がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

全8話『沙弥は檻の中 #1』 /青春/ホラー

#1 いい人

 

 教室を出たところで呼び止められる。振り返ると、薄ら笑いを浮かべた女子の姿があった。

 彼女は友達――いや、友達だと思っていた子。

 手には箒が握られている。嫌な予感がした。

「何かな......?」

「これ、代わってくれないかな?」

「えっと、何を……」

「やだなあ、掃除当番に決まってるじゃない。水坂さん、おかしい」

 ケタケタと笑いながら、持っていた箒をぐっと前に突き出す。

 やっぱりだ。

 私は陰鬱な気持ちになった。

 予感的中――いや、予測と言ったほうがよいか。予測的中。だって、こういう「頼み事」はしょっちゅうのことだったから。

 しかも、それは彼女に限った話じゃない。どうも私は、周りに面倒事を押し付けてもいい奴だと認識されているらしい。

 ――もっとも、それは、私の性格に起因するのかもしれない。はっきりと自分の意思を口にできない私の性格に。

 しかし、そんな私でも、さすがに今日のは断ってもいいのではないかと思う。むしろ、ここでちゃんと言わなければ、本当に駄目な奴になってしまう。

「掃除って、教室のだよね」

 この場で箒を渡そうとしているということは、そういうことだろう。

「そうだよ」

「その……こういうのって、別のクラスの人でもいいのかな……」

 何だか、はっきりしない言い方になってしまったが、私にしては勇気を出したほうだ。

 ――まあ、箒を持って代わってくれと言われれば、それは掃除当番のことだろうけれど、瞬時に意図がわからなかったのは、それが別のクラスの人から頼まれるようなことだとは、微塵にも思っていなかったからだ。

 私から反論があるとは思っていなかったのか、彼女は面倒くさそうに溜め息をついた。

「クラスが違ったらいけないなんてルールはないわ」

 悪びれずに言う。

 そんなことを言ったら、そもそも、当番を交替できるというルールもないと思うけれど。

「同じクラスの人に頼めば……いいんじゃないかな」

「だから、そんなルールはないわ。たまたま、友達が通りかかったから声をかけて、その友達が、たまたま、隣のクラスの人だったっていうだけよ」

 彼女は友達というワードを強調した。白々しい、と思った。彼女がそんなふうに思っていないことは知っている。

 私はかつて、彼女のことを友達だと思っていた。

 昼休みを一緒に過ごしたり、買い物に一緒に行ったり、一見すると友達同士のような付き合いをしていたからだ。彼女だけではない。そういう子が何人かいた。

 結論から言うと、彼女たちはハルの友達だった。私がハルに付いて回っていたから時間を共有することになっていただけで、元々私と彼女たちの間に関係性が築かれていたわけではなかったということだ。

 会えば挨拶はする。

 お互い名前も知っている。

 でも、友達なんかじゃない。

 その証拠に、ハルが学校に来られなくなってから、彼女たちといることはなくなった。

 私は孤立した。

 私には初めから、ハル以外に友達と呼べる人はいなかった。

「お願い、水坂さん。今日はこれから用事があるんだ」

 少し離れたところから、彼女を呼ぶ声がする。その方向を見ると、数人の女子が手招きをしていた。

「うん、すぐ行く!」

 彼女は快活に返事をすると、私との距離をつめ、体を寄せてきた。微かに、大人が付けるような香水の臭いがした。

 彼女は私の耳元に口を寄せ、小声で――つまり、周囲に聞こえないように、

「あまり、恥をかかせないでよね」

 と冷ややかに囁く。同時に、持っていた箒を私の胸元に押し当ててきた。

 今までのにこやかな態度(少なくとも表面上はそうだった)からの急変に思考がついていかず、私は思わず箒を受け取った。

「ありがとう。水坂さんて、『いい人』ね」

 彼女はそう言って、仲間たちに駆け寄り合流する。これから、街にでも繰り出すのだろうか。女子たちはじゃれ合いながら、去っていった。

 私は、硬直したまま、それを見送る。


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 凄く惨めだ。

 頭を振る。気持ちを切り替えよう。いや、切り替えられなかったとしても、掃除当番なんて、さっさと終わらせるべきだ。今日は私にだって用事があるのだから。

 「よし」と小さく気合いを入れて、自分の所属するクラスの隣の教室に入る。

 不思議なもので、造りも備品もだいたい同じなはずなのに、教室というのは、それぞれ違う空気感があるものだ。

 居心地の悪さを感じながら、私は掃除を始める。

 他にも数人、当番らしき人がいた。もし、彼らが私と同じような事情でなければ、きっとこのクラスの生徒にちがいない。

 箒で床を掃いていると、周囲から、クスクスと笑い声が聞こえてくる。それが、私に向けられているということは、見なくてもわかった。

 私はそれを無視するように努める。

 聞こえないように。

 考えないように。

 外からの情報を遮断すると、今度は内から、心の声が聞こえてきた。

 どうして、こういうふうになってしまったのか。

 どこかで間違えたのか。

 わかっている。原因は私にある。この性格が元凶だ。

 変われるものなら変わりたい。

 でも、簡単に変われるものなら、誰だって苦労しない。

 私は、私が大嫌いだ。
 

 門を抜け病院の敷地に入る。その辺りからは、ハルの病室の窓が見える。位置は覚えていた。3階にある入院病棟の一室だ。

 窓に目をや遣ると、思いが通じたように人影が映った。体を起こしたハルが、私の存在に気が付いて手を振った。

 私の唯一の友達。

 かけがえのない存在。

 彼女は、重い病気にかかっている。

 もう入院してから、3ヶ月が経っていた。