がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『消えた家族 #2(最終話)』 /ホラー

 

 

 #2

 

 良太が大怪我をしてしまった。

 そして、俺の頭に最初に浮かんだのは「妻に怒られる」だ。妻は怒ると、とても怖い。

 だから、今回の事故は何としても妻には隠し通さなければならない。良太に怪我をさせてしまったことを知れば、妻は怒り狂うだろう。

 もっとも、怪我をさせたというのも何かおかしな表現だが。実際は、良太が勝手に遊具の高い所に登って、落下して怪我をしたのである。なのに親が見ているときにその事故が起これば、それは親のせいというような話なら、釈然としない。

 何にせよ。

 開いているうちに病院へ良太を連れて行って、治療を完了してもらわなければならない。しかし、うまく治療が終わったとして、それは怪我を隠し通せることを意味するだろうか。包帯ぐるぐる巻きとかでは困る。

「誰か救急車は呼んだのか!?」

 ギャラリーの1人が叫んだ。大事になるのはまずい。救急車がサイレンを鳴らしながらやってきて、慌ただしく救急隊が駆けつけてしまう。

「いや、俺が自分で病院に連れて行く」

「でも、その子もう……」

 別の人が言った。俺は大声を出して続きをかき消した。俺は茶色に変色しつつある良太を抱きかかえて、駐車場に停めてある車に向かった。

 その整形クリニックは馴染みの町医者だった。ちょうど今日の診療を終えるところだったらしく、入り口のカーテンが閉められようとしていたが、ぎりぎりで駆け込むことに成功した。

 診察室のベッドに寝かされた良太を見下ろして、初老の医者は面倒くさそうに言った。

「妻にわからないように治療しろってったって、あんた。この子もう、死んでいるよ」

 それは、薄々感じていた事態だった。

「それは困る。どうにかならないか?」

「ゴットハンドでも無理だよ。死人を蘇らせるのはね。だから早く奥さんを呼びなさい」

「妻を呼ぶ!? とんでもない!」

「とんでもないのは、あんたの頭だと思うが」

「だいたい、妻を呼んでどうしようと言うんだ」

「この子の死体を引き取って貰うんだよ。あんたは少々混乱しているようだからね。このままこれを置きっぱなしにされては困る」

「妻がこのことを知れば俺は殺される。死体が増えるぞ」

 医者は答えず、看護師に合図を送った。看護師は頷いたあとに奥の部屋に移動した。

「彼女は何を?」

「あなたの奥さんに電話をかけに行ったんだよ」

「馬鹿な! 俺の話を聞いてなかったのか。大体なぜ妻の電話番号を知っている!?」

「患者の緊急時の連絡先くらい、記録してあるさ」

 しばらくして、青い顔をした妻が駆けつけた。妻は良太の亡骸を見ると泣き崩れた。

 そして、すぐに俺に感情の矛先が向く。

「あなたは一体何をしていたの!? なぜちゃんと良太のことを見ていてくれなかったの!?」

「すまん、考え事をしていた」

 俺は正直に答えた。

「考え事?」

「そう。俺に考え込む癖があることは君も知っているはずだ。実は良太が事故にあったとき俺は頭の中で、地球温暖化で南極から氷がなくなるとペンギンは空を飛び始めるという仮説を立てていた」

 視界が点滅した。

 俺は妻に眉間を殴られた。

 悶絶する俺の上にのり、妻は続けて鉄拳を振り下ろした。

「おい。やめてくれ!」

「馬鹿じゃないの! 馬鹿じゃないの!」

 妻は悪魔に取り憑かれたように狂乱していた。そして、顔は鬼の面のようだった。

 力いっぱいに殴りつけられ続ける。助けてくれと医者に目を向けたが、医者は冷めた目で僕らを眺めていた。

 ひたすら殴られ続け、やがて俺は意識を失った。

 次に目覚めたときには、俺の目に妻の姿が映らなくなっていた。

 妻にタコ殴りにされ、脳に障害が出た可能性も否めないが、きっと罪の意識に耐えられなかったのだと思う。あえてとぼけた感じで語ったが、俺も普通に普通の人間なのだ。不注意で子供を死なせてしまったこと。子供を妻から奪ったこと。その事実が重すぎて、心が耐えられなかったのだろう。きっと。そう信じたい。

 妻に呼びかける。

「謝ったところで取り返しがつかないのはわかっているけれど、本当に悪かったと思っている。だから、そろそろ出てきてくれよ」

 広いリビングに、独り言が響いた。

 

 ◇

 

 インターホンがなる。意識が思考の海から浮上する。楽しみの邪魔をされて苛ついた。

 無視をしようかとも思ったが、インターホンは何度も四畳半に響き渡った。

「やれやれ」

 俺は諦めて、玄関先に出ることにした。どうせまた家賃の催促かなにかだろう。

 俺はタバコを灰皿に押し付けて、火を消した。

 

 終