がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

全37話『異常で非情な彼らの青春 #1』 /青春

 

 

 #1

 

 

  よく晴れた月曜日の朝。

 烏丸深夜(からすましんや)は、自らの不注意を嘆いた。

 高校に向かう途中の交差点で衝突した女の子は、深夜と同じ学校の制服を着ていた。

 少しばかり寝坊をし、遅刻をしないように、いつもより足早であったという事情はあった。

 だが、平常時であれば回避できたかと言われると怪しい。彼女が出てきた方向は自分の身長ほどもある高いブロック塀により、完全に死角となっていたし、加えて、声を合わせたかのように、お互いが交差点に侵入するタイミングがぴったりと合っていたからだ。

 女子生徒はよろけたあと、アスファルトに尻餅をついた。

 小柄な女の子だ。そして線が細い。男子高校生として平均的な体格の深夜とぶつかれば、当たり負けるのは必然だった。

 彼女はすぐに立ち上がる。そして、スカートを手ではらった。

 やや幼さを残した端正な顔立ちは、一般的に可愛いと言われる部類だろう。深夜のクラスメイトの女子と比べても、容姿端麗だといえる。

 そんな女子生徒と、朝の通学路でぶつかった。

 パンこそくわえてなどいないが。

 転校生でこそなさそうだが。

 まるで、漫画のようなシチュエーション。少し短絡的な発想かもしれないが、恋を予感させるに十分な事件といえる。

 しかし、深夜の胸中には、殊更そのような感情の動きはなかった。

 可憐な女の子に、目を奪われることもなければ、運命めいた何かを感じて、胸を高鳴らせることもない。

 異性に興味がない?

 同年代に魅力を感じない?

 否、烏丸深夜は人そのものに関心がなかった。

「ごめん、怪我はなかった?」

 だから、心配そうな声色も演技だ。それは、幼い頃から自身の欠落を自覚していた彼が身につけた処世術、どこかが壊れている子供が身に付けた擬態能力だった。

 この世は、普通でないと生きにくいから。

 女子生徒は、何も喋らなかったが、視線は深夜のほうを向いていた。

 ただし、お互いの視線が交錯することはない。彼女は自分が何とぶつかったのかを確認すると、何事もなかったかのように歩き出す。すでに、瞳の中に、今こそぶつかった男子生徒の姿はなかった。


 

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 女子生徒は深夜の問いかけに、ついに答えることはなかった。というより、反応自体が皆無だった。返事どころか、相づちのひとつも、目配せのひとつもなかった。

 完全なるコミュニケーションの拒否。

 まるで、郵便ポストか何かにぶつかったかのような一連の動作だった。

 とても人間に対するものとは思えない対応。しかし、これにも深夜は何も思わない。

 もとより、怒られようが、罵倒されようが、いたって平気な男だ。彼にとってみれば、そのような雑音は雑音以上の何物でもなく、うるさいので不快ではあるのだが、心を痛めるようなものではない。

 さすがに殴られるのは痛いので嫌だが、言葉の暴力であれば、それがたとえナイフのような切れ味を伴っていようとも、心が血を流すようなダメージを受けることはなかった。

 だから、今回のようにちょっと無視されたくらいで、気分を害することなんてあり得ない。

 ただ、不思議ではあった。

 コミュニケーションが苦手なのかもしれないし、もしくは、単に人と関わるのが嫌いなだけかもしれない。それはいい。そういう人間もいるだろう。

 しかし、だ。

 それなら、どうして、彼女は、あんなにも悲しそうだったのだろうか。

 悲しそうというのは、あくまで深夜の印象で、もしかすると、全くの勘違いかもしれないが、少なくとも、彼にはそう感じられた。

 もしかすると、自分と同じ種類の人間なのだろうか。

 いや。

 どこかが壊れている可能性は否めないし、どこか共通する部分はあるのかもしれないが、自分と彼女では決定的に何かが違う。

 根拠はないが。

 その違いが何かはわからないが。


 深夜は女子生徒の後ろを歩き出す。

 追いかけているようにも見えるのでどうかとも思ったが、仕方がなかった。なにしろ同じ学校なのだ。最短ルートを行こうとすると当然同じ道になるし、もともと寝坊のせいで遠回りをするような時間的な余裕はなかった。

 歩みに合わせ、跳ねるように揺れる後髪を眺めながら歩く。

 そして、何とはなしに、

「――生き苦しくないか?」

 そんな言葉が口をついて出た。

 何かを意図した言葉ではない。それは、自分に似ているかもしれない彼女に言ったのか、それとも、もしかすると自分に向けたものだったのかもしれない。

 何にせよ、深夜が他人の言動を受けてこのような感想を生じさせることは珍しかった。

 だから、深夜自身、今の台詞は首を傾げるものだった。 

 その意味に――彼はまだ気が付かない。

 前を歩く女子生徒は、その言葉が聞こえたのだろうか。それとも偶然か。一瞬、歩みが緩んだが、すぐに元のペースで進み始めた。