているのが不思議だった。

 そして、どこかで見たことある気がした。脳が勝手に記憶を探り始める。

(さあさあおいでよ、フシギな蝶々)

 確かあの山で。

(あっちに行ってよ、フキツな蝶々)

「胡桃?」

 胡桃はふらふらと、蝶々を追いかけていっていた。気がつけば、つないだ手は、解けていた。

「おい、危ないぞ」

 とは言え、そんなに大きな路地ではない。車もめったに来ない。

 いくら交差点にふらっと侵入したとしても。

 だから、運が悪かったのだろう。

 逢魔が時とか言うもんな。

 

 その日、そこからの記憶はない。

 ほんとうにすっぽりと。

 消えている。

 小さい頃からずっと一緒にいた幼馴染――

 寝起きが悪くて、

 小動物みたいに顔を綻ばせて、

 ずっと手を繋いでいたかった幼馴染は――

 綾ノ胡桃は――

 2022年11月23日。

 午後5時30分。

 交通事故で死亡した。