がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『沙弥は檻の中 #6』 /青春/ホラー

#6 決意

 

 騙された。

 ハルの嘘つき。彼女は体を返すつもりなどなかったのだ。

 もっとも、彼女の気持ちも少しはわかるつもりだ。たった一週間でも、その苦しみを体感したのだから。この終わりの来ない悪夢のような不安からは、そりゃあ、逃げたくもなるだろう。

 ――でも。

 だからといって、それはないだろう。いくらなんでも、それは酷いだろう。だって、何をどう考えても、あれは私の体なのだから。

 だけれど、さて、どうしたものか。
 とにかくハルと話をしなければならないが、相変わらずこちらからの連絡には無視を決め込まれているし、病院を抜け出すというわけにもいかないだろう。

 やはり、誰かに相談すべきなのだろうか。しかし、こんな荒唐無稽な話をいったい誰が信じるというのか。

 

 一人で籠って悶々としていても何か良い解決策が浮かぶでもなく、気が滅入ってくるだけだったので、病室を出ることにした。

 エレベーターで1階に降り、売店に向かう。店内をぐるりと回り、特に欲しいものがないことを確認したあと、例の自動販売機がある一画に足を向ける。そして、例のごとく車椅子の男の子――佐久間真広君がお気に入りの缶ジュースを買っているところに遭遇した。

「あれ? 南沢さん。こんにちは。また会えたね。……何だかあまり元気がないようだけど、何かあったの?」

 彼は私の顔を見るなり、旧知の仲であるかのような親しみを、私に見せた。

「あ、あの……」

 不安とか恐怖とか寂しさとか、内に押さえつけていた感情が込み上げ、私はボロボロと涙をこぼした。

 

 私の病室。私はベッドに腰掛け、佐久間君は丸椅子に座っていた。

 私がこれから語る予定の話は、通りすがりの人などには聞かれたくなかった。他の入院患者を個室に招き入れることが、病院のルールに違反していないかどうかはわからなかったが、他に良い場所が思い付かなかった。

 私は事の顛末を話し始める――が、やはり冗談じみていた。自分の口から発せられる言葉にまるで現実味を感じない。だけど話を聞き終えた彼は、

「信じるよ」

 と即座に言ってのけた。また涙が出そうになった。

「本当に?」

「疑う理由もないからね」

「いや、あるでしょう。いろいろと」

 あまりにも素直すぎて、逆に不安になる。

「信じはする――けど、肝心なのはこれからどうするかだね。やっぱり、大人に助けを求めるしかないと思うけど……」

「うん。でも、佐久間君みたいに簡単に――簡単じゃなくても信じてもらえるかどうか……」

 それこそ、常識ある大人が。

「うーん。信じてもらえないかもしれないし、変に思われるかもしれないね。でも、それで今より状況が悪くなることはないんじゃない?」

「それは――」

 その通りだ。今が最悪の状態なのだから。

 結局のところ、そこだった。

 いろいろと考え込むうちに、言うべき事を引っ込めてしまう私の悪い癖が、今このときにも発露しているのだ。

 考えてみれば、今回のことだって――

 最初におまじないをして体が入れ替わったあと、本当はすぐにでも元の体に戻りたかった。

 次の日、もう一日だけ体を貸してほしいと言われたとき、本当は恐ろしくて仕方がなかった。

 でも、いい顔をしたくて。

 嫌われたくなくて。

「ごめんね。無責任なことを言って」

 私は首を振った。

「話を聞いてくれるだけで――ううん、それどころか、信じると言ってくれて、とても嬉しかったよ。ありがとう」

 彼は私の背中を押してくれた。

 今度こそ、自分を変えてみよう。

 言うべき事を、言えるように。

 嫌なことを、嫌だと伝えられるように。

 無茶を言われても、断れるように。

 ――願わくば、この決意が明るい未来をもたらしますように。

 

 まずは私の家に、ここに来てから三度目の電話をかけた。電話にはお母さんが出た。そして私は電話越しに「お母さん」と呼びかけた。

 私は私の身に起こったことを説明した。二度目だったので、先程よりもうまくできたと思う。しかし、お母さんは始めこそ、相槌をうって一応話を聞いている体を取っていたが、途中からあからさまな愛想笑いを漏らすようになった。

 そして、助けを求める私に対して、諭すような――やんわりと悪戯を咎めるような言い回しをし、なおも私が食い下がると、次第に苛立ちを言葉の端々に見せるようになった。最後には、無理矢理会話を打ち切り、電話を切ってしまった。

 私はスマホを握りしめたまま、唇をかんだ。

 

 辛かった。くじけそうだった。でも、まだやるべき事があった。

 数日後、ハルのお母さんがお見舞いに来てくれたときに本当のことを伝えた。

 私は南沢春じゃなく水坂沙弥で、本当の南沢春は水坂沙弥の体の中に入っている――とそのような説明をしたが、最後まで聞いていたかどうかはわからない。

 ハルのお母さんは、私の言わんとすることを理解するにつれて、顔を青ざめさせていった。

 そして、なぜか涙をこぼしながら「ごめんなさい」とうわ言のように繰り返していた。


 自分が南沢春ではないと主張しているという話は主治医の耳にも届いていたらしく、ある日の診察のときに問いただされた。

 私は下手に誤魔化さず事実を述べた。そして、その日から食事のあとに出される薬の量が増えた。

 以降、不思議なことに不安感は少なくなった。ただ、その代わりに頭がぼんやりするようになって、これまで以上にベッドで過ごすことが多くなった。そして、気が付けば無気力なまま一ヶ月が経過していた。

 
 私はもう諦めかけていた。

 というか、自分の記憶さえ疑い始めていた。

 私とハルは本当に入れ替わったのか。こんな滅茶苦茶な話が、現実に起こり得るものなのか。

 もしかして私は南沢春が生み出した現実逃避のための人格なのではないだろうか――恐らくはハルのお母さんがそう理解したように。

 そんなことを――それこそ現実逃避をし始めた頃、来客があった。

 ハルのお母さん以外では、随分と久しぶりの訪問者だった。

 病室の入り口には少し見ない間に、すっかりと垢抜けた感じの水坂沙弥の姿があった。


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