『がらくた #12(最終話)』
#12
トクン……トクン……。
鼓動が響く。
密着したロゼッタの体から、鉄の体に振動が伝わってくる。
人間の心臓の鼓動は、生きた証をその時間その時間に刻みつけるようなものだと思う。
鼓動。
朝も夜も。
夏も冬も。
産まれてからずっと、休むことなく、途切れることなく、生を証明し続けてきた。
時間に刻んだのは、人生という旅の足跡。
トクン……。
刻みつける。
今この時も、確かに生きていることを証明する。
でも、その鼓動は、かつてないほど弱く、そして、次の鼓動までの間隔も長くなっていた。
「レオ……」
ロゼッタが僕を呼ぶ声は、雛鳥のようにか弱い。
トクン……。
「私……頑張ったよね……」
それは、今回の闘病のことだろうか。普通に考えればそうだ――いや。いい加減、気が付かないふりはやめよう。ガラクタのくせに。
本当はわかっている。予感していた。失うことを、受け入れたくなかっただけだ。
「一所……懸命、生きた……よね」
ロゼッタの細い指が、僕の胸のあたりを撫でる。
ト……クン……。
「私……今でも鮮明に覚えてる」
ト…………クン…………。
「あの日、レオと出会った……時のこと。私……あなたと会えて……」
嫌だ。
僕はあの日、君と出会うことで、自分の存在に意味を見いだせた。
あの日、君が僕を見つけてくれたから。
君が、僕を家に連れ帰ってくれたから。
「レ……オ……」
僕が人間なら、号泣して、みっともなく喚きちらしていただろうか。もし、そうできたなら、この嵐のような感情にも行き場があったのに。
鼓動が弱まっていく。
弱く。
ゆっくりと。
今、彼女の心臓は歩みを止めようとしている。
……ト……
そして、立ち止まった。
この日に。
この時間に。
でも、時間は流れ続け、その奔流に乗る僕からみれば、ロゼッタの生は過去のものとなり、遠ざかっていく。
思い出も。
お別れなんだ。
お疲れ、ロゼッタ。
君は頑張った。
安らかにお休み。
ロゼッタの人生は終わりを迎えた。
何かの間違いだと思いたいが、残念ながらそれはない。悲しいことに――断言できる。動かなくなったから。心臓が止まったから。だから死んだのだろう。それも間違いではないが、もっと明確に僕にはわかる。
だってもう、ここに魂はないから。
一般的な人間の寿命を考えれば、早すぎる死だと言えよう。短い人生――でも、その全容を知る人間はいない。彼女を育てた母親は死んでしまったし、それ以降に出会った人には、ロゼッタは過去のことを語らなかったから。
だから、きっと、彼女のことを彼女以外で一番知っているのは僕だ。
思えば。
ガラクタを愛し、ただ、それだけの人生だだった。
それだけを、貫き通した人生だった。
そのガラクタとは幼い日に出会った。
そして、魅入られた。取り憑かれたと言ってもいい。
ガラクタは人型をしているだけの、ただの鉄くずだ。魔法がかかっているわけじゃない。ピクリとも動かないし、喋り始めるわけでもなかった。ただの一度だって、意思疎通めいたものが成立したためしはない。
それでも、彼女は、自分が拾ってきたガラクタと愛し合っていると信じて疑わなかった。
母親と対立し。
結果として、家族よりガラクタを選んで。
ガラクタと逃避行をして、この街にたどり着いた。
ガラクタと結婚式をあげた。
出会った頃は子供だったロゼッタは大人になっていた。
そんな人生の終着点が、ここだった。
彼女の人生を知る人はいないが、例えば物語としてそれを見た人がいたとして、その人は彼女の人生をどう思うだろうか。
不幸な人生だった思うだろうか。
幸福な人生だったと思うだろうか。
ロゼッタ本人はどう思っていただろうか。
僕だって、確かなことは言えない。
が、少なくとも。
彼女は、自分の幸せをずっと願っていた。
それは間違いない。
普通ではなかったから。
普通に生きることができなかったから苦労したが。
彼女は自分の生に対して、ずっと真剣だった。
誰よりも長く、彼女と一緒にいた僕だから、それは断言できる。
僕の意識が、ガラクタの体から離れていく。僕の命の意味は終わったということだろう。
なぜ、僕には意識があるのだろうとずっと疑問だった。でも、その答えが今、あっさりとわかった。唐突に理解した。僕はロゼッタと出会うために存在したのだ。
だから、終わりだ。
空に登っていく。
鉄の体と、ロゼッタの死体を置いて。
たぶん。
あの惨状は、エマが始めに発見すると思う。鍵を開けてもらうために大家を連れているかもしれない。
ロッキングチェアに座ったガラクタに寄り添うように覆いかぶさるロゼッタの死体を見て、エマは悲しむだろう。
一方で、ロゼッタが隠していたものが、頑なにこの部屋に籠もっていた理由が、妙に精巧な男の顔をした薄汚い人型の鉄くずだったと知って、何を思うだろうか。エマが、他の人間がどう思うだろうか。
気味が悪いと思うだろうか。
狂気の沙汰だと思うだろうか。
でも、もう関係ない。
誰が何と思おうと。
あそこにもう、意味はない。
あそこにあるのは、抜け殻だから。
魂はもう、あそこにはないから。
死ぬってそういうことだ。
体から、全ての意味が消えるんだ。
だから。
それは奇跡だったのだろう。
神様がくれた、贈り物だったのだろう。
鉄くずの体から解放された『僕』は、まだ存在していた。体を失った場合に、この魂は存在し続けるのかといった疑問を、かつて僕は持っていたが、少なくともまだ消滅していなかった。
気が付けば、草花に覆われた広野にいた。見渡す限り、なだらかな大地が続いている。太陽は見えなかったが、不思議と辺りは光に包まれていた。
そんな美しく穏やかで広大な場所に、ひとりの子供の姿があった。女の子が、迷子のように佇んでいる。
僕は。
彼女の手を。
『掴んだ』。
女の子は、きょとんとした目で僕の姿を見つめた。
――あなたは、だあれ?
僕は答える。ちゃんと自分の言葉で伝える。
――僕はレオ。この名前は君が付けてくれんだ。
――レオ……いい名前だね。じゃあ、レオ、もうひとつ聞いてもいい?
――何だい?
――私はだあれ?
やっと。
やっと伝えられる。
僕が、今まで一番言いたかったこと。
何より彼女に、伝えたかった言葉。
――君は、僕の一番大切な人だ。ロゼッタ。僕は君のことを愛している
女の子は満面の笑みを浮かべた。
――ありがとう、レオ。ずっとわかってた。
僕は彼女を抱きしめた。
もう、離さない。
これからずっと一緒だ。
もう何かを気にする必要はない。
誰にも邪魔される心配はない。
僕達は手を繋いだ。
当たり前に。
自然に。
そして、光が降り注ぐ中。
僕達は草と花が広がる大地を、ゆっくりと歩き始めた。
終