がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『沙弥は檻の中 #2』 /青春/ホラー

#2 おまじない

 

 エレベーターを降りると病棟の独特な臭いが鼻をついたが、いつものことだ、特に気にならない。私は慣れた足取りで廊下を進んだ。

 ハルの病室の前のネームプレートには「南沢春」と一人分の名前が書かれていた。一人分。つまり個室だ。

 他の部屋のほとんどはハルの病室より広く、複数台のベッドが設置されている。カーテンで間仕切りができるとはいえ、他人と四六時中同じ空間で過ごすと考えると、息が詰まりそうだ。しかし、入院というものはどうもそちらが一般的で、個室に入れるのはそれなりに裕福な家庭の人なのだと気付いたのは最近のことだ。

 病室に入ると、私の来訪を待ち構えていたハルが、満面の笑みで迎えてくれた。


f:id:sokohakage:20190915021228j:image

 

「サヤ!」

「こんにちは、ハル」

「遅いよお」

「ごめんね」

「待ちくたびれたよ。待ちくたびれて死ぬかと思ったよ」

「そんなこと言わないの」

 病院で、そんな言葉を使うのは、どうかと思う。

「でも、待つのはストレスだよ。ストレスは体に良くないんだよ」

「大袈裟なんだから」

 私は苦笑しながら、ベッドの脇に置かれていた丸椅子に座った。

「サヤが来るのを楽しみにしていたのは本当だよ。ここでの暮らしは退屈でしょうがないから」

「他にも友達が来てくれるでしょ?」

「たまにね。でも、いつも来てくれるのはサヤだけよ」

「うん」

 私は鞄の中からプリント――授業で配られた資料や宿題、ホームルームでの配布物など――を鞄の中から取り出す。そして、壁際に設置されている収納棚の上に置いた。

「いつも、ありがとう」

 私は毎週金曜日、これらをハルに届けにここに来る。そして、それはハルに会うための口実にもなっていた。私は学校に居場所がないから――。

 本心では毎日だってハルに会いたい。でも、そうできないのは、用もないのに会いに来ていいのかとか、ハルはああ言ってくれているが、毎日だと迷惑がられるんじゃないかとか――そんなこと考える必要はないのかもしれないのだけれど。

「ところで、今日はどうしていつもより遅かったの?」

 ハルは話を蒸し返した。

「うん、ちょっとね」

 私は言葉を濁し、誤魔化すように笑みを浮かべた。でも、ハルはそれだけで――

「ふうん。どうせまた、掃除当番かなにかを押し付けられたんでしょう」

「えっ。どうしてわかったの?」

「わかるよ、親友だもの。ダメだよ、断るときはちゃんと断らなきゃ」

 諭すような口調のハル。対して私は口元が緩むのを感じていた。親友――それは、私にはもったいないくらい嬉しい言葉だった。

 ハルは明るくて優しくて、いつも私を気遣ってくれる。私と違って学校では人気者だし、そんな子と親密でいられることが私の数少ない自慢だ。たとえそれが、私たちが幼馴染みであるというアドバンテージがあってのことだったとしても。

 

 通いつめて早3ヶ月。だからこそ、変化があれば必ずとは言わないが、まあ、気付く。違和感の正体は、収納棚の上のさっきプリントを置いた場所の横、ブックスタンドに納められた本の中の、見慣れない背表紙だった。

「ハル、こんなの読むんだ」

 その本を抜き取る。

 タイトルから判断するに、「おまじない」を紹介する本だ。「大事典」と銘打っているからには、さぞたくさんのおまじないが載っているのだろう。

 表紙には、少女漫画に出てきそうな、キラキラした女の子のイラストが描かれていた。そういえば、小学生の頃は女子の間でこういう本が流行っていた。中学校に上がってからはあまり見かけなくなったけれど――ハルにしては少し子供っぽいなと感じた。

「それ、ユミが置いていったんだよ。あの子、そういうの好きだから」

「ふうん」

 ユミとはハルの友達で、最近まで私の友達でもあると勘違いしていた子だ。さらに言えば、今日、私に掃除当番の交代を持ちかけてきた子――まあ、そんなことを今言っても意味はないので、黙っておこう。

 ページをパラパラとめくる。予想どおり、いろいろなおまじないがイラスト付きで紹介されていた。

 大半は恋愛に関するものだけれど、他にもいろいろある。例えば、「足が早くなる」とか、「ダンスがうまくなる」とか、「お小遣いをアップしてもらう」とか(これは、あとで試してみよう)。変わったところでは「宇宙人と友達になる」なんてものもあった。

「そうなると、もうファンタジーの世界よね」

 ハルはケラケラと笑った。

「他にもあるよ。『魔法が使えるようになる』とか、『金塊を見付ける』とか、『友達と入れ替わる』とか」

「うん? 入れ替わるって、どういうこと?」

「えっとね。友達二人の意識を交換する、ということみたい」

 描かれたイラストから判断すると、そういうことだ。というか、口で説明するより、そのページを見せた方が分かりやすい。

「ふうん。ちょっと面白そうね」

 興味を示すハル。反射的に私は、

「じゃあこれ、やってみようか」

 と、そんなことを提案していた。

「うーん。入れ替わったら大変だよ。私、こんな体だから」

「元に戻る方法があるから大丈夫だよ」

 そのページに併せて紹介してあった。もっとも、その方法とは、単にもう一度同じおまじないをするというだけだったが。

 そうは言っても、もちろん、お互いおまじないの効果になんて期待しちゃいない。大袈裟な儀式めいたことをやって、何も起こらないね、馬鹿みたいだねと笑い合う。これは、そういう遊びなのだから。

 そして、私たちはおまじないを実行する。

 ハルがベッドから足を下ろし、私たちは向かい合う。それぞれ自分の両腕を交差させ、交差させた両方の手で、正面にある相手の手を握る。中央にひし形ができる形だ。

 準備はできた。あとは声を合わせて本に書かれている呪文を口にするだけだ。

「せーの」

 それから――

 それから、どうなったんだっけ。

 意識がもうろうとしていた。

 初めは、夢の中にいるのかと思った。

 次に、鏡を見ているのかと思った。

 目の前に自分の顔があるのはそういうことだろうと、ぼうとする頭で考えた。

 でも違う。気が付かないうちに洗面台の前に移動していたなんていうことはないだろうし、第一、私は丸椅子の上に座っていたはずだ。

 私が今座っているのはベッドだ。

 丸椅子に座っている、もう一人の私も同じく困惑した様子で、やっぱり鏡かとも思ったが、彼女はすぐに表情を変化させた。

 水坂沙弥の姿をしたそれは、ゆっくりと口の端を吊り上げた。