『未観測Heroines #62』(最終話) /小説/長編
♯62
光の中で、タマは姿を変えた。
ここは、神様に届く場所。奇跡のひとつやふたつ、起きてもおかしくはない。
ふわふわの長い髪は腰まで届き。
失ったはずの右目も元通りだ。
その姿は、天使のように尊い。
「五可は、これから、今までのことを忘れて、普通の子どもになるにゃ。そして、健全に成長して、真っ当に大人になるにゃ」
「だめだろ、それは……」
低い声が喉奥で振動する。
俺にもまた、変化が起こっていた。目線も、いつの間にやら、高くなっていた。
久しぶりに見る。
上目遣いの彼女。
腕を伸ばし、愛しい少女を抱き寄せる。
「こういうの、久しぶりにゃ」
「そうだな」
俺が無茶を――10年の歳月を遡るなんて言ったばっかりに。
「覚えてるか? 最初にこの姿で五可の前に現れたときのこと」
「もちろん」
俺の部屋でのこと。
確かあのとき、俺は絶望の中にいて、自ら命を断とうとしていた。助けてくれたのが彼女だ。
それは、実のところ再会だったようだけれど、俺はまるでそのことに気が付かなかった。
「あのときは、五可を信用させるのに苦労したにゃ」
やめろよ。
「だって、いきなり部屋に現れてさ。まるっきり不審者だったから」
思い出話なんて――
「仕方ないにゃ。人間の作法なんてよく知らなかったから」
「いや、お前、マジで失礼だったよ。ふとんの上でボリボリせんべえとか食い散らかすし。張り倒してやろうかと思ったよ」
「あのときは、布団の上が愛し合う場所だなんて知らなかったにゃ」
「返しに困るようなこと言うなよ」
「あの頃は――こんなんなるなんて思ってなかったにゃ」
ぎゅっと、回す腕に力が込められる。
「そう――だな」
「いろいろあったけど、楽しかった……にゃ」
「ああ、俺もだよ」
やめてくれ。
「でも――これで終わりにゃ」
離れる体。
遠ざかる吐息。
「さよなら――にゃ」
「何でだよ」
声は震えていた。
なぜ、こんなことになる。
何を間違った。
言葉を躊躇っているうちに、タマの体が、薄くなっていく。存在が、消えていく。駄目だ、今更何を言っても――
「探すからな!」
「にゃ?」
「全部なかったことになっても、また出逢えばいいんだろ! やり直すのは、俺の得意技だ!」
タマは微笑んだ。
「私のことは、忘れてしまうにゃ。忘れたら、探しようがないにゃ」
「できる! 気持ちが残ってる。きっとどこか、心の深いところで!」
タマは答えなかった――けど、心底、満たされたように目を細め、
「どうか、五可にはありふれた人生を、そして幸せな未来を――」
◇
太陽の光をまぶたの裏に感じて、目が覚める。朝だ。
「うーん」
体を起こして背伸びをする。
時間は朝の7時。
「学校――」
机に置いたランドセルが目に入る。
三連休明けで、めんどくささはある。でも、見来ちゃんとかとは違って、僕は寝起きはいいほうだった。体を動かすと、眠気も消えていく。
――ふと、吸い込まれそうに力が抜けた。
どこまでも落ちていきそうな――不安みたいなもの。
気がついたら、涙が溢れていた。
「何、これ」
拭っても拭っても、心の奥から溢れてくる。
「何か――」
大切なものをなくした気がする。
ランドセルを背負って家を出ると、同じ顔がふたつ並んでいた。
隣の家の胡桃ちゃんと見来ちゃんだ。二人は双子だ。髪型が違わなければ、僕は彼女たちを見分けられる自信がない。
「おはよ」
「おはよう、五可ちゃん」
「おはよう、五可」
家も隣だったし、僕たちは仲良しだった。毎日一緒に登校している。
「なくしもの?」
見来ちゃんが、聞き返す。
「うん」
「探すの手伝おうか? 何をなくしたの?」
「わからない」
「でも、なくしたんだよね」
「うん。でも、よく、わかんない」
見来ちゃんは、頭の上にハテナマークが見えそうな表情をしていた。胡桃ちゃんが、話をまとめる。
「つまり、何をなくしたのかはわからないけれど、何かをなくしたことはわかるんだね」
「まあ、そんな感じ。そして、それはとても大事なものだったんだ」
「難儀だね」
「そだね。それじゃあ、手伝いようがないよ」
「うん大丈夫――自分で何とかする」
◇
春
学年がひとつあがる。
新しいクラスと新しいお友達。
何かが始まる予感に、胸がわくわくした。
夏
だるい。
とにかくだるい、暑い。
夏休みに入ると学校に行かなくてよくなって嬉しかったけど、一週間もすれば暇になった。
胡桃ちゃんはひとりでいるのが好きみたいだし、見来ちゃんは、他のお友達と遊ぶことが多くなってきた。
季節は巡る。
少しずつ変わる毎日。
でも、胸に空いた穴は埋まらない。
探しものはみつからないままだ。
◇
秋。
夏休みが終わり、二学期が始まる。
いつものように、胡桃ちゃん見来ちゃんと、家に帰る途中。いつも通る交差点で、僕は立ち止まる。
「どうしたの?」
「今日、僕こっちから帰るよ」
なぜか、そうしなければならない気がした。
「ふーん。僕はまっすぐ帰るよ。最短の道のりでね」
「私も……変なの、五可ちゃん」
双子と別れ、知らない道を進む。方角は合ってるはずだ。道の途中、神社が現れる。
「ここは……」
引力でもあるかのように、ひっぱられる。境内に入り、奥に進むと、古びた建物が現れた。
不思議な確信が、あった。
ここに、僕の探しものがある。
「こっちだ」
建物の裏側に回る。
やっと。
やっと――会える。
「あれ?」
何も変わったところはない。雑草ばかりで、何もない空間。
「わかった、こっちだ」
軒下を覗いてみる。
が、何もない。
何もいない。
「帰ろう……」
とてつもなく、寂しい気持ちになった。
またこの感覚。
どこまでも落ちていきそうな――
建物の前に戻り、道路に向かって歩く。
何だったんだろう、さっきの予感は。
気のせい……なのかな?
何かあると思ったんだけどなこの神社には。最後に何となく振り返ってみると、そこに――
賽銭箱の前に、髪の長い、同い年くらいの女の子が立っていた。白い長袖のワンピースの裾が、風で揺れる。
「君、さっきからいた?」
それなら、さっき気付いたはずだけど。
「ううん、今来たところだよ」
女の子は不思議そうに僕の顔を眺めている。
「とても、悲しそう」
「そう……なのかな」
「これ、あげるから、元気出しなよ」
差し出されたものを受け取る。
おせんべい、だった。
よくみると、たくさんのおせんべいが入った袋が、反対の手には掴まれていた。
「お母さんに内緒で持ってきちゃった」
「ありがと」
そう言って、おせんべいを口に運ぶ。
口広がる味の中に、しょっぱい液体が混ざる。
――涙。
気がついたら、涙が溢れていた。
「泣いてるの?」
「ううん……そんなんじゃ――」
急いで袖で目元を拭う。
「そう?」
「君は、この辺の子? 」
恥ずかしさを誤魔化すために、話を変える。
「そう」
「でも、学校では見かけないね」
「今日、引っ越してきたから」
「そうなんだ。名前は?」
「私は――」
少し遠くから声がする
振り返ると、女の人がこちらに手を振っていた。様子からしてこの子のお母さんのようだ。
「もう行くね」
軽い足取りで、駆けていく女の子。
「待って」
「ん?」
「明日もここで会おうよ」
「うん。いいよ」
「僕と――」
とても、心が軽い。未来への期待感で満たされる。
「――僕と、友だちになってよ」
女の子は天使のように笑った。
終わり