がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『素晴らしき人生をあなたに #7』 /なんちゃってSF

 

 

 #7

 

 初め、何ごとかと思って慌てふためいた。何しろ、突然目の前に女の顔が浮かび上がったのだ。

 が、すぐにそれが、スクリーンに映った小嶋の姿であると理解し、状況を把握する。

 把握して、そして、不快な気持ちになった。

 自分がどこから来て、そしてどういう存在なのかを思いだしたからだ。

 が、それは不当なことだとすぐに考え直した。だってそれは事実だから。彼女は自分を救ってくれた恩人だ。今の状況を感謝こそすれ、非難する道理などあるものか。

「お久しぶりです、小嶋さん。ちょっと待ってください。表に出ます」

 一郎は、キッチンで洗い物をしていた妻に声をかけてから、玄関を開ける。

 10年前の記憶によると、スクリーンは一郎以外には見えないということだったが、小嶋との会話を家族に聞かれるのはまずいと考えた。

 家を出た向かいに小さな公園がある。一郎は、その公園に踏み入りベンチに座る。辺りには誰もおらず、しんと静まり返っていた。

「うまくいっているようですね」

 小嶋は相変わらずの明るい調子で言った

「ええ、とてもうまくいってます」

 一郎は、力強く答えることができた。

「それは、よかったです」

 一郎の目線の先、半透明のスクリーンの先には家族と暮らす新居があった。先ほどの不快な感情はもうなかった。むしろ、小嶋と再開することで、以前の酷かった自分の人生を思いだし、今の幸せのありがたみを、改めて認識することができた。

「すべては、小嶋さんのおかげです」

「竹林さんが頑張ったからですよ」

「いえいえ。小嶋さんには感謝しています。あの日、小嶋さんが来てくれなかったら、俺はまだ、あの小汚いアパートで寂しく暮らしていました。いや、もしかしたらすでに死んでいたかもしれない」

 同窓会に来たときみたいにテンションが上がる。

 考えてみれば、一郎がこの話題をするのは初めてのことだった。感謝や喜びを伝えようにも、その相手がいなかった。

 小嶋はにっこりと笑った。

「じゃあ、もう処分しても大丈夫ですね」

「アパートですか?」

「いえ、竹林さんの体ですよ」

 一郎は10年前の記憶を辿った。

 確か、こちらで問題がなければ、体の活動を停止させるという話だった。つまり、これはその確認のための通信なのだと理解した。

「俺の体がまだそこにあるんですね」

 今、自分の体だと認識しているのは、こちらの世界の体だ。とはいえ、昔の体にもう何の未練もないと言ったら嘘になる。この十年、別の世界に行ってしまった主の帰還を信じて心臓を動かし続けてきたのかと考えると、不憫に感じた。

「もう少し様子を見ますか?」

「いえ、処分してかまいません」

 一郎は覚悟を決めて言った。自分の幸せはここにあるのだ。

「わかりました」

 話が一段落したところで、一郎は先ほどから気になっていたことを聞いてみた。

「小嶋さんは、何というか変わりませんね」

 小嶋の印象は十年前と変わらない。老けた感じもしないし、髪型も変わっていない。服装も同じようなものだった。

「変わるはずありませんよ。だって、まだ、一時間しかたってませんから」

「一時間というのは、どういう意味ですか?」

 本当に全く意味が分からなかったので、そのまま聞き返す。すると、思いもよらない答えが帰ってきた。

「こちらの1時間は、そちらの世界ではおよそ10年に相当するんです。というか、それ、書類に書いてありましたよ」

「いや、よくわからないのですが、そちらでは、まだ一時間しかたっていないのですか?」

「はい、そうです」

「まさか……時間の進み方が変わるなんてことがあり得るのですか」

 一郎の感覚とはかけ離れた現象だった。それは、ある種のタイムマシーンではないか。

「大した話じゃありませんよ。コンピューターの計算速度の問題です」

「計算速度?」

「竹林さんの意識やその世界のあらゆるものがコンピューター上に再現されたもで、あらゆる現象がコンピューターの計算結果なのだから、その速度を早めれば、その分そちらでは早く時間が進むというだけです。逆に竹林さんの主観では、こちらの時間の進みが遅いことになりますね。もちろん、そちらとこちらで通信をするときには、速度を落として、時間の進み方が同じになるように調整します」

「それは、寿命が縮んでいるということではないのですか?」

 一郎は不安になってきた。

「私から見ればそうです。でも、竹林さんの主観では、違いますよね。こちらでは、確かに一時間しかたってませんが、竹林さんは、ちゃんと10年分の人生を歩んだはずです」

 一郎の記憶の中には家族と過ごした日々や娘の成長の思い出が、確かに十年分あった。

「その通りです」

 釈然とはしない部分もあったが、今が幸福であることは間違いないし、何か実際的な問題があるわけではなかった。

「実はここがこの事業の一番のいいところで、お客さんの回転が早いのです」

「……」

「あれ、私、余計なこと言いました?」

 もう、何も言うまいと、一郎は思った。現状に文句はないのだから、余計なことを考えてもマイナスにしかならない。

「でも、それなら、そんなに体の処分は急がなくて、よかったんじゃ……。そちらの世界では明日にでも僕は死ぬんでしょう」

「逆ですよ。竹林さんが生きているうちに最終確認をとっておかないと……って、あれ?」

 何か様子が変だった。モニターから小嶋が消え、音声で慌ただしさだけが伝わってくる。

「どうしたんですか?」

「そんなはずは……何で――」

「小嶋さん?」

「竹林さん。何で起きちゃったんですか?」

「え? 何を言ってるんですか? 俺はずっと起きて――」

 言う途中で、向こうで何が起きているかに思い至っり、言葉が途切れる。

 ――まさか

 であれば、それはどういうことなのか。理解が追いつかない。

 追いつかないが、何となくは事態はわかっている。そして、その意味に吐き気がした。

 小嶋は混乱しているようだった。そして、どうやら小嶋のほかにも人がいるらしく、何か言い合いをするような声のあと、静かになった。

「くそ、あの女、鍵を閉めやがった」

 男の声のだった。

「これがカメラか?」

 スクリーンに現れたのは、歯が数本抜けた、みすぼらしい竹林一郎の姿だった。