『異常で非情な彼らの青春 #34』 /青春
#34
景色に圧倒され、しばし呆然とする。
海と空は広大で。
窮屈さを感じていた自分の世界が、世界だと認識していたものが、とても狭い範囲の出来事であることを思い知らされて。
「ここで――終わりということでいいのかな」
「ああ、いいんじゃないか」
目的地のない旅の末にたどり着いた場所にしては――いや、そうでなくても、これ以上ないくらいに上出来だった。
「あの日、深夜と出会ってから――いろいろなことがあった」
林檎は水平線を見つめて、語り始める――終わりに向けて、まとめに入る。
「何もない日々だった。殺人鬼という役割を演じるだけの、それだけの日々。でも変わった。忘れていた感情、愛情、温もり――最近は、深夜だけじゃない。カナや、由美ちゃんも」
最近の林檎は、カナや、由美と出かけたりすることだってある。普通に、普通の友達と時間を過ごす。
それはまるで普通の――
「私は殺人鬼。殺人鬼の私にとっては夢のような出来事。でも、やっぱり夢なんだ。私自身があの子――藤守林檎が見ている夢だから。思い残すことはないとは言えないけれど――未練はない。……深夜、そんな顔をしないで」
――どんな顔をしているのだろう。俺はいつからそんな感傷的な人間になったのだろう。
「目覚めた眠り姫をよろしく――ね?」
「いや、それは違うだろう。俺が好きなのはお前だ。目を覚ました眠り姫と関わるつもりはないよ。だから、これ、今のうちに返しておく」
深夜がリュックから取り出したのは、いつかの卒業アルバムだった。
「うちの小学校のアルバム? どうして深夜がそんなものを持っているの?」
「いつか、林檎の家に行ったときのことだ」
「懐かしい話ね」
「あのとき――林檎が部屋を離れたすきに、押し入れを捜索したんだ」
「……その時点で、かなり引く行為だけれど、とりあえず続きを聞きこう」
目が据わっていた。
「押入れの中でこいつを見つけて、俺は迷わずそれを自分のリュックに詰めた。そしてそのままテイクアウトしたというわけさ」
結果からすると、そこが、分岐点。卒業アルバムをきっかけに、林檎とカナの関係を知り、そしてカナの一件があって、そしていろいろあって、今に至る。
いや、そんなきっかけなんてなくても、たどる経過は違っても、結局、同じような結末に至っていたかもしれない。彼らの日常はもともと歪んでいて、脆かった。結局は瓦解して、あるべき形に戻っていく。
同じところに落ち着いていた――この、同じ海にたどり着いていた。何となくそう、思えた。
「最初からわかっていたことだけれど、深夜は本物の変態だね」
「俺が変態じゃなければ――こんなことにはなっていないだろう」
こんな有様にはなっていない。
「そうだね」
林檎は目を伏せた――前置きはおしまいだ。
「じゃあ深夜。約束通り――私を殺して」
深夜は、林檎を砂の上に横たえた。
林檎の首に――力を込めれば花の茎のように折れてしまいそうな華奢な首に手を回し――力を込める。
「ッ――」
彼女を殺す――もちろん、このまま窒息させるという意味じゃない。それでは元も子もない。
深夜が殺すのは、幼い子どもの中に生まれた、殺人鬼。
それは、深夜が出会い、恋をした、目の前にいる少女。
深夜が託されたのは、殺人鬼としての存在の死。彼女を殺していいのは、それを許されたのは、彼だけだ。
「君は、もうここにいるべきじゃない。君は、もう、とっくに役目を終えている」
あの日、林檎に自分を殺してほしいと言われてから、ずっと思い悩んでいた。これまでなかったくらいに。
殺すと言ったって、どうしろというんだということもあったが、何より、辛かった。
率直に、それは辛かった。
自ら存在を消すと言われたときも、納得はしていなかったが、彼女がそう決めたのならと、受け入れた。
しかし。
殺される美学はあっても――愛する者を殺す覚悟なんてない。
でも、やる。
それが、彼女の望みなら。
大丈夫。できる。
殺人鬼としての藤守林檎をもっとも必要としているのは、深夜にほかならない。なら、彼の思っている逆のことを言えばいい。それが、彼女の存在の否定になる。
「殺人鬼に、居場所なんてない。誰だって、人殺しが近くにいていいと思うわけはないから」
初めは、自分と似ていると思った。世界を拒絶し、人を拒絶しながら、狂気を内に宿す彼女を見て、仲間を見つけたような気がした。演じている役どころは違うが、根底にある、異常性は同じだと思った。
「うん」
「この世界に、君の居場所なんてないんだ」
生まれてこのかた、誰にも興味が持てなかった。
――俺も同じだ。初めて誰かに愛情を持った。君は俺の唯一の居場所で、きっと俺も君の居場所になれたと思うんだ。
「うん」
「だから、今日ここで、君は死ね」
――初めて誰かと一緒に生きたいと思ったんだ。
「俺……が君を……殺す」
言葉が詰まる。
林檎が手を伸ばし、深夜の頬に触れた。細い指を深夜の涙が濡らした。
――大丈夫。心配するなよ。ちゃんとするから。
「あの日、君と出会って。いろいろあって、一緒にいるようになって。でも、気がついた。全部間違いだった。もう、君と一緒にいるのはうんざりだよ。俺は、もともと一人きりが好きだったんだ」
――ずっと一緒にいたいと思ったんだ。
「うん」
「ずっと、ずっと……」
――俺は本当に、
「君のことが――」
――心から、
「大嫌いだ」
「うん、ありがとう」
林檎は安らかに微笑んだ。
「私も大好きだよ」
◇
そして、彼女はいなくなった。
◇
冬が終わろうとしていた。
窓から差し込む陽光からは、柔らかさを感じられるようになっていた。
昼休み。教室で机に突っ伏していると、陸夫に話しかけられた。3学期の初めに席替えをしたので、もう隣じゃない。というか、寝ているのに話しかけるなと、深夜はクレームを入れた。
「いや、だって暇そうだったから」
答えになっているようで、なっていない。
「なあ、前から聞きたかったんだけどさ。結局、B組の藤守とはどうなったんだ?」
そういう、聞きにくいことを真正面から言えるのは、彼の長所なのだろう。
「どうもなってないよ。最初からな」
「ふーん」納得いったわけではないだろうが、深夜の言葉をそのまま受け止める。
「でもさ、藤守――」陸夫は構わず、同じ話題を続ける「――変わったよな。前は笑わないお姫様なんて言われてたのに、最近はまるで別人だ」
「俺には、関係ない」
「変わったと思えば、お前も変わったな」
「俺が?」
「お姫様とは逆だ。お前は――笑わなくなった」
それは――取繕わなくなっただけだ。
世界と相容れない、異常な自分をそのまま受け入れて、誤魔化すのをやめた。
「でも、きっと、そのほうがいいよ。正直、前のへらへらした笑顔は気持ち悪かったからな」
陸夫は快活に笑った。
きっと、彼のように分け隔てなく接してくれる人間は他にもいるのだろう。でも、深夜のほうは違う。彼自身が世界に馴染めない。親しげに話してくるクラスメイトも、全く話したことのない誰かも、分け隔てなく、興味が持てなかった。
だから、彼女と出会えたことは、一度きりの奇跡だったのだろう。
彼女は消えてしまったが、もしかしたら、ずっと一人きりかもしれない彼の人生は続く。
記憶を胸に。
彼女はもういないけれど、彼女との記憶は杭が刺さったように、胸の奥に刻まれている。
それは、恋の物語。
人生で最初で、もしかしたら最後かもしれない彼の青春物語は、これで終わりだ。
※もうちょっとだけ続きます。