『新世界 #2(最終話)』 /ホラー
#2
世界は終わりに向かっていると言われているが、僕から見ればそんなものはすでに終わっている。
世界は同じ条理、同じ法則、同じ理屈が続くことを前提に形作られている。
あれが破壊したのはその前提だ。世界は土台から崩れ去り、今あるのは残像のようなものだ。
だから、みんなもう諦めている。無表情で惨劇を伝えるニュースキャスターも、死後の世界に希望を見る妹も、そして俺も。
俺は妹とは違い、希望など持たない。
この世に期待せず。
生に執着せず。
死に怯えず。
辛い思いをしないように心を凍てつかせることが、俺にとっての希望なのだ。
◇
家に帰ると、玄関から続く廊下に黒いセーラー服が倒れていた。背格好といい服装といい妹だろう――頭部がなかったので、はっきりとは言いきれないが、十中八九そうだ。
首なし死体なんて、ミステリー小説じゃあるまいし、現実に起こるとすれば、やはり、『破壊者』の仕業だろう。噂のぬいぐるみの姿はないから、これも推測と言えるが、確信めいたものがあった。
いつかこんな日が来ることは覚悟していた。すべての人類が『破壊者』に殺されるのなら、遅かれ早かれ自分や肉親のところにもやってくるのは必定。
死に救いを求めていた少女。死の間際、彼女の胸中はいかなるものであっただろう。安堵か。絶望か。今となっては確認のしようもないが。
なあ、お前行けたのかよ、新世界に。
――もちろん、覚悟はしていた。
絶望しないように。
悲しみに覆われないように。
けれど、死に顔すら見れないというのはどうだろうか。
胸の奥に熱い何かが宿る。
特別仲が良かったわけじゃない。けれど、やっぱり家族だから。俺は兄貴だから。
思うところはある。
心の氷が溶けていく。
自分で驚く。まだこんな熱い気持ちが残っていたのか。
俺は、玄関付近の物置きから金属バットを掘り出し、それを持って外に出た。
家のすぐ前、住宅街の一画に『破壊者』は立っていた。あまり想定していなかった事態だった。一度この場を離れて戻ってきたのか。それとも、ずっとそこにいたが俺が気が付かなかっただけか。いや、そういう『常識的な』ことを考えても無意味だろう。それはいつでも、どこにでも現れるのだから。
熊のぬいぐるみという形容は概ね的を得ていた。
人間の腰辺りくらいの背丈に茶色い体毛。だらんと下がった腕は先端に行くにつれ太くなっていく。
頭の前面は――はたして顔と言えるだろうか。鼻や口は無く、2つの目があるべき位置には、『闇』が渦巻いた。黒ではなく、闇。そこにだけ光が届いていない。
「あ――」
先程までの激情はどこへやら。俺はその場にへたりこんだ。
圧倒的な恐怖感。
絶対的な絶望感。
目の前のものが、この世ならざるものであることは、理屈抜きでわかる。
『破壊者』は、俺に歩み寄り、こん棒のような腕を振り上げた。数秒後の死が見えたが、体に力が入らず動けない。
しかし、『破壊者』はそのまま動きを止めた。そして、頭を傾け、プルプルと震え出す。
「――?」
何だ。何が起こってる。
やがて、頭を傾けた方とは逆の首の付け根に亀裂が入り、拡がった。
裂け目から見える中身は綿などではもちろんなく、底無しの闇。そして、そこから綿の代わりに出てきたのは、妹の頭部だった。
1つの体に二つの頭が生えているような格好だ。もっとも、妹の頭の方が2倍ほど大きかったので、ややアンバランスではあった。
「お兄……ちゃん……」
寝起きのようなトロンとした目が俺の姿を捉える。
「お前、生きてる……のか?」
状況に対して理解が追い付かず、間抜けな台詞しか出てこない。
「ううん、もう死んでるよ。殺された。それは間違いない」
ふと、思い至る。『破壊者』の内部にある闇は、妹の言う別の世界と繋がっているのではないか。そこから現れたということは、つまり――
「まさか、俺を連れて行くために――」
最後に聞いた生前の妹の言葉――お兄ちゃんにも、きっと、わかる日が来るよ。
妹は微笑んだ。
「ああ、そのことだけど、お兄ちゃん。死ぬのが救いだとか、別の世界とか。ごめん、私が間違えていた」
笑顔のまま、目から涙が溢れた。
「それは、どういう――」
「逃げて、お兄ちゃん。そして、生きて」
逃げる。それが最良にして唯一の選択肢であることは確かだ。足がすくむなどといった言い訳はやめて、尻に鞭を打ってでも、走り出すべきだ。
だけど。
何だかもう、いっぱいいっぱいだった。
先ほど家に帰ってきてからの一連の出来事は、俺の脳の許容量を越えていた。
救いというわけじゃないけれど、楽になりたい気分だった。
「うおおおお!」
俺は雄叫びを上げて駆け出した。ただし、逃げるためではない。金属バットを振り上げ、絶望の化身に飛びかかった。
◇
ぐちゃりと、水気を含んだ鈍い音と、確かな質量を伴った衝撃が、金属バット越しに伝わってくる。
完全に予想外。何だよ、効くじゃないか、攻撃。
妹の頭部はいつの間にか消えていた。好都合だ。思う存分叩きのめすことができる。
何度も打ち付ける。仇を取るように。恨みを晴らすように。狂ったように。
『破壊者』は抵抗なく打たれ続け、変形していった。
「あるじゃん中身」
残骸は、生物的なそれだった。茶色い毛皮の裂け目からは、肉や骨が覗いて見え、車にひかれた小動物を思わせた。
終わったのか? こんなにあっさりと。
そんなはずはないという理性と目の前の残骸が頭の中でせめぎ合う。俺は天を仰いだ。
「え?」
空は見たことのない様相だった。様々な色の絵の具をぶちまけて、軽くかき混ぜたようなマーブル模様。
辺りを見回す。
「どこだ、ここは。ていうか――」
現実なのか。
町――のようではあった。家や塀が建ち並んでいる。ただし、俺が知っている風景とは似ても似つかない。
内蔵や筋肉や目玉や皮や鱗や血管などの動物的な部品。
歯車やネジや電子パーツなどの機械的な部品。
それらが、有機的に繋がれ渾然一体となり形をなしている。辺り一面、そんな構造物で溢れている。
落ち着こう。
大きく深呼吸をしようとして、うまくいかなかった。肺に空気が流れ込む感覚がない。
「あれ?」
胸に大きな穴が空いていた。
恐る恐る手で探っていく。穴の上部には途中でちぎれた管が2本垂れ下がっていた。一本は食道で一本は気管だろう。どうりで息ができないはずだ。
何だ、そういうことか。
理解した。
俺は死んでいた。
悪夢は覚めたということだ。
そして、目覚めたところは、やっぱり悪夢の中だった。
さて、これからどうするか。
ここが死後の世界なら、あいつも、どこかにいるかもしれない。どのみち、ほかにすることもない。
俺は、妹を探して歩き始めた。
終