がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

全2話『消えた家族 #1』 /ホラー

 

 

 #1

 

 タバコに火を付る。煙を肺に満たし、俺は目を瞑った。鼻から煙を吐き出すと、意識は思考の海に沈んでいった。

 

 ◇

 

 昔から考え込む癖があった。暇さえあれば、頭の中であれこれ考えている。政治、社会、人間、哲学。考えるテーマはいくらでもあった。そのような立派なものでなくても、無意味な想像や妄想でもいい。いくらでも暇を潰せ、いくらでも楽しめ、それでいてコストのかからない、優れた遊びだ。

 もっとも、ひとつだけ欠点があり、それは周りが見えなくなることだ。集中し過ぎるというのか、本来注意を払うべき身の回りのことが、疎かになってしまう。交通事故に会いかけたことも一度や二度ではない。

 広い家で一人きり。

 物の少ないリビングのソファに座り、思考を続ける。

 このような広い空間に一箇所にずっと留まり、時間を過ごすというのは、もったいない気持ちになる。家は二階建で部屋も複数あった。家族数人で住むのを想定された設計である。

 では、なぜ、こんなに広い家に俺は一人でいるのか。実は以前は家族と一緒に住んでいたのだ。

 そして、家族は今もここにいるはずだ。

 続けて真逆のことを言ったように思われるかもしれないが、矛盾はしていない。説明すると、俺の脳が家族をいないものと認識しているということだ。

 この家には妻がいるはずだ。ただ、俺の脳はそれを認識しようとしない。視神経が妻の像を脳に送っても、脳がシャットアウトしてしまう。ゆえに、俺の意識下においては、妻の姿は見えないのだ。同じことが聴覚でも、嗅覚でも、触覚でも起こる。なので、俺には妻の存在が認識できない。

 だから、本当に妻がまだこの家にいるのかは、実のところわからない。確認しようがないのだ。とっくに出ていっていて、正真正銘俺はこの家に一人で住んでいるのかもしれない。

 この現状は、あまり他人に話すべきではないとはわかっているが、この間のことだ――つい口を滑らせてしまった。久しぶりに会った親戚のおじさんと酒を飲んでいたときのことだ。結婚だとか家庭だとかの話になったので、つい話てしまったのだ。

 おじさんは、俺を天然記念物でも発見したかのような目で見たあと、黙り込んでしまった。そこからはすっかり場が冷めてしまい、申し訳ない気持ちになった。無理もない。やはり、人に話すべき話ではなかったのだ。

 こんな奇妙な事態になったのは、ある事件がきっかけだ。あれは暑い日のことだった。

 

 ここでもう一人、登場人物を紹介しよう。名前は良太。3歳の男の子で、俺と妻の子供だ――当時、3歳だった。

 ここで、不思議に思う方がいるかもしれない。先程、妻が見えなくなったと語ったが、そこに子供の存在は出てこなかったじゃないかと。

 この時点で、良太について良くない結末を想像する方もおられるかもしれないが、安心してほしい。そんなに、想像からは遠くないはずた。

 話を戻そう。

 ある暑い日のこと、俺は良太を公園に連れて行った。休みの日くらい子供の相手をしろという妻の主張だか要求だか命令だかを受けてのことだった。

 良太は体は小さかったが、元気な子どもだった。活動的で身体能力は高いほうだと思う。だから、遊具の高いところにも平然と登っていく。

 俺はそれをいつも、下から眺めている。本来であれば小さい子供には保護者が付いているようにと注意書きがあったが、良太に限っては大丈夫だろう。身体能力は高いし、俺に似て集中力もある。それに、いちいちアスレチックのような遊具の上を、子供についていくのは俺の体力が足りない。

 俺はタバコに火をつけた。気がつけばいつものように考え事をしていた。

 今日はとても暑い。これも地球温暖化の影響だろうか。このまま世界の平均気温は上がり続けるのだろうか。暑いというと条件反射的に嫌なものだと思ってしまうが、考えてみれば、好き好んでサウナに行く人もいるのだ。それに逆に冬は暖かくなると思えば、温暖化も悪いことばかりではないのではないだろうか。南極の氷が融けるとペンギンは住む場所を失ってしまい、ペンギンには気の毒なことだが、俺は暑いより寒いほうが苦手だ。そういえば、忘れがちだがペンギンは鳥だ。どういうわけか、飛ぶのをやめ、氷の上で生活するように進化しているが、鳥だ。案外、氷の地面がなくなったら、再び進化して、空へはばたいていくのではないだろうか。

 空飛ぶペンギンの群れを想像していると、悲鳴が聞こえた。殺人事件でも起こったのかというような金切り声だった。

 ふと、我に返った俺は、先程まで良太が遊んでいた場所に姿が見えないことに気が付いた。殺人事件よりも我が子のことを気に掛けているのだから、まったく俺は良い父親だ。

 良太を探し視線を動かすと、遊具の下に子供が倒れているのに気が付いた。おそらく遊具から落下したのだろう。打ちどころが悪かったのか、頭から結構な量の血が溢れ出ていた。となると、先程の悲鳴は、この事故を目撃してのことだったのだろう。

 人がその子供に駆け寄ってくる。よく見るとその子供は良太と同じ服を着ていた。俺は絶叫した。

「良太あああ!!」

 タバコの火を踏み消し、人だかりに割って入る。

 

 良太を抱き起こす。

 良太は、白目を向いており、鼻孔から血を流しており、そしてピクリとも動かなかった。