がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『異常で非情な彼らの青春 #23』 /青春

 

 

 #23
 

 実のところ、林檎にとって今回の件は殊更慌てるほどのものでもない。

 最近はめっきり減ったものの、自分に好意を持つ男子生徒が変なふうにこじらせて絡んでくるといった類のことは、ときどきあった。ある意味では対処にも慣れていた。だから、今回も冷静に肩の手を払いのける。

 が、そのような事情など深夜は知るはずもない。どういう経緯で今、こうなっているのかはわからない。わからないが――

 知らない男が藤守林檎に絡んでいる。あまつさえ、無神経に身体に手を伸ばした。それが、ただただ不快だった。
 
 ――俺の藤守に触るな

 

 深夜は、ふらりと渡り廊下から、外の舗装に踏み出す。上履きのままだが、気にしなかった。そんな深夜を陸夫が呼び止める。まさか、靴に履き替えろというわけではあるまい。

「何だよ」

「そりゃあ、お姫様を助けに行くのは結構だけど、その前にその……ちょっと落ち着いたほうがいい」

「落ち着いている」

「いや、だって、お前――人でも殺しそうな目、してるぜ」

 そんなことを言われても、鏡がないので確認することはできないし、陸夫が何が言いたいのかもわからなかった。深夜は陸夫の言葉を無視して、林檎のいる方向へ進んだ。途中、校舎の外壁際に落ちていたコンクリートブロックを拾う。コンクリートブロックは腕にずっしりとした重量を伝えた。

「おい、それはやばいって」

 仮に、だ。喧嘩――つまり腕力勝負になれば、深夜の分が悪い。見た目から判断するに、相手のほうが腕力があるのは間違いなさそうだ。深夜には武術などの心得があるわけではないし、特別身体能力が高いわけでもない。

 しかし。

 しかしだ。

 

 ――殺していいなら、簡単だよ。

 

「君ってバカなの?」

 またもや、邪魔が入る。今度は陸夫の声ではない。第一、性別が違う。

「邪魔すると、お前の脳ミソから先にぶちまけるぞ――八重島」

「うわ、それで頭殴るつもりなの? それ普通に死んじゃうから。ああ、殺すつもりだったのか。マーダー・ドッグでもあるまいし。やっぱり、馬鹿でしょ、君。やめときなよ――ここは、僕が行くから」


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 深夜の肩をポンとたたいて、ひとり、歩を進めるカナ。加勢にと追いかけようとする陸夫を今度は深夜が遮った。

「女子ひとりじゃ――」

「いや、いいんだ。ひとりで行かせてやれ」

 深夜は冷静さを取り戻していた。カナに感謝すべきだ。カナが来なければ本当に取り返しのつかない事件を起こしていたかもしれない。

 口調こそ冗談めかしていたが、カナの目には強い意志が宿っていた。これは、彼女にとって、贖罪の機会だから。 過去の過ちを清算するチャンスだから。いや、本当は罪でも過ちでも、ない――

 彼女はただ弱かっただけだ。

 強くなかっただけだ。

 理不尽な嫌がらせを肩代わりするほどに。

 コミュニティの輪から外れ、それと対立するほどに。

 それほどに強い人間が一体この世界にどれほどいるのだろう。ましてや、当時、彼女は子供だった。弱いことが、責められることだろうか――むしろそれが正常なのではないだろうか。

 しかし、カナにとってみれば、罪の意識はずっと胸の内にあった。謝りたくて、償いたかった。だから、彼女は、この瞬間、強くあろうとした。

 傍観しておけば、深夜が、誰かが助けに入っていたかもしれない。

 いや、そもそも林檎にとってみればピンチでもなんでもないのかもしれない。

 勘違いなのかもしれない。

 大ごとにするようなことではないのかもしれない。

 でも、友達が困っていたら助けたい。

 たとえ、周囲に奇異の目で見られようとも。

 正しいと思うことを実行する強さを。

 勇気を――

 

「誰に断って僕の親友に手え出してんだ! ああ!?」

 

 あの日言えなかった言葉。カナは叫びながら、突進し、男子生徒の背中に蹴りをいれた。遠慮のない、体重を乗せた、踏みつけるような前蹴りだ。

 

「痛って――」

 男子生徒は前のめりによろけた。そのすきに回り込み、林檎をかばうように彼に向かい合った。

 いいかげん、何事かと他の生徒たちが、ちらちらと様子を伺うようになってきた。カナに遅れて、深夜と陸夫が駆けつけると、男子生徒は悔しそうな顔をして、その場を去っていった。

「大丈夫……だった?」

 カナはポカンとする林檎に向けて言う。先程の威勢はなかった。自分のことを忘れた親友に向き合うのが怖くて、怯えるような目をしていた。

「か……」

 林檎の小さく開いた口から音が漏れる。

「な……」

 たどたどしく、

「か……な……?」

 機会の音声のように、不自然につないだ言葉。でも確かにそれは、目の前の女子生徒の名前だった。

「林檎?」

 林檎の目から、涙が溢れ、頬を伝った。ぬぐってもぬぐっても、溢れ出る。濡れた手を、林檎は不思議そうに眺めた。

「これは……誰の涙? これは……」

 頭をくしゃっと掻く。

「これは……誰の記憶?」