『がらくた #11』
#11
「ロゼッタ、本当に大丈夫なの?」
パン屋の仕事を休むようになったロゼッタの様子を見に来たエマは、心配そうに言った。
ちなみに、僕の上にはロッキングチェアごとすっぽりと毛布がかけられていた。エマにそれは何かと尋ねられたところ「ゴミよ、ゴミ」とロゼッタは適当に誤魔化していた。
ゴミ……。
全部が台無しになりそうな言葉だった。そしてそんなロゼッタの無茶苦茶さが愛おしいくてたまらない。
ロゼッタは、僕の存在を誰にも話さないことを決めていた。ひとえに無用なトラブルを避けるためだ。
もっとも、本当に僕を隠したいのであれば、エマをうちにあげるべきではなかった。それはつまり、エマになら、万が一僕のことを見られても問題ないと考えていたからかもしれない。
「エマは大袈裟よ」
笑うように誤魔化すロゼッタ。
――そう、誤魔化しだ。
ロゼッタはここ数年、冬になるとよく熱を出していたが、それは二、三日もあれば完治していた。普段どおりの生活を続けながら、耐えれば、過ぎ去っていく類のものだった。
しかし、今回は様子が違った。3日過ぎても、1週間過ぎても、復調する兆しはなく、それどころか日を追うごとに状態は悪化していった。
「しばらく、うちにいてもいいのよ」
エマはそう提案した。彼女の家で面倒を見るという意味だろう。僕もその提案――いや厚意は受け取るべきだと思う。しかし、それはロゼッタにとっては――
「もう。心配いらないってば。少し熱があって、そして少しこじらせているだけよ。どうってことないわ」
「ロゼッタ……」
「私達の家はここだもの」
「私……達?」
「え、何?」
「ううん。何でもないわ」
「大丈夫。エマが思ってるより私は、元気よ」
明らかに強がりだった。さっきまで、這うように家の中を移動していたのを僕は知っている。体も――そして頭もふらふらだ。自分の失言にも気が付かないほどに。
ロゼッタは頑なだった。仕事だって、見兼ねたエマが暇をだしたのだ。そうでなければ、倒れるまで働いていたかもしれない。
それが、彼女の強さであり、そして同時に弱さでもあった。
エマは、ため息をついた。家に連れて帰ることは、諦めたようだった。ロゼッタの性格はエマも認識していた。
「そう、でも、また様子を見に来るわね」
「だから、そんなに心配しなくても大丈夫よ。ありがとう、エマ。大丈夫。私はもう子供じゃないもの」
エマが帰ったあと、ロゼッタは、崩れ落ちるように僕にもたれかかった。
「まったくエマは心配性ね」
僕の体は熱伝導率が高いため、僕の体の冷たさとロゼッタの体温は、すぐに混ざりあった。ロゼッタの頬と触れた部分が、強い日差しにさらされたときのように、熱くなる。
「こんなの、いつものことなのに」
言葉とは裏腹に、ロゼッタは苦しそうだった。たったこれだけの台詞を呟くのに、息も絶え絶えだ。
目に力はないし、それに、随分やつれてしまった。
「エマはね。とても優しいの。まるで、私を本当の娘のように接してくれる」
確かに、エマはとても親切だ。
そしてそれは、まぎれもなく彼女の性質なのだろうが、或いは早くに亡くなったという娘の姿をロゼッタに重ねているフシもある。
だから――だからこそだ。
「私もエマのことを本当のお母さんみたいに思っているわ。でも『本当』ではない。そのことを私は忘れてはいけないと思うの」
だから、エマには頼れない。
頑なに――なるしかない。
「大丈夫。じき良くなるわ。お医者様に貰ったお薬も欠かさず飲んでいるし」
先日、エマが連れてきた医者からもらったものだ。
とはいえ、医者の見解は、滋養のあるものを摂取しなさいという、当たり障りのないものだった。
貰った薬もつまりそういう類のもので、言い換えれば気休めのようなものだった。実際、数日間それを服用しても、ロゼッタの体調はいっこうに良くならなかった。
「大丈夫。すぐに良くなるわ」
ロゼッタは窓の外を眺めながら言った。
窓の外には雪の結晶が舞い降りていた。すごく綺麗な景色だけれど、同時に残酷でもあった。
冬という季節がロゼッタを苦しめているから。
もう、苦しむ姿を見たくない。
早く、良くなってほしい。
また、元気な姿を見せてほしい。
また、屈託なく笑いかけてほしい。
また、独自の感性で語りかけてほしい。
元気で、健気で、強くて、我がままで、不器用で、一生懸命なロゼッタ。
僕はロゼッタのことが大好きなんだ。
春になれば――暖かくなれば、彼女は、元気になるのだろうか。たとえそうだとしても、まだまだその季節は遠かった。何十日も凍える夜を超えなくてはならない。そんなに待てない。ロゼッタの体が、もつとは思えない。
ほんの少し前まで当たり前に存在していた幸せな日々が、今はこんなにも遠い。
ある日、ロゼッタはベッドから起き上がることができなかった。
僕は絶望感でいっぱいだった。
何か食べて栄養を取らなきゃ元気になれない。なのに栄養を摂るどころか、朝からずっと、水さえ飲んでいない状態だった。
このまま、動けなくなってしまうのではないかという最悪の事態が思い浮かんだ。
エマでも誰でもいいから、助けてほしい。心底そう願った。
結局、その日、ロゼッタはベッドから出ることはなかった。ただの一歩もだ。
夜が終わり朝を迎えた。
差し込む朝日を顔に受け、ロゼッタは瞼を開けた。
むくりと体を起こす。
嘘のように――憑物が取れたように表情はすっきりしていた。熱による赤みもない。
終わったのだと思った。
長かった。
ついにロゼッタの体が熱に打ち勝ったのだ。
ロゼッタは1日半ぶりにベッドから這い出た。
「レオ……」
そして、覚束ない足取りで僕に歩み寄り、僕にもたれかかった。
ロゼッタの重みでロッキングチェアが揺れた。
※次回最終回