全9話『素晴らしき人生をあなたに #1』 /なんちゃってSF
#1
どこで人生を間違えたのだろう。
ある日、コンビニのビニール袋を手に下げ古ぼけたアパートの一室に帰ってきたとき、竹林一郎の脳裏にふとそんな言葉がよぎった。
よぎってしまって、舌打ちをした。
それは、普段考えないようにしていることだった。
考えたって仕方がないことだ。
間違ったというのは、負けを認めるようで癪だったし、仮に間違えたのだとしても、人生をやり直せるわけではないのだから。
このアパートが築何年であるかは定かではないが、相当古い建物なのは明白だ。少し強めの地震があるだけで倒壊してしまいそうだ。構造的な強度など、本来外観ではわからないはずのことまで想像させてしまうほど、古ぼけていた。
六畳一間の部屋は畳敷だし、風呂やトイレなどの設備はタイムスリップをしてきたのかというほどレトロな代物だ。
なぜ一郎がこのような場所に住んでいるのかといえば、他の住人と同じように、単にここの家賃が安いからだ。
部屋は足の踏み場もないほど散らかっていた。一郎はなぜだか無性に苛ついてきて、近くにあったゴミだか何だかわからないものを蹴りつけた。
そして、そのまま怒りに任せ、ブルドーザーのように部屋に散乱したものを隅に追いやる。脱ぎ捨てた服や、弁当の空や、雑誌などが混然一体となって、部屋の一角に積み上がった。
一郎はようやく姿を現した畳の上に腰をおろすと、ビニール袋から缶ビールを取り出し蓋をあけ喉に流し込んだ。
生活は苦しかったが、それでもアルバイトで稼いだなけなしの金を酒につぎ込んだ。酒を飲む以外にすることもなかった。
こんなはずじゃなかった。
酔いの回った頭にそんな言葉が浮かんだ。
たまに再会する同級生たちは、みなそれなりの会社に務め、課長や部長などの肩書きを持っていた。あるいは独立して経営者になった者もいた。
それに比べ、自分の状況はどうだ。知る限りでは五十を過ぎてまでその日暮らしの生活をしている奴なんていやしない。
しかし、こんな男にもかつては家族がいた。妻に、子供もひとりいた。彼らが家族でなくなった原因は、一郎が妻に対して暴力をふるったからだ。なぜそんなことをしたのか、もはや一郎は思い出せなかった。きっと何かが気に障ったのだろう。暴力を繰り返すうちに、妻は子供を連れて出ていってしまった。
上司に啖呵を切って会社を辞めたのだって気の短さが原因だ。会社に所属しなくても、どうとでも生きていけると思っていた。いっそ自分で事業でも起こせば、収入が上がるとさえ考えていた。
今思えば根拠のない自信だった。会社を辞めたあと、やりたいことを考えるまでのつなぎとしてアルバイトを始めた。そして、そのまま十数年が過ぎた。
会社を辞めてからの一郎の人生は、本当にそれだけだった。文字に書くとほんの数行で終わるほどの中身のなさだった。
いつも短気で失敗している。どこで人生を間違えたかという問いの答えは、きっとこの辺りにあるだろう。
その日、一郎は夢を見た。家族が幸せに暮らす夢だ。妻も娘も自分も笑っていた。何がそんなにおかしいのかわからないが、とにかく楽しそうだった。
窓から差し込む日差しをまぶた越しに感じ、徐々に意識が覚醒していく。あのクソみたいな生活は夢で、目を覚ませばそこに妻と娘がいるような気がした。もちろん、実際はその逆だった。
一郎は、痛む頭を抑えながら周りを観察した。ビールの空き缶が、数本転がっていた。どうやら昨日は、そのまま畳の上で眠ったらしい。
一郎は起きあがると、 ふらふらと流台に寄っていき、前回いつ洗ったかわからないコップで水道水を飲んだ。
ひどく腹が減っていた。昨日の夜は、何も食べていない。冷蔵庫を漁ると、食べかけの食パンが出てきたので、マーガリンを塗って食べた。黒い点がところどころあり、カビかとも思ったが特に気にしなかった。
そのあとは、だらだらと寝転んでテレビを見ながら過ごした。今日はバイトのシフトは入っていなかったので、時間を気にする必要はなかった。何もしなくても腹は減る。昼は何を食べようかと考えていると、インターホンが鳴った。
どうせ新聞の勧誘か何かだろうと思い、初めは無視をした。しかし、住人が在宅であることがわかっているのか、来訪者は諦めずに何度もインターホンを鳴らした。やがて、扉を叩く音が聞こえ始めた。
まるで借金の取り立て屋のようだと思ったが、一郎は借金だけはしなかったので、その可能性はないはずだ。
たまらず、玄関の扉を開ける。怒鳴ってやろうかと思ったが、相手の姿を見て喉まで来ていた怒声を引っ込めた。
来訪者はスーツ姿の若い女性だった。いましがた暴力的に扉を叩いていた女性は、住人の姿を確認するなり、清々しいまでの作り笑いを浮かべた。
「私、こういう者です」
彼女が差し出した名刺を読む。
小嶋鈴(こじま すず)というのがフルネームらしい。
肩書きは『人生再生アドバイザー』ということだった。