『沙弥は檻の中 #4』 /青春/ホラー
第4話 車椅子の少年
ハルが行ったあと、ベッドの上でしばらくぼうっとしていた。
テレビが備え付けられていたが、見る気にはなれなかった。たぶん、テレビカードを使うのだろうが、それがどこかにあるのか、また、あったとしても勝手に使っていいのかどうかもわからなかったし、そういうことを考えるのも面倒だった。
面倒だし、億劫だ。
風邪をこじらせときのような体の不調が、思考力と行動力を奪っている。
少しすると、看護師のお姉さんが夕食を持ってきてくれた。トレーに盛られた質素な食事の隣には、錠剤の入った透明な袋が置かれていた。
ぞっとした。
こんなに――飲むの?
色とりどりの錠剤は、とても一回で飲みきれる量ではなかった。いや、とても一回分だとは思えなかった。私は不安になり、お姉さんに聞いてみた。
「これ、全部……飲むんですよね?」
お姉さんはポカンとしていた。
「ええ、いつも通りよ。どうしたの? 何かあった?」
私は、しまったと思い、取り繕うように笑う。
「いえ、何でもないです」
病院食はハルに聞いていたとおり、あまり美味しくはなかった。味付けは薄かったし、油分も少なかった。何より、静かな部屋での一人きりでの食事という状況が、私から味覚を奪っていた。
9時になると明かりが消えた。寝るには早い時間だと思ったが、以外と体は就寝モードに切り替わっており、眠気が襲ってきた。
夕食後に服用した薬の影響かもしれないし、ハルの体に染み付いた生活のサイクルかもしれなかった。もとより、他にすることもない。眠気に抵抗する意味はなく、私は素直に意識を閉じた。
次の日の昼食後、私は病院内を散策することにした。相変わらず体は重かったが、不思議なもので一日もたたずに歩ける程度には慣れてしまった。
散策と言っても、院内の案内図を見る限り、他のフロアでうろうろしてよさそうなのは、1階くらいのものだった。しかし、1階も変わったものと言えば売店があるくらいで、そこも中を一周するだけでやるべきことは終わってしまった。
ハルがぼやくのもわかる。病院という場所はあまりにも退屈だ。
3階に戻ろうとエレベーターに向かう途中、飲み物の自動販売機の前にいた男の子の姿が目に留まった。彼は車椅子に乗っており、右足には大袈裟なギプスを巻いていた。
その顔には見覚えがあった。同じ中学校の生徒で、たぶん学年も一緒だ。
彼は自動販売機に手が届く位置に車椅子を横付けさせ、投入口にコインを入れようとしたところで、それを落とした。
私はコロコロと足元へ転がってきたコイン――五百円玉を拾い上げ、そのまま投入口に入れた。
男の子は「ありがとう」と屈託なく笑って、見たことのないデザインの缶ジュースのボタンを押す。ガチャンという音とともに、下部の取り出し口に現物が落下した。
「君はどれにする?」
「えっ?」
私はとっさに意味がわからなかった。
「ほら、選んで。拾ってくれたお礼」
「えーと、じゃあ、君と同じので」
私の返事を聞くと彼は手をのばして同じボタン押す。車椅子に座ったまま前屈みになり、取り出し口から2本の缶ジュースを取り出すと、そのうちの1本を私に差し出した。
「ありがとう……」
自動販売機のすぐそばにベンチが設置されていたので、そこに座る。ようやく男の子と目線の高さが並んだ。
缶のふたを開けると、泡の弾ける音がした。謎のジュースはどうやら炭酸飲料らしかった。飲んでみる。なんとも言えない味だった。フルーツ味なのか、別の何かなのか。不思議な味としか言いようがない。
「美味しい」
私はお世辞を言った。
「でしょ。それ、僕のお気に入りなんだ。それはそうと、君、同じ学校だよね」
「そう……だよね」
「話をするのは初めてかな。僕は佐久間真広」
「私は水坂沙弥……じゃなかった。南沢春」
「……自分の名前を間違えることってあるんだ」
しまった。
「ええと。昨日、幼馴染みがお見舞いに来てて、その幼馴染みの名前を言っちゃった……みたい」
言い訳になっているかも怪しかった。でも、他に言いようもない。
「ふーん。君、面白いね」
柔らかく笑う。穏和な印象だった。
「佐久間君はいつから、入院しているの?」
「3日前からだよ」ギプスをさする。「ちょっと、友達と悪ふざけをしてたらね」
どんな悪ふざけをしたら、そんな大惨事になるのだろう。
「君は?」
「私は……三ヶ月くらいかな」
「ふうん」
何の病気かとは聞かれなかった。それは言い換えれば、三ヶ月経っても退院できないということだから。
もっとも、病名は私も知らなかった。ハルは語らなかったし、私もあえては聞かなかった。
「じゃあ」と彼は言った。「診察の時間だから。リハビリとかで、まだ、しばらくは入院しているから、また会えるかもね」
「うん」
会ったとしても、その時は、体を本来の持ち主に返したあとだろうけど。
でも。
優しそうな人だったな。もし、学校で見かけたら話しかけてみようかな。なんて、らしくないことを思った。
そして夕方。ハルが戻ってきた。
昨日、私が到着した頃よりも、さらに遅い時間帯だった。もう辺りは暗かった。面会時間も終わる間際だった。
「遅かったね」
「うん。ユミたちと遊んでたから」
ふうん。私の体で? 向こうは水坂沙弥だと認識していたはずで、それでも、彼女たちの輪の中に入り込めるのは、やはり、南沢春の人間性に魅力があるからだろう。まあ、楽しんだのなら結構なことだ。
しかし、ハルの表情は暗かった。
申し訳なさそうな。
悪さがばれて、叱られるのに怯える、子供のような。
「何か、嫌な思いをしたの?」
やはり、周りの人間にしてみれば彼女は水坂沙弥なのだから。しかし、ハルは意外そうな顔をした。
「そんなことないよ。楽しかったよ。本当に今日は楽しかった」
噛み締めるように。
「それなら……」
なぜそんな暗い顔をしているのか。
「お願い、サヤ……」
「ハル?」
それは、本当に。
本当に申し訳なさそうに。
「もう一日だけ……」
次の日、ハルは来なかった。
そして、次の日も次の日も次の日も――