がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『太陽と冬の少女 #7』 /小説/短編/ファンタジー


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 #7


 自転車を漕いで北に進み、雪の降る地域まで行く。僕の計画は簡単に言えばそんなところだ。

 もちろん、1泊2日くらいの小旅行とはいかない。日本縦断とまでは行かないが、それに近いイメージだ。

 母は落ち着きなくリビングをうろうろした。うろたえるのも当前だ。十年以上引きこもりだった息子がふらっとリビングに入ってくるなり、突然そんなことを言い出したのだ。

 あるいは、ついにおかしくなったと思ったかもしれない。母はコップに注いだ麦茶を一気に飲んで、父に相談すると言った。

 何日かして、仕事から帰ってきた父とテーブル越しに向かい合って話をした。こんなことは、これまでの人生で初めてのことだった。

 フブキという不思議な友達のことは内緒なので、自分を変えたいとかそんなことを言って説得してみた。特に言い合いになるとかはなく最後には了承されたが、人に迷惑をかけるなとだけ言われた。いつも僕に対して優しく(無関心な)父の目は、いつになく真剣だった。

 そして後日、見たことのないような大金を渡された。その金を使い、旅に必要なものをインターネットで揃えていった。

 まずは、自転車。これがないとお話にならない。もちろんママチャリなどではなく、しっかりとした作りのロードバイクを購入した。

 あとは、テントと寝袋。なるべく宿泊費は節約したほうがよいと考えた。金が底をついた時点で旅は終わりとなるからだ。

 もっとも。

 金を節約するというなら――雪のあるところまで辿り着きさえすればよいというのなら、むしろ電車を使えばよかったのだ。天気予報を毎日チェックし、どこかに雪の予報が出たときに、そこに向かう電車に乗り込めばいい。

 でもそれじゃあ意味がない気がした。そんな安易なことでフブキともう一度会える気がしなかった。

 この一念発起はそもそも合理的な思考に基づくものではないのだ。

 フブキは自分のことを、僕が子供の頃に作った雪だるまだと言ったが、実のところその意味はよくわかっていなかった。雪の精みたいなものだろうと、漠然と思っている。

 冬のパワーが減ってるから。

 雪が降らなくなったから。

 なら、雪のあるところまで僕が行こう。

 もちろん、雪のあるところでなら、また彼女に会えるなんて確証はない。可能性にかけるといえばいくらか聞こえはいいが、ほとんど妄想の類だ。

 むしろ、旅自体が目的化しているのかもしれない。目的化して、そして本来とは別の意味を見出している。

 そう。何か、自分の人生が変わるかもとか、そんな都合のいいことを心のどこかで思っている。或いは逆に、もうこれで人生が終わってしまってもいいと思っているのかもしれない。

 何が目的かも定かではなく、ある意味では自殺のようでもある。案外、快く送りだした両親も、特に父親なんかは、なにかの間違いでこの出来損ないが死んでくれたらとか思っているかもしれない。

 いや、まあ変にひねくれずに考えれば、もう30歳になる引きこもりの息子が、自分から前向きなことを言い出したのだから、親としては応援するしかないのだろうが、まあ、僕にとってはどちらでもいいし、実際どちらでもあるのかもしれない。

 僕の旅の目的が、生きるためなのか、死ぬためなのかわからないように。人間の心なんて、根本的に矛盾しているものなんだ。きっと。

 年が明けてから僕は出発した。

 大きな荷物をロードバイクに括り付け、ペダルに体重をかける。慣れない日差しに眉を潜めながら、ペダルを漕いでいく。

 とにかく、今日一日で進めるところまで進んでみることにした。一応シミュレートらしきことはしてきたつもりだが、結局のところ僕の体力次第だ。

 とはいえ、僕だって馬鹿じゃない。この旅を計画してから一年あまり、自分なりに体力を作ってきたつもりだ。主に部屋の中だからできることは限られてるけど、逆にできる限りのことはやってきた――はずだった。

 家を出発して初日の夜、僕はとある街のビジネスホテルのフロントで宿泊費を支払い、部屋に到着するとすぐにベッドに倒れ込んだ。   

 宿泊費の節約のために、持ってきたテントをどこか場所を見付けて拡げようなんて気には到底なれなかった。

 四、五十キロメートルくらいは進んだだろうか。とにかく気合でペダルを漕ぎ続けた。しかし、一日くらいは根性的なもので何とかなっても、これをずっというのは、ちょっと無理だ。

 正直言って、一日でもう、うんざりだった。

 ――フブキ、僕、外には出れたけど、やっぱり駄目なやつだ。

 次の日。

 体のあちこちが軋んでいた。それでも、必死で自転車を漕ぎ続ける。

 とにかく、やれるだけのことはやってみよう。やれるところまででいい。どうせ失敗しても、別に失うものはないから。僕は元から何も持っていないのだから。

 毎日、もう駄目だと思いながらも、あと一日頑張ろうと、自分に鞭を打ち続けた。

 今の時代、情報を得るのは簡単だ。旅の計画はそれほど綿密ではなかったが、それで困ることはなかった。スマートフォンというツールから、いつでもあらゆる情報が取得できた。行きあたりばったりでも何とかなったし、少なくともナビを使えば道に迷うこともなかった。例えば進路にちょうどいいキャンプ場を見つけることができれば、そこにテントと寝袋を拡げて眠ることができた。

 気が付けば、家を出て3週間が経っていた。

 コンビニのイートインスペースで休憩がてら、スマートフォンを充電しているときだった。

 スマートホンから入る情報によると、今晩から寒波が来るらしかった。この辺りに大雪が降るそうだ。僕は充電中のスマートフォンを握りしめた。

 その日はビジネスホテルに宿泊した。そして、朝起きて、窓の外を見て、涙が出そうになった。真っ白な世界がそこにあった。

 ――来たよ、フブキ。

 雪の絨毯を踏みしめながら歩く。すっかり愛着の湧いたロードバイクは駅の駐輪場に置いてきた。雪は一晩のうちに街を白一色に変えて、もう、降り止んでいた。

 さて、これからどうしよう。

 僕は白い息を吐きながら、ひたすら雪の街をさまよった。

 繁華街を抜け、住宅街を抜け、郊外まで来た。

 ――フブキどこだ。

 あてなどない。ひたすら歩き続けるだけだ。

 日が落ちようとしていた。目の前に公園らしきものの入口があった。なんとはなしに中に足を向ける。

 だだっぴろい白い空間がそこにあった。雪が積もっていなければ、芝が広がっていたのだろうか。あたりに人はおらず、街灯がつき始めた。

 遠くに遊具らしきものが見えたので、そちらに向かって重い足を引きずっていく。

 体はもうボロボロだった。一ヶ月近く自転車を漕ぎ続け、今日は一日中不安定な雪の上を歩き続け、僕の体は限界に来ていた。

 そして、僕は雪の上に倒れ込んだ。さすがに窒息するわけにはいかないので、仰向けになる

 もう、動けそうもない。

 上空からはまた雪が舞い降りてきていた。

 僕はゆっくりと目を閉じる。

 本当はわかってた。

 フブキの存在は奇跡のようなものだったんだ。雪があるからって、そんなほいほい奇跡が再現されるはずがない。

 いっそ、彼女の存在自体が、僕の妄想だったんじゃないかとすら思えてくる。

 引きこもりの、寂しい少年が見た夢だったのではないか。夢が覚めないまま僕は大人になったのではないか。

 眠くなってきた。

 それは、甘美な誘いだった。

 このまま、意識を閉じれば、とても気持ちが良さそうだ。

 うん。そうしよう。

 何もかもを忘れ、このまま――

「冷たっ!」

 反射的に顔に当たったものを払いのける。それは拳ほどもある雪の塊だった。特大の雪でも、僕めがけて降ってきたのだろうか。とんだ異常気象だ。

 仰向けで空を見上げる僕の視界を影が遮る。

 人影が遮る。

 




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 そこには、懐かしい友達の姿があった。

「太陽君。あーそぼ」