がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

全2話『新世界 #1』 /ホラー

 

 

#1

 

 僕らは、あの日終わってしまった世界を生きている。

 

 ◇

 

「あれに殺されることは、救いなのよ」

 朝食の席、すでにパジャマから黒いセーラー服に着替えた妹は、世間話でも始めるかのように呟いた。

 いや、彼女にしてみれば真実世間話のつもりだったのかもしれない。少なくともそれは、テレビから流れているニュース番組の話題ではあった。

「救い?」

 とりあえず、気になった言葉を聞き返してみる。内容はどうあれ、家族の間で会話をすることは良いことだ。ちなみに、ここにいる家族は俺と妹の2人だけだ。父と母は、すでに仕事に出かけている。

「ええ、救い。そして、希望」

「やっぱり、俺にはよくわからないな」

 実のところ、彼女からこの手の主張を聞くのは初めてではなかった。

「どこがわからないの?」

「何事にも例外があると言うけれど、『死にたくない』っていう気持ちは、誰もが例外なく持っているものだと俺は思ってる」

「それは、みんな知らないからだよ。死んだらそこで終わりだと思っている。この世界での死は、別の世界での誕生を意味するの」

「ふーん。そうなんだ。ところで、なんでそんなことがわかるんだ?」

「なんで? 理由なんて要らないよ。そうなのだから、そうなのよ」

 まあ、わかっていたことだ。『信じる』という行為に、理由だの証拠だのは必要ない。

「俺は今いる世界でいいや」

「この世界は苦悩で溢れているわ」

「苦悩、ね……」

「言ってみれば、この世は悪い夢なのよ。『破壊者』はそれを覚ましてくれている」

 ニュース番組では、キャスターが昨日の死者の数を坦々と伝えていた。まあ、今さら『破壊者』絡みの事件を報道するのに、いちいち感傷的にはなれないだろう。それこそ、天気予報のように毎日あるものだから。

「悪夢にしているのは奴だと思うけどな」

 妹は首を振った。

「『破壊者』が現れる前から、この世界は酷い有り様だった。むしろ、だからこそあれは現れたのよ」

 妹は鞄を持って立ち上がる。


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「じゃあ、そろそろ行くね」

「ああ」

 どんなに世界が壊れようとも。

 どんなに世界が狂おうとも。

 それでも、妹は黒いセーラー服を着て学校へ行く。

 父も母も生きるために働きに出るし、俺だって大学に行き、役に立つかもわからない講義を受ける。

「お兄ちゃんにも、きっと、わかる日が来るよ」

 妹は死んだような目で言った。

 

 電車に揺られながら大学に向かう。俺は窓から見える町並みをぼうと眺めていた。

 まるで廃墟。

 まるで空虚。

 もちろん、そこでは人々が生活しているし、町は機能している。

 それでも思う。この町も人々の営みも、かつての社会の残滓――惰性でかつての姿を維持し続けているだけなのだと。

 『破壊者』は3年前、突如として現れ人を殺し始めた。僕が高校生で、妹が中学生の頃だった。

 最初の事件はとある国の農村で起こった。畑仕事中の農家数名が何者かに襲われ、命を落とした。遺体の損傷は激しく、内側から爆弾でも爆発したのではないかというような有り様だった。

 事件には目撃者がいた。犯人は人間ではないらしい。目撃者は犯人の姿を『熊のぬいぐるみ』だと表現した。事件は世界中で報道されたが、その証言に関してはみな、どう捉えていいのか判断しかねた。

 レポーターは聞く。『熊のぬいぐるみ』は被害者をどうのように襲ったのか。目撃者の中年女性は答える。

 どうやってって、その……普通にこう……殴ったんですよ――

 

 次の 事件は日本で起こった。
 『破壊者』はよりにもよって、日曜日の真っ昼間、往来の激しい都心部に現れた。

 死者数百名の大惨事。未曾有の大殺戮に世界は震撼し、恐怖した。

 事件の様子は町中に張り巡らされた防犯カメラ網により捉えられていた。そして、そこに記録されていたのは、人体がひとりでに損壊していく様子だった。

 突然、脇腹辺りに大穴が空き、自分の内蔵が流れ出る様子を呆然と見つめる男。

 地面に転んだあと、自分の足が消失したことに気付かないま立ち上がろうとし、また転倒する女。

 まるで、プリンでもすくうかのように、骨ごと抉られていく人体。

 飛び散る肉片。

 撒き散らされる鮮血。

 次々と肉塊に姿を変えていく人、人、人。

 しかし、その原因となった何かが見当たらない。残された映像には何も映されていない。

 不思議なことに目撃者はいた。それも、相当な数だ。そこから導かれる結論は、犯人はカメラのレンズには映らないが、人間の目でならその姿を捉えられるといった、冗談のようなものだった。

 目撃者は言う。犯人は人ではない。あえて言うなら、『熊のぬいぐるみ』のようだったと。

 

 日本での惨劇以降、『破壊者』による殺戮は世界中で起こるようになった。現れる場所も、時間もランダムだった。

 あるときは、授業中の教室に。

 あるときは、深夜の民家の寝室に。

 あるときは、熱気溢れるコンサート会場に。

 いつでも、どこにでも現れ人々を襲撃した。屋外でも屋内でも。密室であろうとなかろうと。

 当然ながら『破壊者』に反撃を試みる者はいた。しかし、結論から言うと、あらゆる攻撃が通用しなかった。

 鈍器による打撃も、銃から発射された弾丸も、全く効かない。否、効く効かない以前に、当たらない。素早く避けられるという意味ではなく、『どんな物質』もすり抜けるのだ。

 人々は『破壊者』の正体も、カメラのレンズに映らない理由も、物理的な接触ができない理由も、そのうち科学的な手法で解明されると信じていた。しかし、3年経った今でも、その一端さえ掴めていない状況だ。

 正真正銘、正体不明。

 それは、絶望を意味した。なぜなら、対抗手段が見付からないまま今のペースでの殺戮が続けば、あと20年足らずで、全人類は『破壊者』に殺し尽くされてしまうと言われているのだから。