『沙弥は檻の中 #5』 /青春/ホラー
#5 理由
ハルと体を交換してから、一週間が経過していた。
あれからハルは一度もこの病室を訪れていない。
もう一日だけ体を使わせてほしいと言って去っていった次の日の晩、面会時間の終了時刻を過ぎても現れなかったハルに連絡を取ろうと、彼女のスマホを使わせてもらうことにした。勝手に他人のスマホの中を覗くことには罪悪感を覚えたが、緊急事態だ、仕方がない。
アプリを開いてメッセージを書き込む。私のスマホは鞄の中に入っていたので、ハルが持っているはずた。しかし、朝になってもハルからの返答はなかった。その後、直接電話をかけてみたりもしたが反応はなかった。
火曜日あたりだったか、私の家には固定電話があったことに気が付き、そこにかけてみることにした。
「はい、水坂です」
数日ぶりのお母さんの声はひどく懐かしく感じた。
「あ、あの……わたし……」
うまく言葉が出てこない。お母さんの声色が怪訝そうになる。
「あの、どちら様でしょうか?」
落ち着け、私。この前みたいに間違えないように。
「南沢春です」
「ああ、ハルちゃん。どうしたの?」
「サヤはいますか? うまく携帯につながらなくて……」
「そうなの……ちょっと待っててね。呼んでくるわ」
保留状態になり単音のメロディーが流れる。とりあえず、ハルが無事に家で過ごしていることがわかって一安心した。けれど、少しして電話口に出たのは、またお母さんだった。
「ごめんなさいね。サヤ、出たくないって言っているの。わけを聞いてもはぐらかされるし」
出たくない?
出たくないってどういうこと?
「実は今、サヤと喧嘩してて……」
そういうことにした。この場面で私が気を使う必要があるのかはわからないけれど。
「そうなの」
「その……サヤは元気にしてますか?」
「ええ、元気よ。特にここ数日は」
「そうなんですか?」
「ええ。何だか前より明るくなったみたい。毎日お友達と遊んでいるようだし、その影響かしら、今日、髪を染めたいって相談されたわ」
「髪、ですか……」
それは、いくらなんでも――勝手をしすぎだ。体を返すときには元に戻すつもりかもしれないが、そういう問題ではないと思う。
「まあ今時、髪の色ぐらい別にいいとは思うけどね」
いいんだ。少なくとも校則には違反しているのだけれど。あれ? でも、考えてみればそういう子って結構いるな。もしかしたら、私が知らないだけで、抜け道というか、うまい言い訳があるのかもしれない。
「髪は――」
「え?」
「髪は、今のままのほうが似合うと言っておいてください」
それが火曜日のこと。そして昨日、木曜日にも電話をかけてみたが、やはり、電話口に出てはくれなかった。
とはいえ、私には楽観のようなものもあった。確かに約束は守ってくれなかったけれど、久しぶりの自由な生活を少し長く楽しみたくなっただけだろうし、今日でちょうど一週間と区切りがいい。ハルはきっともうすぐやって来て体を返してくれるにちがいない。親友の私にはわかるのだ。
ベッドの上で、病室の出入り口の引き戸が開くのを待つ。そろそろ、学校が終わる時間だ。学校を出てからここまで、歩いて15分ほど。もうすぐだ。
15分経った。引き戸は開かない。そういえば先週も遅くなったんだっけーー掃除当番を押し付けられて。今日も似たような事情があるのかもしれない。多少、性格が明るくなっても、周りから見れば水坂沙弥にちがいないのだから。
さらに1時間が経った。ハルは現れない。どうしたんだろう、遅いな。あと30分くらいで面会時間が終わる。そのとき引き戸が開いた。
「あーー」
個室に入ってきたのは、ハルのお母さんだった。私は落胆した。
「どうかした?」
間違えないように。私は南沢春で、この人はお母さん。
「ううん、何でもない。それより今日はどうしたの」
「どうって。何もないのにお見舞いに来ちゃいけないの?」
「そんなことはないけど……」
うまく言葉が続かない。ハルとハルのお母さんがどういうふうに会話をしていたのかを知らないから。その辺、ハルのほうはうまくやっていそうだけれど。
「何もないって言えば嘘になるか。この前来たとき、ハル、何だか元気がないようだったから、少し心配してたの」
向こうは明るくなり、こちらは元気がないーーか。当たり前と言えば、当たり前だが、何だか悔しい。
「悩んでるのなら言ってね。お母さんじゃ何もしてあげられないかもしれないけど、それでも話を聞くことはできるから」
ニュアンスから、病気のことで落ち込んでるのではないか、ということだと思う。心配をかけてもらって申し訳ないが、私の性格はこれでデフォルトだ。
だけど、この会話の流れで聞いておきたいことがあった。
「外出ってできないのかな」
もう、こうなったら、直接私の家に行ってやろうと思ったのだ。まあ、思い付きなのだけれど。
ハルのお母さんは、目を細めた。悲しむような表情で、言い方は悪いかもしれないが、目には哀れみが浮かんでいた。
「難しいと思うわ」
「……」
「先生の許可が降りないと思うし、それに、もし外出できたとしても、体力がもたないでしょう?」
この体じゃ、できることは限られている。家に辿り着くことさえ難しいかもしれない。
「じゃあ、体が良くなれば外に出られるよね。退院っていつできるのかな」
今は、体の調子が悪くて身動きが取れないが、病状が回復すれば問題ないはずだ。そのために入院しているのだ。
そのはずだ。
なのに、
「そうね。そんな日が、いつか……きっと来るわ」
なんて返事が返ってきた。
え、あれ?
いつか?
いつかって、どういうこと?
そんな言い方をしたら、まるで、この先、退院の見込みがないみたいじゃないか。
ハルのお母さんは、目に涙を浮かべていた。哀れむような目でーーいや、哀れんでいた。病気の娘を。自分が元気になったらという架空の未来を語る健気さを。
私は、悟った。
ハルの病気は、この体を蝕んでいる病は、自分が考えていたよりも、ずっとずっと深刻なものなのだということを。
そして、なぜハルが帰ってこないのかも。