『異常で非情な彼らの青春 #33』 /青春
#33
駅舎の屋根の付近に埋め込まれている丸い時計――その短針は8の数字を、長針は12の数字を指している。アナログ時計なので、午前、午後かは判別できないが、辺りは明るいので、今は午前8時ということになる。
午前8時。今日も待ち合わせ時間ピタリに到着して、深夜は、少しだけ気分が良くなる。時計の真下、駅舎への入口付近に、林檎は、立っていた。
林檎は、以前、深夜の家に来たときに着ていた服装をしていた――制服は着ていない。深夜も同じだ。しかし、今日は平日だった。つまり、ふたり揃って学校はサボりだった。
ほかの生徒たちは今頃、学校に向かっているところだろう。足取りは軽いはずだ。なぜなら今日をさかいに2週間の休み――冬休みに入るからだ。
今日は、二学期の終業式――約束の日だった。
殺人鬼たる藤守林檎が、自ら存在を消すと決めた日。
深夜が、彼女を殺す日――だった。
駅舎の入口、深夜と林檎は顔を合わせ、挨拶をした。
それじゃあ――
「行こ」
言って、林檎は当たり前のように、駅舎に足を向ける。
「ああ。でも、その前に」
深夜は、林檎の手を握った。
「うん?」
「たまには、恋人らしいことをしよう」
最後くらい、とは言わなかった。
林檎は、初めは戸惑うような仕草を見せたが、すぐに深夜の手を握り返した。林檎の手は外気にさらされ、ひんやりとしていた。深夜たちは手を繋いだまま駅舎に入った。
自動発券機で切符を購入する。片手で金を取り出すのに少しだけ苦労したが、無理という程ではなかった。
「財布を取り出すときくらい手、離せばいいのに」
「いや、いいんだ」
行き先は決めておらず、千円札を入れて2枚買える切符を選んだ。降りる駅で追加料金を払えばよい。ずっと――ずっと、遠くまで行くつもりだった。
改札を抜け、ホームで電車を待つ。
「ねえ、手、ずっと繋いだままなの?」
「うん。今日はずっとこうしていよう」
「トイレのときは?」
「付いていく」
冗談のつもりだったが、林檎に反応がなかった。というより、どう反応していいのか困っている様子だった。
列車が到着する。特急が止まるほど大きな駅ではないので、来る列車はすべて各駅停車の列車だ。いずれにせよ、どこかで特急に乗り換えるつもりはなかった。特急の方が遠くには行けるだろうが、到着するのはいわば、それなりに大きな、それなりに発展した、同じような街だろう。
そうではなく、どこか――何だかわからないけれど最後にふさわしい、そういう場所に連れていってくれることを期待した。意図を含まず、偶然たどり着くどこかを期待した。
電車に乗り込むと二人用の座席に並んで座った。やがて窓の外の風景が後ろ向きに流れ出す。数分もたたないうちに、全く知らない街並みに変わった。
遠ざかる彼らの街。
それは、楽しかった日々。
戻ってくるときは、全てが変わっている。
自分達が変わっている。
乗っている列車が終点まで辿り着くと、また別の電車に乗り換えた。それを、何度か繰り返す。
ある駅は、ほとんど無人だった。海にぽつりと浮かぶ、無人島みたいに、辺りには平野が広がっていた。列車を降り、ホームに備え付けられた時刻表を見ると、これまで見たことのないほど、書かれている時刻の密度が薄く、すかすかだった。
ここが、自分たちの終着点だろうか
いや――
「1時間待てば次がある」
深夜は呟いた。
「じゃあ待とう」
林檎は即答した。
まだ、進める。
まだ、手を離さずにいられる。
1時間以上寒空の下で次の列車を待とうという客は、彼ら以外にはいなかった。二人きりでベンチに座った。外気は冷たかった。対象的に繋いだ手の接着面だけが熱を帯びていた。
――そして、辿り着く。
もう、乗り換えはできない。引き返すことはできるが、これ以上、先に進むことはできない。
なにしろ、レールがこの駅で切れていて、先に繋がっていないのだ。
終着駅――ここが、ふたりの終点だった。
駅舎を出ると、潮騒が聞こえることに気がついた。駅の前の道を少し進むと、すぐに左右に伸びる防砂林が見えた。林檎は言った。
「潮の香りがする」
「海の匂い、好き?」
「好き――じゃない、生臭い」
生臭い――とても、直截的な言い方だった。塩ではなく潮。無機物ではなく有機物――つまるところ、生き物の匂いだ。
「でも、嫌いでもない」
防砂林を抜けると、砂浜に出た。
青い空と、空をひっくり返したような広大な海が視界いっぱいに拡がった。
二人は、繋いだ手を離した。