がらくたディスプレイ

趣味の小説置き場。どこかで誰かが読んでくれると幸せです。

『異常で非情な彼らの青春 #8』 /青春

 

 

 #8

 

 昼休みになると、深夜は弁当箱を持って体育館裏に向かった。目的地に到着すると、藤守林檎はすでにンクリートの上に腰を下ろしていた。

「よう」

「や」

 なくてもいいような短い挨拶を交わし、隣に座る。

 昼休みをここで過ごすようになってから、一週間が経過していた。2回目以降、どちらかの教室で落ち合うようなことはせず、現地集合、現地解散するようになっていた。

 この場所には、いつも林檎が先に到着していた。昼休みが始まる時間は同じはずだが、一度も順序が逆になったことはない。深夜は、その疑問を口にした。

「歩くの早いほうだから」

「ふーん?」

 納得してなさそうに頷く深夜を見て、林檎は答えを変えた。

「近道を知ってるから」

「それは、うそだろう」

 近道なんかができるほど複雑な建物の配置にはなっていないはずだ。最短ルートは自ずと決まってくる。あとは、靴を校舎内に持ち込んでおいて窓から飛び出るという方法くらいしかないが、そこまでして深夜に先んじなければならない理由もないだろう。

「うん、うそ。本当はきっと誰にも話しかけられないし、むしろみんな避けていくから歩きやすい――のだと思う」

 だからこそ、最短。

 深夜もまっすぐにここに来たつもりでも、授業が終われば、陸夫と軽く馬鹿話のひとつもするし、教室を出てからも幾人かに声をかけられる。

「そっか」

 今度は納得したように頷く。内心、それはそれで便利だな、などと考えていた。

 そして、ランチタイム。

 並んで。

 友達のように。

 或いはカップルのように。

 昼休みを一緒に過ごして。

 放課後になれば一緒に下校して。

 ゆっくりと流れる時間の中で。

 時々会話をして。

 そういう日常になりつつあった。

 日常と言えばもうひとつ――いや、もう一人と言うべきか。

 最近、八重島カナという女子生徒に絡まれるようになった。

 初めてカナと話をした次の日だったか、林檎と彼女の家の前で別れたあと、どこからかカナが現れて、

「今の藤守林檎ちゃんだよね。可愛いよね。君たちは付き合っているの?」と詮索してきた。

 否定すると「じゃあ、友達なのかな?」となおも聞いてくるので、そうだと答えておいた(実際にはそれも違ったが、まあ、それが無難な回答だろう)。

 林檎の家から例の交差点まで、カナと何気ない会話をしながら一緒に歩いて、そして交差点で別れる。その流れも恒例化していた。

 新しい日常。

 深夜が行動を起こし、そして、変わったもの(カナの件は別かもしれないが)。

 ――こんなのでいいの?

 初日だったか、林檎が言った言葉だ。

 実のところ、深夜自信その答えを持っていない。

 あのとき――林檎を脅迫したときは、おそらくは人生で初めての感情に突き動かされていた。

 それは、嫉妬という感情。

 彼女がいつか誰かに向ける殺意に対して、嫉妬した。そして、それならいっそ、その殺意を自分に向けてほしいと、願った。

 隣を伺う。林檎は本を読んでいた。細い指でページをめくる姿は自室にいるかのように自然だ。もともと、昼休みは教室で文庫本を読むのが習慣だったらしい。紙カバーをしているので、本のタイトルはわからない。
 藤守は、顔だけ石膏でできたみたいに表情の変化がなく、何を考えているかが読みにくい。
 今の状況を。

 どう考えているのか。

 いや、それは関係ない。そもそも深夜のエゴなのだ。彼女の感情など初めから考慮になど入れていない。そういう利己的な手段を選んだ。

 ――まあ、よくは思っていないのは確かだけれど。

 当たり前だった。

 空を見上げる。

 どこまでも広がる透明な青。

「今日、天気いいな」

 それは、ただの感想。とはいえ、ひとり言というわけではない。隣の少女に聞こえるくらいの声量ではあった。

「そうね」

 ページをめくる。続く言葉はない。

 ――ほらみろ八重島。天気の話なんかしても盛り上がらないぞ。

 それにしても、いい天気だった。

 柔らかい風が、眠気を誘う。

 瞼を閉じてみる。

 遠くから聞こえてくる喧騒と、林檎が紙をめくる音を聞いているうちに、次第に意識が遠のいていった。

 

 首に圧迫感を感じ、目を覚ました。

「――ッ」

 自分が居眠りをしていたことはすぐに把握できた。

 瞼をあける。

 眼前に林檎の顔があった。

 今までで一番の接近かもしれないと、この際どうでもいいことを、ぼうとする頭で考える。

 ぼうとしているのは、寝起きだからというわけではない。

 脳への酸素の供給量が足りていないからだろう。

 林檎の両手は自分の首もとに延びている。深夜は彼女の腕を掴んだ。

 苦しかった。気道が圧迫され、うまく、空気を肺に送り込めない。

 何となく、状況がわかってきた。

 自分は今、藤守林檎に首を絞められている。


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 ――ああ、そうか。そういうことか。

 実際、林檎の細い腕からは考えられないほどの力、というほどではなく、腕力は相応の女子のものだった。だから、振りほどこうと思えば、叶うだろう。

 しかし、深夜は掴んだ手を、離した。

 抵抗を諦めた。

 だって、そういう約束だったから。

 深夜は再び瞼を閉じた。

 

 ふいに、解放される。

 深夜は咳き込みながら林檎を見る。

 林檎は自分の両手を見つめていた。

 相変わらず、無表情だった。

 表情に変化はない。

 ないまま、ただ、目から透明な液体が溢れ、彼女の頬を伝って落下し、コンクリートに黒い染みを作った。