がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『未観測Heroines #2』 /長編

 

 ♯2

 

 

 

 

 綾ノ胡桃(あやのくるみ)――隣の家に住んでいる幼馴染。

 派手なというか、わかりやすい美人ではないが、小動物みたいな可愛らしさがある。そして、無害で控えめだ。

 天然ぎみで、いつもふわふわとしている。それでいて、根が優しく結構気を使うやつだったりもする。

 そんな幼馴染と俺――伊津五可(イヅ イツカ)は、昨日から恋人同士になったらしい。

 とはいえ、これまで蓄積してきた関係が振り出しに戻るわけではなく、今日もいつものように寝起きの悪い幼馴染を起こしに来たのであるが、胡桃は一度起こしても、油断ならないところがある。油断するとどうなるかというと、二度寝してしまうことが往々にしてあるのだ。

 でも、今日は、目がしゃんとしているので大丈夫だろう。胡桃も目が覚めたようなので、俺は『あとでなー』と言って、部屋を出る。

 出るときに、朝飯を一緒に食べないかと勧められたが、それは遠慮しておいた。階段を降りると、エプロン姿の男が廊下に顔を出した。

「おう、毎朝ご苦労さん」

 茶色がかった髪をしていて年の割に垢抜けた印象だが、エプロン姿とはミスマッチだった。人によってはギャップ萌えを感じるかもしれない。オタマとか持たせれば完璧だ。

「ああ。別に大したことじゃないよ」

「しかし、よく考えたら、今日は祝日だよな。てめえが、いつもどおりの感じで来るから、勘違いして早起きしちまったじゃねーか」

 いい年して、砕けた喋り方である。お堅いサラリーマン然としたうちの父とはまるで違う人種だった。なのに、わりと深めの親交があるようだから、不思議なものだ。そういえば、この男は一体なんの仕事をしてるんだろうな。

「いいじゃん、おっさん。早起きは三文の得っていうし」

「馬鹿言え。せっかくの休みなのに、ゆっくり寝ねえなんて、むしろ人生損してるだろ」

 娘と同じようなことをを言う。

「それに、そのおっさんていうのどうにかならねえか。俺まだ若いだろ」

「高校生の娘がいるじゃん」

「気持ちは若えんだよ。まあ、いいけどな。さて、起きちまったもんは仕方ねえ。お前もたまには飯食ってくか?」

 そこも胡桃と同じ。

 たまには、か。確かに昔はよく、一緒に、この家で朝食を囲んだけれど――俺と胡桃とこの男の3人で。

 その機会が減ったのは、人の家庭にお邪魔するのに居心地の悪さを感じるようになったから――つまり、俺が成長してしまったからだ。

「いや、遠慮するよ。このあと用事があるんだ」

「お、そーか。そーすると、胡桃も一緒なのか?」

 平日でもないのに俺が胡桃を起こしにきたことに、納得のいく説明を見出す。

「ああ。今日は一緒に出かけることとなってるんだ」

「ふーん。休日まで一緒なんて珍しいな。それこそお前らがチビだった頃には四六時中一緒にいたもんだが。へー」

 何か違和感を感じたようで、考え込んで、

「まさか、お前ら何かあったのか?」

 と、勘を働かせる。

「な、何かって、何だよ。そんな曖昧な聞き方されても」

「ほら、お前らももういい歳だ。お年頃だろう。つまり、何だ、男女のあれとか、いろいろあるだろ。いや、ねえよな」

「ああ、別に何もないよ」

 本当は、隠すようなことでもないのかもしれないけれど、タイミングというものもあるだろう。

「口元がにやけてるぞ。おいおいマジかよ。いつの間にそんなことになってんだよ」

「だから何もねえって。落ち着けよ、お父さん」

「キショい呼び方すんな! いや、俺が悪かった。おっさんでいいから、なっ!」

 

 


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 と、男の粗雑な会話の中、あれー? と綺麗な声が交じる。

「五可、まだいる。やっぱりご飯食べてくの?」

 階段から降りてくる胡桃。先程から格好が変わっている。寝間着から外着に着替えていた。

「おい、胡桃。こいつ、俺のことお父さんなんて呼ぶんだぜ。おかしいよな」

「五可……。お父さんのことをお父さんって呼ぶのは、流石にまだ早いっていうか……」

 赤くなって俯く胡桃。

 娘の成長を目の当たりにした父は、目を閉じ、葛藤し、悟り、そして諦めるように呟いた。

「畜生。今日は、赤飯だな」

 

 ◇ 

 

 午前9時。

 待ち合わせ場所――といっても伊津家と綾ノ家の家の前の道――に現れた胡桃は、少しだけいつもと雰囲気が、違っていた。

 白いニットに下は濃い色のロングスカート。清楚かつ女の子的な可愛さのあるファッションだ。

 いつもより、というか、先程より少しだけ大人びて見えるのは、薄く化粧をしているからだろう。

 うん。これはデートというやつだな。

 改めて認識する。

 一緒に出かけるとか、いろいろな言い方をしてきたが、もう誤魔化せない。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 幸せそうに微笑む胡桃。

 ――――?

 胡桃の顔がぐにゃりと歪む。

 いや、歪んだのは俺の視界のほうだ。

 認知機能にノイズが混ざる。

『――――は――――な――』

 そこにいたのは、胡桃だが、胡桃じゃない。

 見下すような冷たい目。

 ロボットのように平坦な口調。

『まったく、君は阿呆だな、五可』

 こんな言い方を、おれの知ってる胡桃はしない。

 これは記憶? それとも妄想? 夢?

「どうしたの?」

 異変を察知した胡桃は不安そうに聞いてくる。ノイズは実のところ一瞬で、目に映るのはいつもの胡桃だ。

 これも今朝の夢のせいだろうか。

「いや、何でもない。行こうか」

 気にするほどのことでもないし、するべきでもない。これから、ずっと好きだった女の子と、初めて異性としてデートするのだから。

 まあ、過ぎてしまえば本当に取るに足らない違和感みたいなものだった気がする。気のせいといってもいい――実際、3歩くらい歩いたあと、この白昼夢はすっかり忘れてしまったのだから。