『がらくた #7』
#7
◇
ベッドの中で朝を迎えるのは初めてのことだった。
隣で寝息をたてていたロゼッタは、窓から差し込んできた朝日を瞼越しに感じ、目を覚ます。
「おはよう、レオ」
僕の存在を確認すると、安心したように囁く。ロゼッタは昨晩、頭部だけになった僕を抱きながら眠っていた。
ロゼッタはベッドから降りると、腕を天井に向かって突き出し背筋を伸ばすと、寝間着のまま僕を抱えて部屋を出た。そして、キッチンに向かう――
「おはよう、ママ。やっぱりあの出来事は夢じゃなかったんだね」
キッチンには母親の死体が横たわっていた。
昨日のまま動いていない。
死んでいるので動けない。
動かしようにも石のように硬直している。
血液は固まり、死体と床を接着する役割を果たしている。
「もしかたら、これは夢じゃないの? って思ったときは、ほとんどの場合その通りなのだけれど、今回に限っては現実のようだわ」
ロゼッタは人を殺した。
親を殺した。
それが、事実で――現実。
「ねえ、レオ、おかしいの。ママが死んだというのに何も感じない。心が麻痺してしまったみたい」
現実と言いながら、まだ夢を見ているかのように、目がトロンとしている。
「さて、私はこれからどうするべきでしょう?」
考えるべきことはいくらでもあった。何もかもが昨日と同じというわけにはいかないだろう――それくらい、この現実は重い。
「とりあえず、学校にでも行く?」
それが、これまでの日常だ。しかし――
「ううん。学校は駄目だわ。もしかしたら、私がいない間、この惨状が誰かに見つかるかもしれない。鍵をかければ大丈夫かしら? いいえ、それでも絶対じゃないし、家に帰り着くまで気が気じゃないわ」
可能性はゼロとは言えない。少なくとも母親は仕事に出勤しなくなるし、異変に気付く者はいるだろう。誰かが様子を見に来るかもしれない。そして、その危険性は日を追うごとに高くなっていく。
「親殺しは重罪よ。牢屋に入れられてしまうわ。何より、そんなことになったら、レオと離れ離れになる」
彼女の優先順位の一番は、いつも僕で。
この、物言わぬガラクタで。
「なんてこと。これじゃあ外出すらままならないわ。ねえ、レオ、どうしよう――とりあえず、おなかがか空いたわ」
ロゼッタは戸棚にあった大きなパンをちぎって、木製の皿にのせた。さらに昨日母親が作ってくれたスープと併せ、朝食とした。
そして――
そして、その場で食べ始める。
足元には母親の死体が転がっている状況で、ロゼッタは食事を始める。
ダイニングセットがここにあるのだから、その意味では自然だ。まるで、家の中でだけは日常を続けようと言わんばかりに。ちなみに、僕はというと、食事とともに、テーブルの上に置かれていた。
ロゼッタは食事中もずっと唸りながら思案を重ねていたようだが、パンとスープがなくなる頃、
「そうだわ」
手を叩いて、立ち上がった。
「ママを隠してしまいましょう――ね、レオ、そうしよう――誰にも見つからなければどうってことないわ――庭に穴を掘りましょう――森の中でもいいかもしれないけれど、ママと離れ離れになるのは寂しいわ――でも、大人一人を隠すとなると、相当大きな穴が必要ね――でも、そんなに大きな穴を掘るところを誰かに見られれば、不思議に思われるかもしれない――もし、ママを埋めるところを見つかったら、私は牢屋に入れられて、レオに会えなくなる――――――――そうだわ。ママを細かいパーツに分けてしまえば、ひとつひとつの穴は小さくて済むわ――ね、ママもそう思うよね? ――それに、これなら、仮に埋めるところを誰かに見られても、誤魔化しがきくかもしれない――うん、グッドアイデアだわ」
ロゼッタは、キッチンの隅に放置されていた斧を手に取った。そして、母親を見下ろす。母親が僕をバラバラにした斧で、今度は母親の体をバラバラにする。皮肉がきいているようで、そうでもない。
ロゼッタは斧を振り上げ、そして、動きを止めた。
「やるのよ、ロゼッタ」
自分に言い聞かせるように。
「そうすれば、また、みんな一緒にいられる」
それは、かつて彼女が語った夢。僕と母親とロゼッタが、ずっとこの家で一緒に暮らすという夢。
「まだ大丈夫。まだ取り返しがつくよね。ね、レオ」
僕は答えられない。
答えるための声も、
言葉も、
持ち合わせていない。
「だから、やるの。辛くてもやるの」
凍った感情が溶けるように、目から涙が溢れる。
「まだ大丈夫。まだ間に合う。レオとママと一緒に……」
本当はわかっている。
もう、無理なことを。
もう、取り返しがつかないことを
どう足掻こうとも、どう取り繕うとも。
だから泣いている。
ロゼッタは斧を落とした。
そして、嗚咽する。子供のように泣きじゃくる。
でも、泣いたら助けに来てくれた母親は、もういない。自らの手で命を奪ってしまった。
「ママを殺しちゃったああああ!」
それは、君が、ずっと背負っていく罪だ。多分、死ぬまでずっと。
一度決壊した感情は、とめどなく溢れた。泣きつかれて、寝て、起きては絶望し、またふさぎ込む。そんなことを繰り返すうちに、次の日の朝を迎えた。
「行こう、レオ。何もかも捨てて。もう、あなたさえいれば、それでいい」
ロゼッタ。厳しいことを言えば、君の望みは明らかに、わがままだった。君が、母親が望んだ通りにならないように、母親が君の思い通りになるとは限らない。だって、君と母親は、血が繋がっているだけの別々の人だったのだから。
「決めた。旅に出ましょう、レオ。ここは、もう私達のおうちじゃない。どこか遠い遠い国で、私達の居場所を見つけよう」
ここまできたら、僕も覚悟を決める。ガラクタの僕と一緒に生きるという彼女を受け入れる覚悟――
何かができるわけではない。文字通り何もできないガラクタだ。彼女に意思を伝えることすらできない。でも、僕は僕なりに彼女を愛そうと思うのだ。変な表現だけれど、僕も生きようと、思うのだ。
ロゼッタは大きなリュックを背負って家を出る。
「さよなら、ママ」
そして、長年慣れ親しんだ三角屋根の家の扉を閉めた。