『がらくた #8』
#8
「いったい、どういうこと!?」
人の往来がある通りで、人目もはばからず、ロゼッタは不満を空中にぶつけた。柵の向こうには海が広がっている。潮騒が嘲笑しているように聞こえた。
「確かにお金はないけれど……」
勢いがなくなる。
通行人から部屋を貸し出している人を聞き出し、訪ね、そして追い払われたのは今回で10回目だった。
「すぐに仕事を始ればいいのだから、お金がなくても問題ないわ。そのためにはまず家よ。住むところがないと、どこにも雇ってもらえない。なのに、仕事をしていないから部屋を貸せないって、どういうことなの!?」
不満は止まらない。人々はロゼッタに視線を向けないように注意しながら通り過ぎていった。
ロゼッタには悪いが、部屋を貸すのを渋った人たちは、別に意地悪をしているわけではないと思う。
ロゼッタは見た目、成人しているかも怪しい女子だ(実際に成人していない)。おまけにずっと遠くから旅をしてきたという。旅人と言えば格好はいいが、言い換えれば浮浪者だった。おまけに、身なりと言えば、10年使った雑巾のようにボロボロの服を着ている。
そう、ボロボロだった。
服も体も。
家を出てから、この街にたどり着くまでの旅は未成年の女の子にとって、とても過酷なものだった。
大きなリュックを背負って、森を抜け、山を超えた。
移動の際、頭部だけのガラクタである僕は基本リュックの中だった。ずっと手に抱えて歩くのは、流石に邪魔だ。ちなみに、布に覆われ、光が届かなくなっても、僕には周囲の様子はわかった。もともと、知覚の方法が人間とは異なる。仕組みはわからないが、わかるからわかる、としか言いようがない。
旅の途中、野宿は当たり前だった。雨をしのぐための場所を探して歩き回ったし、野犬に寝込みを襲われたこともあった。
川の水を飲み、木にぶら下がった、見たことのない果物を頬張った。
長く美しかった髪は、邪魔だと言ってロゼッタ自身が切ってしまった。
そして、辿り着いた。
この海の見える美しい街に。
「素敵! この街にしよう、レオ」
街に着くなり、ロゼッタは、リュックの中の僕に言った。
国境を2つ越えた。もう、追っ手がくることはないだろう。もっとも、そもそも国を超えてまで人を寄越すなんて手間のことをするとも思えなかったが。
しかし、家からなるべく遠く離れるというのは、精神的な安定のためには必要なことだった。ロゼッタにしてみれば、いつ捕らえられて、罪に問われるかわからないという恐怖が常につきまとうのだから。
それにしてもだ。
十分歩いた。
もう十分だろう。
もう、休んでいいだろう。
長い旅路の果てに辿り着いた、世界の果のような美しい海街に腰をおろしてもいいだろう。
しかし。
こちらがそう思っても、なかなか、うまくはいかない。家が見つからなければホームレスだ。
もっとも、それでもなんとかなりそうではあるが。過酷な旅の成果として、ロゼッタは野宿に慣れてしまった。もはや、どんな場所だろうと眠れるだろう。
そして、今も。
いつの間にかロゼッタは人の往来の中、通りに設置された公共のものだと思われるベンチの上で横になっていた。
「ッ――」
ロゼッタ?
苦しそうな呼吸。
腕で覆った顔は赤かった。
長旅の疲れが一気に出たのか。
ロゼッタは熱を出して動けなくなった。
◇
ロゼッタはベッドの中で目を覚ました。
「おふ、とん……」
懐かしい感触に、うっとりする。
顔はまだ赤みを帯びていたが、熱はだいぶ下がったようで、それほど苦しそうでなかった。
ロゼッタが行き倒れてから今に至る経緯は僕は知っているのだが、ロゼッタにしてみれば、自分が今どういう状況に置かれているのかわからず、狼狽しているようだった。
「ここは……」
上体を起こし、辺りを見回す。テーブルの上に自分のリュック――僕が入っているリュックを見つけ、一安心する。
「目、醒めた?」
部屋に女性が入ってきた。歳は四、五十といったところか。優しい笑みを浮かべている。
「あなたは?」
「私は、エマ。警戒しなくていいわ。ただのパン屋よ」
「私を、助けてくれたの?」
「あそこから運んだのは私じゃないけどね……迷惑だった?」
首を振る。
「ありがとう、エマ。あのままだと私は命を失っていたかもしれない」
ロゼッタは、警戒を解き、にっこりと笑った。
「あなたのお名前は?」
「ロゼッタよ」
「じゃあ、ロゼッタ。何か食べる? パンなら山ほどあるけど」
「良かった。実はお腹がペコペコなの」
ベッド横のサイドテーブルに水とパンと温かいスープが出された。
「さあ、どうぞ。うちの自慢のロールパンよ。売れ残りだけれど」
「まあ、おいしそう」
両手でロールパンを持ち頬張る。
咀嚼し――そして、口を抑えた。
「ウ、エッ――」
えずく。胃に何も入っていない状況でなければ、ベッドの上に吐瀉物を撒き散らしていたかもしれない。
「ハ、ァ――」
「まだ、具合が悪かったみたいね。無理をさせてごめんなさい」
謝るエマ。まあ、そういうふうに、思われても仕方がない。まさか想像できるはずがないから。
だが、僕は――僕らは知っている。
フラッシュバック。
家を出発する前の日の朝の食事。そのときのメニューとほぼ同じだ。ロゼッタは、死んで一晩たったあとの母親の死体の前で咀嚼したパンの味を思い出した。
「ううん、大丈夫よエマ。食べるわ」
吐き気を抑えながら、トラウマを振り払いながら、笑顔で取り繕いながら、ロゼッタは食べ物を胃に詰め込む。
生きよう。
過去は消えない。
過去を抱えながら、生きていこう。
願わくば、この街で。