『未観測Heroines #35』 /小説/長編
♯35
B世界において俺が最初に死亡したのは、駅で胡桃と電車を待っていたとき――11月23日水曜日の夕方のことだ。
そして、注目すべきはその、ひとつ前のA世界。確か、俺は、胡桃と一緒に、看板か何かの下敷きになって事故死した。
それは、同じく、11月23日水曜日の夕方――時間も確認したはずだ。17時30 分。
この2つの死を例にとってみると、わかりやすい。
きっと、A世界での事故は、本当に事故なのだろう。もっとも、神様の見えざる力で事故に遭う胡桃を助けようと、自ら巻き込まれにいったのだけれど。
そして問題なのはB世界。あの死は明らかに不自然だった。気が付けば俺は線路に降りていて、どうしようもないほど眼前に電車が迫っていた。
これは、A世界の事故が、B世界に影響したということではないか。
であれば、胡桃も同じ。
A世界での死とB世界の死が連動していて、例えば今回、B世界での胡桃を助けることができれば、A世界の胡桃もまた、死なずに済むのかもしれない。
しかし、腑に落ちないのは、2つの世界の胡桃の死亡日時のずれ。A世界は11月23日の夕方。B世界は11月26日の昼。このずれはいったい――。
◇
■11月26日(土)
朝から胡桃の家が見える位置で待ち伏せをする。胡桃と良好な関係を築けなかった俺は、こうするほかない。
ストーカーかよ、と突っ込みを入れたくなる。だんだんとやることが犯罪じみてきた。
胡桃がいつ家を出てくるのかはわからないし、そもそも、外出しないということもあり得る。その場合は、予定時刻間際に綾ノ家に突入していくことになるが、もちろんこれも厳密に言えば、犯罪行為かもしれない。
しかし、それも杞憂だったようで、胡桃は、10時すぎに玄関から出てきた。ひとつ罪が減って御の字だ。
相変わらずの黒いパーカー姿。しかし、制服のときに着用しているものと比べると、ダボッとしたシルエットで、カジュアルな印象を受ける。
数百メートルほど、あとをつけたあと、ふいに胡桃が振り返った。じっと、俺の隠れている方向を見ている。うん。普通に気づかれているようだ。
胡桃がすたすたと近づいてくる。俺も降参とばかりに両手を上げ、物陰から出る。
胡桃は、勢いよく俺に接近し、
「――ッ!!」
降参のポーズでがら空きだった腹に、体重の乗ったボディブローを叩き込んだ。
普通に、暴力だった。暴力反対。
「気色の悪い真似をするな。殺すぞ!」
そして、とんでもなく、口が悪かった。
「まあいい。ちょうどいいと言うのも癪だけれど、貴様に、聞きたいことがある」
いまだうまく、息を吸えない俺をおいて話を進める胡桃。それにしても、貴様呼ばわりとは、なかなかに貴重な体験だ。
「貴様、ミクルのことで何か知っているのではないか?」
「ミク――ル?」
その名前は――
夢の中の子供の頃の俺は、胡桃のことをそう呼んでいた。その理由はいまだにわからない。だから、知っているかと聞かれても、返答に困る。
「もういい」
言葉をつまらせる俺を見て、胡桃はすぐに答えを諦めた。びっくりするくらい見切りが早い。
「あいにく、俺は俺でお前を守るという使命があるんでな」
ようやく息が吸えるようになった俺は、胡桃に言う。
「この前の戯言か――ふん、好きにしろ。貴様がどう行動するかは、貴様の自由だからね。僕は僕で君をいないものとして行動しよう」
と言って踵を返す胡桃。
お言葉に甘えて、俺も尾行を再開。もっとも、すぐ後ろを歩いていたら、周りから不審に思われるので(また通報されるかもしれないので)、少し離れて歩く。
でも、それがいけなかった。駅に向かっているのだと確信した頃、胡桃を見失った。慌てて駆け足で、交差点に向かい辺りを見回すが、ポニーテールの頭部は見当たらなかった。
見失った。いや、まかれたのかもしれない。
「駅か……」
以前――というとまぎらわしいが、俺の主観時間でいうと以前、この世界Bで胡桃は電車にはねられて死んだ。俺が死んだのとは別の回だ。
だから、俺が駅の構内を探そうと考えたのは自然で、しかし、結果として胡桃の姿は見つからなかった。
まずい、もう時間が迫っている。
推測するしかない。
ひとつ。
心当たりがあった。こちらの世界の胡桃本人が言っていたことだ。
そう、あのとき、確かに言っていたはずだ。
休日もそこにいることがあると。
◇
校門は開いていた。問題は、校舎内への扉だが、意外と正面玄関の鍵は、かかっていなかった。まあ、休日も部活生とかいるだろうし、あるいは、胡桃が何らかの方法で開けたのかもしれないが、そこらへんは想像だ。
時刻は午前11時40分。
あと5分。それが胡桃の命のタイムリミットだ。
それが、運命であり、このゲームの前提だ。実のところ、俺はその場面を一度しか確認していないが、タマの『ルール説明』によると、そうらしい。今のところ、それを疑う理由もない。
5分。
急げば間に合うはずだ。
校舎に入り、屋上へ向かう。階段を3つ駆け上がり、廊下を走る。屋上へ上がる階段は奥のほうにあった。
ここに来て、ある種の確信めいたものがあった。あてずっぽうではなく、以前、彼女が言った情報を元に俺はここにいる。
タマは、謎を解くゲームだと言っていた。
そう。
ふたつの世界の死が連動しているというのも、よく事態を検証すればわかることだった。
俺は今まで必死にA世界の胡桃を助けようとしていたが、正解はB世界の胡桃を助けることだったんじゃないのか。
これまでの、ただ暗闇の中でもがいていた状態とは違う。初めて感じた希望の光――
今度こそ。胡桃を救う。
「――へ?」
何かが、視界を横切った――否。
視界の端を落下していった。
落下したのは少女。ポニーテールがその名のとおり、尾を引くように。
「なんで?」
俺は恐る恐る窓の外を見おろす。
「ああ、そうか」
ちらほらと部活生と思わしき生徒が集まってくる。その視線の先で、壊れた女子生徒はわずかに動いていた。
胡桃は、即死しなかったのだ。
まだ、立ち上がれると信じて、ひしゃげた足を動かし。
もがくように、地面を掻く。
そして、午前11時45分。少女の動きは完全に停止した。