『異常で非情な彼らの青春 #11』 /青春
#11
殺人鬼の顔が鮮血に濡れる。
もっとも、壊れた蛇口のように首から噴射された赤く生ぬるい液体を浴びる以前から、男の顔にはペイントが施されていた。
獣の無慈悲さを感じさせる犬の顔のメイク。そして――
そして、服装は気品のあるスーツ姿。
彼がなぜ、そのような格好をしているのかは定かではないが、何かこだわりがあるのだろう。特に顔のペイントについては、まさか、顔を隠したいなどというような、実際的な理由ではあるまい。このいかれた殺人鬼にそのような理性があるとは到底思えない。
被害者は、とうの昔に絶命している。そして、死してなお、その体は辱しめを受ける。解体され、切り分けられ、人の姿から遠ざかっていく。
その残虐非道な行為の目的も不明。ただ、意図はともかくとして、見るものからすればそれは、一目でわかる印だ。『マーダー・ドッグ』が現れたのだと。
もちろん。
テレビ画面の中の話だ。
まさか、現実の話であるはずもない。
現実にあっていい話のはずがない。
深夜が帰宅したとき、最近平日に再放送をやっているアニメ『少年探偵ソウタの事件簿』がちょうど始まったところだった。テレビの正面、ソファに座っているのは妹の由美だ。深夜も隣に腰をおろす。
今日の放送はいわゆる『マーダー・ドッグ』回だった。もともと、低年齢向けにしては残酷な表現があるアニメだったが、このキャラクターの出る回は、ひときわ血生臭い描写が多かった。
「はまってるよな、由美」
真剣な顔でテレビ画面を見る妹に話しかける。
「別に、はまってないし」
と、そっけなく言うが、この時間、結構な確率で、このチャンネルに合わせていた。
――そういえば、あいつも見てるかな……。
八重島カナ。先程まで一緒にいた女子生徒が以前、このアニメの再放送を見ているというようなことを言っていたことを思い出す。
――藤守は……ないな。勝手なイメージかもしれないけど。
エンディングの歌が終わり、予告で次回のサブタイトルが発表されたところで、由美は立ちあがった。
「ふっ」
手を頭上で交差させて延びをし、それからキッチンに移動した(リビングとキッチンは、ひとつづきとなっているタイプの間取りだ)。由美は、冷蔵庫から、オレンジジュースのパックを取り出し、グラスに注ぐ。そして、グラスを傾け、コクコクと喉をならした。
両親はまだ帰っていない。夕飯まではまだ時間がある。
「さてと――」
二階の自室でくつろぐことにしようと、内階段に向かい、足をかけたところで、
「お兄ちゃん、さあ――」
由美に呼び止められた。
「最近、帰り遅いよね」
「そうか? 遅いってほどじゃないと思うけど」
「いや、今までと比べてってこと」
「むしろ、由美のほうが帰ってくるの遅いこと多いじゃん」
由美は兄とは違い、まっとうに社交的で、まっとうに学生だった。普通に――学校帰りに友達と街に繰り出したりするのだ。
「たまにね。でも、知っている限りは、気持ちの悪いくらいに規則的なんだよ、お兄ちゃんの生活をリズムって。そして、最近、その規則がきっかり30分、後ろに下がった。30分という時間分ルーティンが変わったと考えると……」
指を顎にあて、言葉を並べる――少年探偵ソウタが事件の真相を推理するときのように。
「女だね」
どう、パズルが組み合わさったのか。それが、彼女の出した結論だった。そして、それは概ね正解だった。
「彼女でもできたんじゃないの?」
「彼女じゃない……けど、友達はできた」
友達。例のごとく、説明のしようがないので、そう言っておく。
由美は――幼い頃から時間を共にしてきた妹は、兄がどこか普通でないことに勘づいていた。
だから、その兄の口から友達という言葉を聞き、嫌みもなく、心底嬉しそうに笑った。
「やったね、お兄ちゃん。友達ができて」
「人を、可愛そうなやつみたいに言うな。俺は友達がいないんじゃなくて、作ってないだけなんだ」
「恋人を作らないだけって言うならまだわかるけど、正直、それだって十分言い訳くさい言い分だけれど――友達を作らないだけっていう文句は初めて聞いたよ。友達はいつの間にかできてるものだよ? それはそうと、その友達、女の子なんでしょ?」
「ああ。男か女かで言うと女だな」
「そうだよね。お兄ちゃんの場合は、今さら普通に友達を作るなんてしないだろうから……つまり、好きなんでしょ、その子のことが」
――好き?
交際しているかと言われれば、違うと即答できる。事実だから。しかし、そういうふうに聞かれると――
「まあ、いいけどね。でも、今後交際に発展するようなことがあったら、その時はちゃんと教えてね。ていうか、家に連れてきてよ」
――残念だけれど、それはないよ、由美。
それは、深夜の本音。心から思う。そういう関係になりようがない。なぜなら、これは、脅迫によって成立させた関係だからだ。入り口からして、違うのである。
「ああ、約束する」
だから、頷く。どうせ、そんな未来は来ないから、と。
「その代わり、私に彼氏ができたときも、真っ先にお兄ちゃんに紹介するよ」
「わかった。お兄ちゃんがぶっとばして別れさせればいいんだな」
「やめてよ」
「精神的に追い込んで別れさせよう」
「何で別れさせる前提なのさ」
こちらのほうは、そのうち来るかもしれない未来の話。
というか、兄妹というのはこういう具合に恋愛の話とかするものなのかと思ったが、よそがどうだか知らないので、深夜にはわからない。
「名前は?」
「……藤守林檎」
そこまで詮索する必要はあるのかと思ったが、隠す理由もまたなかったので、正直に答えておく。
「ふーん、どことなくお姫様みたいな名前だね。写真とかないの?」
「写真? ないな」
動画ならあるが、あれを見せれば流石に引くだろう。というか、それは、林檎との契約違反だった。
「じゃあ、今度撮ってきて見せてよ。お兄ちゃんがどんな人を好きになったのか、興味あるな」
「だから、好きとか――」
否定しようとして、言葉につまる。
そして、ようやく気が付く。
あの日、藤守林檎と出会い、自分の中に生まれた得体の知れない感情に名前がついていることに。
――俺は、藤守林檎のことが好きなんだ。