『異常で非情な彼らの青春 #36』 全37話/青春
#36
廊下に立ち止まる二人。横を、家に帰る生徒たちが過ぎ去っていく。林檎もまた、肩にバッグをさげていた。
「それ、懐かしいね」
カナは、林檎の髪の側面に結われたリボンに目をやる。
よく見ると、それはツギハギだらけだった。糸で縫われ、丁寧に、つなぎ合わされている
「うん。こんなんなっちゃったけど……」
照れたように笑う。カナが小学校の頃にプレゼントしたリボンは、カナが転校したあと、心ないクラスメイトによって切断されたと聞いていた。
「こっち、帰ってきてたんだね、カナ」
「うん。林檎は、その……どうしてた?」
「変わらずだよ。昔にみたいにいじめられることはなくなったけれど――ずっと、一人だった」
最後の方は声が細くなる。
「……そう」
彼女の記憶はどのように整理されているのだろう。
今の口ぶりからすると、おそらく、殺人鬼――影のほうの林檎と入れ替わったあとに過ごした時間も、自分のこととして認識されているようだ。でも、この数カ月の、深夜やカナとの出来事については、抜け落ちている。そういう感じだろうか。
――影のほうの林檎とも、せっかく仲良くなれたのに、な。
「でもね――」
「え?」
「何だか。最近は寂しくなかった気がしたんだ」
「そう……なの?」
「いや、わかってるんだ。本当は私が一人だってことは――ごめんね。久しぶりに会ったのに、こんな話――」
「ううん。聞きたいよ」
「冬休みの最初の日の朝、不思議な感覚で目を覚ましたの。夢を見ていたような――そう言うと普通のことだけれど、ずっと、長い間夢をみていたような、そんな気がして。でも、目が冴えてくるとその夢の中の記憶は薄らいでいって、やっぱり夢だったんだって」
元は同じ人間なのだ。記憶も共通の場所に入っている。消えたと言っても、死んだと言っても、『彼女』はきっとどこかに残っている。
「きっと、夢じゃないよ」
「そうだね」
「うん」
「……」
「……」
「じゃあ、ね?」
背を向ける林檎。もう帰る時間だ。他の帰宅する生徒に混じっていく。
久しぶりに話せたのは良かった。
今日は、これでいい。これくらいでいい。
いや、いいものか。間違っている。
――間違っているのは僕だ。僕は卑怯ものだ。最初から、僕たちの問題の解決の鍵は、僕が握っていたのに。本当はわかっていた。僕たちは、もし仲違いしたときに仲直りするための保険をかけていた。仲直りの合図を決めていたはずだ。その保険を使わなかったのはなぜだ。相手から歩み寄ってくれるのを待っていたからだ。
楽をしたかったからだ。
自分で決断したくなかったからだ。
自分が発端のくせに、待っていたんだ。
なんて卑怯なんだ。
僕から言わなきゃ。
「待って」
振り返る林檎に向かって。
それは、幼い頃、関係に亀裂が入った日に言えなかった言葉。
呆然とする林檎の顔を見ることができなかったあのとき。
頭が真っ白になって、すぐに出てこなかった言葉。
「一緒に、帰ろ」
あの日に帰ろう。そして、やり直そう。
「僕と一緒に……帰ろ」
カナの目には涙が溢れていた。過ぎ去る生徒の何人かは何事かと視線を向けたかもしれない。しかし、二人とも気にならなかった。この瞬間、カナの世界には林檎しかおらず、林檎の世界にもまたカナしかいなかった。
林檎は、驚いた表情を見せたあと、目を細めて微笑んだ。
涙をにじませながら。
「……うん……いいよ」
◇
それから二人は、順調に、失った日々を取り戻していった。
5年の空白などなかったように。
二人は再び親友に戻った。
林檎は明るくなった。本来の林檎は朗らかに笑う女の子なのだと、カナは知っていたが、突然性格が変わった(ように見える)林檎を見て、多くの生徒は驚いたようだった。何しろ、笑わないお姫様なんてかっこいいニックネームがつくくらい、無愛想でクールなやつだったのだ。
でも、不思議なもので、すぐに周囲からは受け入れられていく。普通にクラスに馴染んでいったし、友達も増えた。
案外簡単なものだ。
周りが変わったと思った時、それは大概自分自身が変わったときなのだ。
◇
ある日の学校の帰り。
カナは林檎から相談を持ちかけられた。
「気になる人がいるんだ」
「へ?」
「……」
「気になるって、その、好きな人ってこと?」
真っ赤になってコクンと頷く林檎。
「へー、誰々? どんな人?」
林檎からそんな話題が出るのが以外で、カナのテンションは上がった。
「話したことはないんだけどね。D組の人。いつも、教室の端のほうの席に座って、一人で空を眺めている、そんな人。私が言うのもなんだけど、友達とかいないのかなって考えていると、その……気になって、きて……」
最後の方は、声が細くなり、口籠るような感じになる。
「それって……」
名前を聞く。
林檎はカナの側面に周り、耳打ちをした。
その名前を聞いて、カナの胸は温かいもので満たされる。
「応援するよ」
心からそう思う。
どうか。
どうか、彼女にありふれた幸せを。
というか。
――あーあ。彼のことは僕も好きだったんだけどな。
完全な作戦ミスだった。常に冗談めかしていては伝わる思いも伝わらない。社交的で交友関係の広いカナだが、こと恋愛においては不器用だった。
仲違いした親友と5年ぶりに再会し、いろいろあって仲直りをした。
その過程で密かに恋をして、人知れず失恋した。
そんな、彼女の青春物語は、ひとまずこれで終わりだ。
※次回、最終話