『異常で非情な彼らの青春 #2』 /青春
#2
「それは多分、笑わないお姫さまのことだな」
深夜のクラスメイトである田中陸夫(たなかりくお)は言った。「特徴から言って間違いない」
「何だその、童話のタイトルみたいな名前の奴は」
昼休み。深夜は昼食を済ませたあと、中庭のベンチに座ってぼうっと空を眺めていたところ、陸夫に話しかけられた。
空を眺めるのを中断させたのだから、何かしらの差し迫った要件があるのだろうと考えたが、予想に反して雑談を始められただけだった。そして、どういう会話の流れだったか、深夜は今朝の女子生徒について話題にしていた。
ちなみに、深夜と陸夫とは特別に親しい間柄ではない。誰に対してもまるで旧知の仲のように振る舞える陸夫のコミュニケーション能力が高いのである。
「もちろん、本名じゃないぞ」
「『笑わないお姫さま』なんてのが本名であってたまるか」
「ああ、悪かった。名前が知りたいってことだな」
「言ってない」
「B組の藤守林檎(ふじもりりんご)だよ。同じ2年のな」
陸夫はマイペースに話を進めていく。あえて遮る理由もないので深夜は話を合わせた。
「その藤守ってやつは有名人なんだな……」
少し、今朝の様子を説明しただけで人物が特定されたのだから、そういうことだろう。
「むしろ、この学年で知らないの、多分お前くらいのものだぞ」
「ふーん。そうなんだ」
「お前、そういうところあるよな。一見愛想が良いようでいて、本当は他人のことなんかどうでもいいだろ」
さらりと言った言葉に悪意は感じられないが、それはあまりにも核心をついていた。
「……。まあ、俺のことはいいよ」
「そうだな。藤守の話だ――まあ、お前が見た通りさ。そして、お前だけじゃなく、誰に対してもああなのさ」
「誰も声を聞いたことがないってわけだ」
「それはさすがに大袈裟だ。授業で当てられたらちゃんと答えるらしいし。普通に喋ることがないってこと。それに表情の変化も乏しくて、誰も笑ったところを見たことがないんだとさ」
だから、笑わないお姫さま。
「つまり、根暗で有名なのか」
「わかってねえな。そういうことじゃねえよ。ほら、藤守って、性格はそんなだけど、見た目は超可愛いだろ」
「うん? ああ、まあな」
「ただ根暗なだけだったら、そんな異名までつくかよ」
「そういうものか。お前がそう言うのなら、そうなんだろう」
「言い寄ったやつも多いと聞く。そして、そのことごとくが玉砕した。むしろ、そういう経緯で噂になっていったんだ。今ではもう彼女を口説こうなんて勇者はいなくなったがな」
「ふーん」
「だから、お前もあいつはやめとけよ」
「ああ、気を付けるよ」
全く思っていなかったけれど。
否定せず。
笑顔を作る。
「おっと、もう昼休みが終わっちまう。先に行くな」
その背中を見送る。といっても、深夜も状況は同じはずなのだが。
――藤守林檎、そんな奴がいたのか。
関心がある? まさか。
もしかしたら、過去に噂話を聞いたことがあったのかもしれないが、記憶が定かではない。陸夫の指摘の通り――どうでもよかった。
まあ。
これまでもこれからも、関わることはないだろうと、深夜は今の会話を記憶の隅に追いやった。
まだ日の光がオレンジ色に変わる前に帰宅した。深夜は部活動などには所属しておらず、終業後は大抵は家に直帰する。
リビングでは、妹の由美(ゆみ)が先に帰宅しており、ソファーでくつろいでいた。
「あ、おかえりー。お兄ちゃん」
「ただいま、由美」
由美は、深夜に向けて手を出した。
「はい」
「え? 何?」
「え、まさか忘れてきたの?」
閃光のように今朝の記憶が蘇る。それは、由美が愛読しているファッション誌を買って帰るという約束だった。
月刊誌で、毎月発売日には通学ルートの途中に本屋がある深夜が買ってくるのが通例になっていた。
「うん、忘れた。ごめん」
深夜は素直に謝った。
「えー!? ちゃんと言っておいたのに」
今日が発売日であり、帰りに買って帰るのを忘れないようにと、今朝、確かに頼まれた。もっとも、寝坊したため急いで支度をしてる最中だったので、ちゃんと聞いていなかったことは否めない。
「だから、ごめんって」
「そう、本当にないんだ……」
由美は残念そうに呟くと、スマートフォンをいじりだした。
「それで見れないのか? ほら、電子書籍だとかで」
「そういう子もいるけどね。単純に見にくい。ずっととっておくものでもないし」
楽しみにしていたんだろう。声色に元気がなかった。
「わかったよ。今から買いに行ってくる」
「悪いね!」
さっぱりと言う。
その遠慮のなさは、きっと彼女の長所なのだろう。
本屋で購入した雑誌を、リュックに詰める。家への帰り道、進行方向に知っている顔を見付けた。
今日、知った顔だ。
「藤守――だったか」
彼女はまだ、制服姿だった。
深夜は身を隠した。その行動に何かしらの意味付けはできるかもしれないが、あまり深く考えてのものではなかった――が、結果として、そのせいで深夜は目撃することになる。
「?」
藤守林檎は辺りを見回したあと、道路の脇から雑木林の中に入っていった。
「まさか、家への近道ってわけじゃないよな……」
が、彼女の変人ぶりを聞いてしまっては、それも言い切れない。
その行動は謎に包まれていて。
いかにも怪しげで。
だから。
深夜はそのあとを尾行することにした。
土を踏みしめ、奥に進む。日は遮られ、いくぶん涼しい。ここが、何の土地なのかは深夜に知るよしはないが、好んで踏み入るような所ではないことはわかった。
ある程度進むと林檎は足を止めた。深夜は距離を取り、木に身を隠す。
彼女が通学かばんから取り出したのは人形だった。
深夜は藁人形による呪いを連想する。しかし、林檎が持っているのは、藁を縛っただけのものより、もう少し人型としてリアルだった――もう少し人間に近い形をしているし、何より服を着ている。子供用の玩具だろう。オモチャ屋で売られているようなものだ。
林檎は人形を木に押し付けた。
もちろん、藁人形ではなく、それに五寸釘を打ち込むことはない。
人形の胸に突き立てたのは、ナイフ。
笑わないはずの少女の口端が、わずかに吊り上がった。