『異常で非情な彼らの青春 #6』 /青春
#6
チャイムの音が鳴る。
つまらない授業の終わり、そして楽しい昼休みの始まりだ。
「全然わからなかったの俺だけか? なあ烏丸」
隣の席から話しかけてきたのは田中陸夫だ。主語が抜けていたが、今の授業――今の数学の授業の話であることは想像が付いた。まあ、的外れではない。この教科は特に高校に入ってから、難解さが増す一方だった。
「お前、いつもそう言ってねえか」
深夜は冗談めかして答える――笑顔を作って。
実は、田中陸夫は深夜と席が隣で、よく、というか自然に雑談をする間柄だ。昨日はやけに気安く話しかけてくるなと思ったが、それなら納得だと深夜は頷いた。
そして、そんなことに本当に気付かなかったのだから、いよいよ烏丸深夜という人間は重症だった。
――と、弛緩した教室の空気が変わる。
まるで、誰かが場に合わない冗談を言ったときみたいに空気が止まり、そして何事もなかったかのように――そう取り繕うように、喧騒が戻る。
原因はすぐにわかった。別のクラスの藤守林檎が、すたすたと教室の中に進入してきたのだ。
藤守林檎――笑わないお姫様。
そんな通り名めいたものができるくらい、学年では有名な女子生徒。
愛想がないので有名な女子生徒。
言ってしまえば、この学年において、アンタッチャブルな存在だった。
そして、そんな彼女がこれまで、この教室に入ってきたことはない。もちろん、他所のクラスの生徒が入ってきてはいけないという道理も校則もない。だから皆、自分達のお喋りを続行しつつ、彼女の動向を横目で気にしするにとどめた。
「おい、こっちくるぞ」
陸夫は小声で深夜に言った。
言葉の通り、藤守林檎は、机の間を縫うようにして、こちらに向かってすたすたと歩いてきている。そして、ついには深夜の席の前に到達し、そこで立ち止まった。
深夜は自分の席の椅子に座っていたので、見上げる格好となる。彼女の手には弁当箱が入っていると思われる巾着袋が下げられていた。
笑わないお姫様はそれを、胸元にくいっとあげ、
「一緒に食べるんでしょ?」
そう、無表情で言った。
今度はどよめきが起こった。それは、傍観を決め込む彼らにとっては不覚だろう。しかし、声を漏らさずにはいられず、そして視線を向けずにいられなかった。
理由は2つ。
ひとつは、藤守林檎が声を発したこと。笑わないお姫さまと評される彼女は、自ら声を発するということが、非常に珍しい(と、皆信じていた)。
ふたつめ。その藤守林檎が男子をランチに誘いに来たらしいということ――もっともこれはまったくの誤解であるが。
昨日のことだ。
烏丸深夜は、藤守林檎を脅迫した。
彼女の奇行を撮影した動画を拡散されたくなければ、自分と一緒にいろといった主旨の脅迫。強要。
その結果としての林檎の行動だった。クラスメイトたちが思い描いているような、甘美で刺激的な状況ではなく、むしろ殺伐とした背景があった。
確かに細かい段取りまでは決めていなかったが、まあ深夜が林檎の教室に出向けばいいと考えていた(確か昨日、クラスはB組と聞いていた)。
つまりは、その逆のシチュエーションになったわけだ。そして、なったものは仕方がない。
「ああ」
深夜は、お昼どう? のポーズで固まっていた林檎に返事をすると、自分の弁当箱をもってすっと立ちあがる。そして、それが当前であるかのように、それが日常であったかのように、藤守林檎と連れだって教室を出ていった。
後ろから陸夫の絶叫のような声が聞こえてきたが、無視をした。
特に示し合わせたわけではなかった。並んで歩いて、何となく足が向いたのは、昨日と同じ場所――体育館裏だった。昨日、深夜が林檎を呼び出し、脅迫をしたその場所だ。
何となくではあったが、それでもあえてこの場所を選んだ理由をあげるとすれば、やはり人目につかないからだろう。
結局ここだ。
こういうところが、この二人には似合わしい。
体育館の壁際のコンクリートの舗装に並んで腰をおろす。建物の壁を背にする格好だ。影に入り、日光の直射を避けることができた。
それぞれ、膝の上で自分の弁当を広げる。
林檎の弁当箱は深夜のものより一回り小さかった。デザインも可愛らしく、こう言ってはなんだが、普通の女子っぽい弁当だ。深夜と林檎は黙々と昼食を食べ進め――食べ終える。
終始、無言だった。林檎はともかく。昨日、あれほど饒舌だった深夜もまた無口。弁当箱を巾着袋に戻し、先に口を開いたのは林檎だった。
「これがあなたのやりたかたこと?」
「ああ、まあ」
曖昧な返事。本当のところ深夜にだって、自分が何を求めているのか、定かではない。彼にとってみても、自身に訪れた未知の感情に突き動かされているだけなのである。
「初めはいい人そうに見えたのだけれど……」
と、林檎。
呟くように。或いは嘆息するように。
見えたけれど――そうではなかったと続くのだろう。昨日の深夜の言動を考えると当然の感想だった。
「交差点でぶつかったときのことか?」
「そう。とても、善良に見えた。善良で、そして普通の人に見えた――ただ。だけれど、どこか。やけに表情が作りもののようで、気持ちが悪かった」
いい人そうであって、いい人ではない。彼女の違和感は、どこかがおかしい男の処世術に対してのものだ。
だが、深夜はふと気が付く。
今はその処世術を発動していない。昨日も――彼女と話しているときは、顔を作っていない。
普通を演じていない。
「……今のほうがいい」
聞こえるか聞こえないかの声で、でもはっきりと林檎はそう言った。
「そういう藤守こそ――」深夜は自分に向けられた話の矛先を、林檎に向けた。「藤守こそ、聞いた限りじゃ、あまり社交性があるとは言えないようだな」
人を遠ざけ、人と関わろうとしない少女。しかし、それは聞いた限りの話だ。言ってしまえば噂だ。深夜は続ける。
「友達とかいないのか?」
「いない」
「ひとりも?」
「ひとりたりとも。今も、今までも、そしてこれからも」
「今までずっと、独りだったとでも言うのか?」
それは、深夜においても驚嘆に値した。
深夜でさえ。
人に関心を示さない深夜でさえ、友人と言える存在はいた。まるで興味がなくとも、他人と友人であると言えるくらいには、関係性を築いてきた。
「そう、私はずっと独り。言ったでしょう。私は殺人鬼だから。友達なんていらないし、いても殺してしまう」
それが、理由――なのだろうか。
彼女が人を遠ざける――理由。
「そういえば」と林檎「私はまだあなたの名前を聞いてない」
そうだったかと深夜は疑問に思い、そうだったかもしれないと思い至る。今さら自己紹介というのも少し奇妙な気もしたが、もったいぶるような大層な名前ではない。
「烏丸深夜だ」
「烏丸、深夜……。そう。どことなく不吉な名前ね」
「よく言われるよ」
「私は藤守林檎」
「ああ知ってる。陸夫に聞いたからな。そっちはどことなく、童話に出てきそうな名前だな」
いや、それは単に名前からというより、『笑わないお姫さま』から連想したものだったかもしれない。もっとも林檎というワードはそれっぽいが。『リンゴ』が重要アイテムとして出てくるのは、白雪姫だったか、眠り姫だったか――
予鈴が鳴る。
同時に林檎は立ち上がった。
「こんな感じでいいの?」
「ああ」
「じゃあ、烏丸君。こんな感じでこれからはあなたの言う通り、昼休みと放課後は一緒に過ごしましょう」
林檎はそう言い残し、すたすたと自分の教室に帰っていった。
そうして、藤守林檎とのランチタイムは終了した。が、これは、卑劣な手段により無理やり成り立たせた関係だ。当たり前だが深夜もそれは十分自覚している。
普通ではない。
普通でないなら異常だ。
この歪んだ関係がどのような結末をもたらすのか。
深夜は考える。
――少なくともハッピーエンドはないだろうな。
――よくてバッドエンドで、最悪デッドエンドだ。
昨日、深夜は確かに言った。自分を殺してもいいと。その言葉は実のところ――はったりなどではなかった。
もちろん、自殺願望があるわけではないし、できれば死にたくない。それでも――
それでも、彼女になら殺されてもいい。烏丸深夜は、真剣にそんなことを考えていたのである。