がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『沙弥は檻の中 #8(最終話)』 /青春/ホラー

#8 さようなら

 

 ハルが笑っていた。

 彼女らしい、周りまで明るい気持ちにさせる屈託のない笑顔。

 これは、いつの記憶だろう。

 ハルの隣には私がいた。ハルの冗談に顔が綻ぶ。ハルは花が咲くように破顔する。

 今は遠いかつての二人。こんなふうに笑い合っていたときがあったんだ。

 最後はおかしなことになってしまったけれど、私達は確かに親友だった。

 ハル。

 今までありがとう。

 そして、さようなら。
 

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 悲惨な事故の翌々日のこと。

 1階の自動販売機横のベンチで顔を伏せてふさぎ込んでいると、声をかけられた。顔を上げると佐久間真広君の同情に満ちた顔があった。

 わざわざ、こんな場所で落ち込んでいたのは、彼と出会えるかもしれないという思惑があったからだが、その通りになった。

 二、三言葉を交わしたのち、私の病室に移動する。彼は事故のことは知っていた。そして、その意味するところ――すなわち、私が帰るべき体を失ったこと、そして、元の体に戻れる可能性が正真正銘ゼロになったことを理解していた。

「いいの。どのみち、ハルは私に体を返す気はなかったみたいだし」

「そう……」

「むしろ、いい気味だわ」

「……本当に、そう思ってる?」

 その問いには答えずに、私は彼の足を見た。もう、車椅子には乗っていない。松葉杖を使ってはいるが、ちゃんと歩けるようになっていた。

「今日、退院だったよね?」

 私は確認のために聞いた。

「うん」

 佐久間君は後ろめたそうに頷く。退院する予定のない私の心境を気にしているのだろう。

 彼は優しい。この1ヶ月間、何度か話をしてわかったことだ。そして、もうひとつ。彼は優しいだけだった。

「今日ね、お昼から私――水坂沙弥のお葬式があるの」

「……」

「お葬式が終わると、私の体は火葬場に運ばれる。骨以外は燃やし尽くされて何も残らない。肉も皮も内蔵も髪も爪も眼球も血管も何もかも。14年間一緒だったのだもの。最後にちゃんとお別れがしたい。ハルから解放された自分の体と」

「それは、病院を抜け出してお葬式に駆けつけたいってこと?」

「うん」

 佐久間君は少し考えて首を振った。

「……難しいと思う」

 この病弱な体では外出はできない。それは、これまでも何度か考えて出た結論だ。それなら――

「お願いがあるの、佐久間君。今日の夕方まで、私に体を貸してほしい」

「え、それはどういう――」

「私と、おまじないをするのよ」

「え? 僕が?」

 声が上ずっていた。

「そう。そうすれば、こっそり病院を抜け出して、私はお葬式に行くことができる」

「いや、でもうまくいくかな。そのおまじないがいつも成功すものだとしたら、世の中大変なことになると思うんだけど」

「うまくいかなければ、諦めるしかないというだけだよ。だからお願い」

 佐久間君は渋っていたが、最後には断りきれないと私は踏んでいた。いや、その可能性に賭けるしかなかった。私は長い時間説得を続け、ついには彼の首を縦に振らすことに成功した。

 そして、おまじないを実行する。奇跡は再び起こり、私達は入れ替わった。

 佐久間君の言うとおり、これは大変なことなのではないだろうか。こんな奇跡に再現性があっていいのか。まあ、この病院が特別な場所であるとか、何かしらの要件が重なっているのかもしれないし、ひとまず、そう考えておくことにしよう。

 ともあれ、南沢春の肉体に入った佐久間君を残し、佐久間真広となった私は嬉々として、病室を出た。


 お葬式になんて行くはずがなかった。つぎはぎだらけの死に顔になんて興味はない。

 私は、病院の敷地内で適当に時間を潰す。松葉杖を使っての歩行は、病におかされた体に比べれば、それほど大変ではなかった。何もすることがなくて退屈だったが、夕方までの辛抱だ。

 佐久間君に聞いていた退院の時間に合わせて、彼が入院している病棟に向かう。病室の詳細な位置までは聞いていなかったが、『佐久間真広』のネームプレートがかけられた部屋を見付けるのに苦労はしなかった。

 大部屋の一番奥が彼のスペースのようだった。そこで、大人の女性がひとり、待っていた。佐久間君のお母さんだろう。荷物はすでにまとめられていた。

 佐久間君のお母さんに連れられて建物を出ようとしたときに、騒ぎがあった。少し離れたところで、暴れる女の子が病院の関係者らしき大人たちに取り押さえられていた。

 女の子はこちらのほうを睨んでいた。髪を振り乱しながら、入れ替わっただの、騙されただのと半狂乱で叫んでいる。しかし、その主張が受け入れられることはない。彼女が似たような妄言を吐くのは、これが始めてではなかったはずだ。

 佐久間君のお母さんは心配そうに我が子に尋ねた。

「あの子、お友達?」

「ううん。まったく知らない子だよ」

 外に出ると目映い太陽が出迎えた。

 ここから出られる日が来るなんて。

 もう駄目かと思ったけれど。

 危ない危ない。

 『いい人』がいて助かった。


 駐車場に停められていた軽自動車の助手席に乗せられる。ほどなくして車は走り出した。これから向かうのが新しい家。そこで、新しい人生が始まる。

 今度こそ間違わないように。

 嫌いな自分にならないように。

 鞄の中から買っておいた缶ジュースを取り出す。佐久間真広が愛飲していたものだ。蓋を開けると、微かに泡の弾ける音がした。相変わらず不思議な味の炭酸飲料を飲みながら、窓の外の流れる景色を眺めていた。

 私――僕は口の端を吊り上げた。
 

 

 終