『未観測Heroines #12』 小説/長編
#12
雨は降り止まない。
だんだんと空が暗くなってきた。
薄暗い洞窟に差し込んでいた、わずかに僕たちを安心させてくれていた光が、弱まっていく。
もうすぐ夜になる。
夜になると真っ暗になる。
だってここには電気がないから。
そんなことに、今更気が付く。夜に灯りがないことなんて、これまでなかったから。家の中でだって、橙の灯りがないと眠れないのに。
「このままおうちに帰れなかったらどうしよう」
彼女は、嘆いた。
つないだままの手は微かに震えていた。
「そんなこと絶対ないよ。パパやママが迎えに来てくれる。絶対に」
「絶対に?」
「うん」
「でも……」
『でも』のあとに反論はなかった。
「じゃあこうしよう。ここに穴を掘ろう」
「掘ってどうするの?」
「何か、大事なものを埋めるんだよ」
「どういうこと?」
「願掛けだよ。あとで取りに来るって、誓うんだ」
「大事なものなんて持ってないよ」
「それでいいじゃん」
彼女の頭を指差す。星型の飾りのついた髪留め。
「駄目だよ。これは大事なものだから。土に埋めたなんて言ったら、***ちゃんに殺されちゃうよ。これは、あの子のものでもあるんだから」
「そんな大袈裟な」
「うーん。でもいっか。あとで謝っとこう」
僕は穴を掘ろうと手を離そうとするが、彼女はそれを許さなかった。
「ずっと繋いでるって言った」
僕は空いた手で、都合よく落ちていた太い枝を使って土を掘っていく。できた穴の底に髪留めを置いて土を元に戻した。最後に靴の裏で土を踏み固めて完成だ。
「それで、いつ取りに来るの?」
「山を降りたあとだよ」
「ふたりで?」
「それじゃあまた迷っちゃうよ」
「じゃあ、どうするの?」
「もっと大きくなったら――ふたりで来れるようになったら来よう」
「それっていつ? 大人になったら?」
「うーん。じゃあ10年後」
「わかったよ」
――絶対だよ。
◇
■11月23日(水)
電車で、向かい合って座っている少女の髪留めが、太陽の光を反射して、キラリと光った。
用事とは本屋に行くことだった。ただし、電車を数駅乗り継いだ先の都市部にある、博物館めいた大型の本屋だ。
胡桃が死んだ街。別のところにしようと言ってみたが、胡桃は、『君が付き合えと言ったんだろう? 連いて来ないのならそれまでだ』と言うのでしょうがない。
胡桃は黒いパーカーを着用していた。学校に着ていっているやつと同じかとも思ったが、違うらしい。そういえばオーバーサイズというのか、ぶかぶかだが、タイトなジーンズと合わせているため、野暮ったくはない。
「それ、洞窟のときのか?」
ずっと気になっていたことについて触れる。
「それとは?」
「髪留めだよ」
「ああ……これか……。洞窟とは何だ?」
「ほら、子供の頃、蝶々を追いかけてたら、山の中で迷ったことがあったろ? その時に散々歩いて行き着いた洞窟だよ」
「……呆れたね。『僕は』そんな間抜けなことをしない」
よくよく考えれば、髪飾りは、山に埋めたままだから、今ここにあるのはおかしいのだが。いずれにせよ、知らないと言うなら仕方がない。
……。
おかしいついでに、もうひとつ。
夢の中で胡桃が示唆した人物。胡桃と同じ顔をしたその女の子のことを、俺は知っていた。
もう一人の胡桃。それが、きっと、今、目の前にいる少女なのだ。
子供の頃、確かに話したことがあるはずなんだ。だけど、その、もうひとりの胡桃のことを、どうしても思い出せない。まるで記憶の引き出しに鍵がかかったように。
◇
「それで、僕はいつ頃死ぬんだ?」
駅に着くと胡桃は今更のように聞いた。
「5時30分だ」
時間に細かい性分とは別に、嫌でも忘れられない数字だった。
「『午後』5時30分で間違いないね」
「普通そうだろう」
「今日のということが前提だから、よもや明日の朝ということもあるまいが、命がかかっているからね。一応確認だ」
「俺が言うのも変だけど、よくこんな突拍子のない話を信じるよな」
未来から来たなどという男の言うことを。
「昨日も言ったとおり、まるで信じちゃいないさ。感覚的にはね。だが、論理的に考えれば、否定するだけの根拠もないのもまた事実だ」
「そうか?」
「悪魔――いや……ツチノコが日本にいないことを証明できるか?」
「いないことを、証明?」
どうだろう。できるだろうか。
「まあ、あれだけ探して見付からないんならいないんじゃないか?」
「そうだね。でも、まだ探してないところもあるだろう。日本の国土の約3分の2は山林というからな。ツチノコがいないことを証明するには、日本中の地面を探して探して探し尽くすしかない――現実的には不可能だ」
「ふーん。わかったようなわからないような」
「大した話じゃないさ。『ない』の証明はとても難しいということだ。さて、話を戻そう。つまり、夕方の5時半までは自由ということだな。なら、僕たちはその時間だけを一緒に過ごせばよかったんじゃないのか?」
「言われてみればそうだけど、いや、念のため一緒にいよう。早めに死なないとも限らないしな。ツチノコと同じだ」
◇
目的地は駅から歩いていける距離にある巨大な本屋だった。
とはいえ、目的のものを買ったらあとはどう時間を潰そうかと、頭の中でデートプランを練ったりしてみたが、その心配はなかったようだ。
結果、3時間ほど本屋で時間を過ごすことになる。
胡桃は、目的の本屋に到着すると物色を始めた。試し読みというのだろうか。パラパラとページをめくっては棚に戻し、目に止まった本をまた引き出して、ページをめくっていく。
そんな行動が30分続き、1時間続き、2時間続いても胡桃の集中力は途絶えなかった。休憩はなし。
俺はというとその間、隅の休憩スペースでスマホをいじったりしていた。まさか、本屋の中に車が突っ込んできたりしないだろう。漫画は立ち読みできないしな。
そして、気付いたら夕方。
俺と胡桃は家へ帰るために駅に向かっていた。
そして、駅前の広場に到着。
時刻は午後5時15分。
胡桃が『死んだ』時刻まであと15分――