『空想ヒロイン #6』 /ホラー/美少女
#6
慌てて、喫茶店を出た。もちろん、会計は済ませた。
大通りには、人の往来があった。彼らの目が気になり、僕は顔を伏せぎみにして、歩きだす。
雲一つない空。
降り注ぐ日光。
こんなに明るい所にはいられない――いてはいけないと思った。喫茶店に入るまでは、むしろ清々しいと感じていた青空なのに。まるで吸血鬼にでもなったような気分だ。
僕はふらふらと路地裏に侵入する。思った通り薄暗く、人気はなかった。
先程から、メノウの姿が見当たらない。
あいつ、こんなときにどこに行ったんだよ。
くそ。
すごく不愉快な気分になり、僕は舌打ちをする。
ああ、もうわかってる。
わかっているさ。
メノウがいないのは当然だ。
メノウなんて女の子は始めから『いなかった』んだから。
いない。
存在しないのだ。
そうとも。忘れていたって訳じゃない。
演じていただけ。
ちゃんとわかってる。
妄想というのとはちょっと違う。
別人格などと言うつもりもない。
あえて言うなら、そういう『設定』だったのだ。
つまらない人生だった。
二十歳そこそこで人生を語るのは早すぎるのかもしれないが、この先も大して変わらないだろうという不思議な確信があった。
何のために生きているのかわからない空虚な日々。
頼れる友人もいなければ、愛すべき恋人もいない。
毎日同じことの繰り返し。大学に行き、講義を受け、一度も声を発さないまま家に帰る。家にいるときは漫画を読むかゲームをするか――或いは、唯一趣味と言えるかもしれない、落書きをする。
イラスト――のようなもの。漫画に出てくるみたいな女の子のキャラクター。
最初は漫画の模写だった。何となく始めたことだが、それなりに熱中でき暇を潰せた。続けるうちに、だんだんとオリジナルの女の子を描けるようになっていった。
数か月前。何気なく描いたイラストが、なぜか、すごく気に入った。ツインテールにつり目の女の子。完成した絵に、10分も20分も、見とれていた。
普段はノートがいっぱいになったら燃えるごみの日にノートごと捨てるのだが、このイラストだけは、切り離して透明なファイルに入れて保存し、時々思い出しては取り出して眺めた。
――そして、眺めながら思うのだ。この子が現実にいたら、どんなに素敵だろうと。
同じ女の子のイラストを繰り返し描くようになった。
いろんなポーズ、いろんな角度、いろんな表情を、何度も繰り返しノートに描き続けた。
しだいに、彼女のイメージが固まっていった。イメージでは、彼女は口が悪く、でも、たまにしおらしくなるようなツンデレタイプ。名前もいつの間にか決まっていた。
うまく描けたものは慎重にノートから切り離し、保管していた。そしてある日、描き溜めたイラストを壁に飾ろうと思いついた。
だが、通常このアパートに人が来ることはないのだが、万が一ということもある。普通にリビングの壁に貼るのは躊躇われた。僕はそれらを押し入れの中に貼りつけることにした。
上段の荷物を部屋の角に移動させ、空いたところに紙を貼っていく。
いろんなポーズ、いろんな角度、いろんな表情のメノウがところ狭しと並んだ。なんとも言えない幸福感が込み上げた。
この日から、押し入れは彼女の寝室となった。
メノウへの思いは日に日に増していった。
強く、強く、強くイメージすれば、彼女の幻でも見えるかとも思ったが、そんな都合のいい話はなかった。
その代わりに、僕は想像することにした。
彼女がそこにいると。
この目で見えていると。
声が聞こえると。
触れられると。
そういう想像。思い込み。例えば――
ある日、彼女は僕の描いたイラストから飛び出てきた。彼女は(もちろん僕もだが)状況を理解できず、軽く混乱していた。とりあえず名前を聞くと、「メノウ……」と鈴の音のようなキレイな声で答えた。
――僕はそういうことにした。
メノウの態度は傍若無人で、僕は始め追い出そうとも思ったが、なぜか彼女は自信満々に、この部屋に居住することが当然の権利であると主張した。実際、彼女に行くあてはなかったのだけれど。結局なしくずし的に僕らの同居生活が始まった。
――僕はそういうことにした。
狭いワンルームだ。まず、寝る場所に困った。メノウは押し入れの上段にあった僕の荷物を取り出し、部屋の角に積み上げた。そしてそこに僕が調達してきた布団を敷いて「じゃあ、今からここが私の部屋ね」と得意気に言った。
――僕はそういうことにした。
一緒に住めばアクシデントだって起こる。ちょっとした勘違いでメノウが入浴中の風呂の戸を開けてしまう。きいきいと、猿のような悲鳴をあげるメノウ。それから、しばらく口を聞いてくれなかったのは言うまでもない。
――僕はそういうことにした。
想像上の同居生活はだんだんとリアルになっていった。より鮮明に、より詳細に、より自然に。
嘘でも。
思い込みでも。
設定でも。
それでも、僕にとっては、幸せな生活だった。今までの人生が嘘だったみたいに。これがリアルだと勘違いしてしまうほどに。そして、本当の現実を忘れてしまえるくらいに。
だから、ふとした瞬間、現実に返されるような出来事がなにより僕をイラつかせた。
あの男もそうだった。
買い物に出掛けたのはメノウだったのに。それが僕の、僕たちの本当だったのに、
だから、
だから、
だから、
だから、
だから、
僕がこの手で、
殺して、しまったんだ。
「メノウ……」
僕は想う。
強く、そこに『いる』のだと。
目の前には、少女がいた。
「お別れだね……」
メノウは哀しげな表情で言った。