『異常で非情な彼らの青春 #14』 /青春
#14
昼食後の一時。
体育館の裏側の壁とブロック塀に挟まれた、学校の敷地内において死角のようなこのスペースは二人だけの場所だ。他に人がいるのを見たことがなかった。それもそうだろう。ここには、伸びっぱなしの雑草くらいしかない。
林檎は体育館側のコンクリートに腰をおろし、小説を拡げ、物語の世界に没入していた。
伏し目がちに向ける視線の先には、縦書きで印字された文字。横目で覗く深夜には文字の羅列にしか見えないが、林檎の脳内では、別の世界の出来事に変換され、拡がっているのだろう。
深夜は何をするでもなく、ぼうと空を眺めていた。あるいは、思い出したようにスマホを取り出し、自分とは遠い世界のニュースを流し見た。
いつもの風景。
繰り返す日常は、とても穏やか。
しかし、深夜は忘れてはいなかった――いや、忘れてはいけないと、自ら念を押していた。
この一見牧歌的な日常は、歪んだ人間たちの歪んだ関係の上に、奇跡的に成り立っているということを。
それを忘れてしまっては、うっかり失ってしまうかもしれないから。
彼女は殺人鬼らしい。
実際に殺されかけもした。
深夜は彼女を脅迫して自分の近くにいさせている。
それが前提。それが基盤。
どだい、歪んでいる。
土台からして不安定なのだ。
――八重島カナとクラスメイトだったのか?
だから、そんな簡単な一言が口から出なかった。そんな一言で、小石がきっかけで起こる雪崩のように、この日常が土台から崩壊するような気がした。
一切の人間関係を拒絶する笑わないお姫様。生まれつきの殺人鬼で、ずっと孤独だった。
その説明の一部に間違いが含まれていたとして、そんな、どうでもいいことを指摘して、いったい何になるというのか。
「藤守……」
林檎はすっと、顔をあげる。
いつも彼女は、どんなに物語に集中していても、深夜の声にはすぐに反応した。
「何? 烏丸君」
「藤守は本当に……人を殺したいのか?」
「おかしなことを聞くね」
くすりと笑った――気がした。彼女は笑わない。ただ、語感がそんな感じだった――何を今さらと。
「私は殺人鬼、いつだって人を殺したいと考えている」
それは、期待した答え。安心する。
その前提があるからこそ、自分たちは一緒にいられるのだから。
「例えば……」
「ん?」
「藤守林檎はどんなふうに殺人を犯したいんだ?」
そのような質問が来ることに驚く林檎。
本を閉じ、それから――
それから、自分の妄想を深夜に打ち明けた。
夢を語るように、目を輝かせながら、語った。
「――――すると、――――って、ね、そうすると血が――――」
どうやって殺すと凄惨か。
どうやって殺すと芸術的か。
「――――ね、だから、捻切って――――だから、その前に、――――を切り落としておくと――」
どうやって殺すと残酷か。
どうやって殺すと美しいか。
「でしょ、それが――――なって、もう、目が見えないから――」
どうやって殺すと胸が痛み、
そして楽しいのか。
彼女の嗜好は紛れもなく異常だった。
そして、それを興味深く聞き、あまつさえその残虐行為を自分の身に受けることを想像して楽しむ深夜もまた、異常。
そして、これが彼らの心の通わせ方。
異常で非情で歪んで捻れた、彼らの日常だった。
予鈴の音が、あと5分で昼休みが終了することを告げた。林檎は立ちあがる。
「それじゃ」
と言って、先に行く。
「さてと」
林檎の姿が見えなくなってから、深夜も腰をあげる。ぎりぎり、授業開始のチャイムが鳴るのに間に合うタイミングだった。
ここら辺の予鈴が鳴ってからの動きもまた、慣習化されていた。
しかし、今日はそこにイレギュラーが紛れ込んだ。林檎と入れ替わるように、女子生徒が立っていた。二人だけの場所に、別の人間が踏み込んだことに、若干の不快感を覚えつつ、深夜は見知った人物の名前を呼んだ。
「八重島……カナ」
カナは行く手を遮るように立っている。もう、授業が始まろうとしているのに、慌てた様子はない。
「ちょっと今いいかな」
待ち伏せなどされずとも、彼女とは毎日のように話をしている。しかしそれは、放課後、林檎を家に送り届けたあとのことだ。以外にも、学校の中で話しかけられるのは初めてだった。
「もう、授業始まるぞ」
「ん、別にいいよ。そんなもの――どうでもいい」
「俺はよくない」
授業自体はどうでもよいのだが、教師に変に目をつけられるのは煩わしい。もっとも、一回の遅刻など、どうということはないのだろうが。
カナは深夜の主張を無視する。
「君に聞きたいことがあるんだ」
もう間もなく授業の開始を報せるチャイムの音を、深夜はここで聞くことになる。
それは日常の終わりを予感させる鐘の音だった。