がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『沙弥は檻の中 #3』 /青春/ホラー

#3 お願い

 

 あり得ない。

 何かの間違いだ。

 否定の言葉がぐるぐると頭の中を回る。 

 私はかつてなく混乱していた。とにかく状況を把握しよう。いや、実のところはわかっている。わかっているからこそ混乱しているのだ。それは、あり得ないことだから。

 ああ、駄目だ。思考がループしている。落ち着け、私。明白じゃないか。あとは受け入れられるかどうかの問題だ。

 とにかく。

 おまじないは成功した。水坂沙弥と南沢春の意識は入れ替わった。しかし――

 誰かが背中にもたれかかっているかのような体の重さ。或いは、地球の引力が1.5倍ほどになったのかもしれない。加えて、軽いめまいと乗り物酔いのような気分の悪さ。

 本当に私たちの意識が入れ替わったのなら、このあからさまな不調は、ハルの体に起こっていることだ。

 彼女は、こんな状態で過ごしていた。

 こんな状態でも、笑っていた。

「サヤ、だよね」

 水坂沙弥の容姿をしたものが問いかける。

 状況からして、二人の意識が入れ替わったということに間違いはなさそうだ。なさそうなのだが、念のために確認は必要だろう。だから私も同じく、

「ハル、だよね」

 と返す。そして、お互い頷き合った。


「おまじないなんて、内心馬鹿にしてたけど――」

 ハルは、落ち着きなく病室内をうろうろしていたが、結局元の丸椅子に落ち着いたあと、呆れるように言った。

「馬鹿にしてたんだ……」

 確かあの本はハルの友達であるユミのものだと言っていた。ハルって結構ひどい。

「だって、こんなことが現実に起こるなんて思わないわよ。サヤだってそうでしょう?」

「うん。思わないし、怖い」

「怖い?」

「だってこれ、一回体から魂? が抜けたってことだよね。こんな簡単な方法で」

「うーん。私のイメージでは繋いでた手を伝っていったって感じかな」

「どっちにしたって、怖いよ」

「うん、そうだね。それは私もそうだよ。これからは、ちゃんと気を引き締めておかないとね。魂が抜けないように」

 何て言うか。

 ハルには、冗談を言うくらいの余裕があった。私は、いまだ、頭の中がぐちゃぐちゃだというのに。

 それに、さっき見せた、あの笑みは一体何だったのか。私の見間違いだったのだろうか。

 ハルは続けた。

「で――どうする? このあと」

「どうするって言われても」

 やってみようと言っておきながら、何も考えていなかった。まさか、本当にこうなるとは思ってもみなかったから。

「でも、まあ。このままってわけにもいかないから、不思議なこともあるのねってことで、そろそろ終わりにしましょうか」

「終わり?」

「ちゃんと書いてあったでしょ? 戻る方法」

 そうだ。そうだった。ありがたいことにちゃんと本に書かれていたんだ。簡単なことだ。もう一度同じおまじないを実行すればいい。

 私たちは、さっきと同じように手を交差させ、ケーブルのように繋げる。まるで電子データのやり取りみたいな手軽さで魂を移し替えることには、やはり恐怖を感じるけれど。

 準備は整った。あとは声を合わせて、もう一度呪文を唱えるだけ。

「せーの」

 合図のあと、声を発したのは私だけだった。私だけ――2人で声を合わせなければ、おまじないは完成しない。

「ハル?」

「あの……お願いがあるんだけど」

 思い詰めたような表情。

 何だかわからないけれど、私は嫌な予感がした。

「何、かな?」

「一日だけ外で遊びたいの。病院での生活は退屈で、うんざりしていたから。退院できるのだって、いつになるかわからない。だからせめて一日だけでも――」

 繋いだ手はぎゅっと握られており、真剣さが伝わってきた。

 いつも私のことを心配してくれ、そして親友だと言ってくれる幼馴染みのめったにないお願いだったが、それだけじゃない。今更ながら彼女の闘病生活の辛さを知ったからこそ、それは叶えてあげたい願いだった。

「うん、わかった。いいよ」

 だから私はそう答えた。

「ありがとう。やっぱりサヤは親友だよ」

 繋いだ手がほどかれる。ハルは、私の鞄を持って立ち上がり、

「じゃあ、また明日、同じくらいの時間に戻ってくるから」

 ウインクしてから病室を出ていく。自分じゃ考えられない仕草だった。あんな調子で周りに変に思われないか心配になったが、よく考えてみれば、変に思われて困るような人間関係もなかった。

 


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 手を振ってハルを見送る。笑顔のつもりだったが、内心は違う感情が渦巻いていた。本当に自分が嫌になる。サヤの姿を、私に掃除当番を押し付けてきた彼女と重ねてしまった。

 違うよ。これは、そうじゃない。

 そんなことを考えてしまう、私がおかしいんだ。

 

 病室の窓からは、病院の敷地の入り口が見えた。さっき私が通ってきたところだ。

 そこで、ハルがこちらに向けて、大きく手を振っていた。